ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




エイリア。静岡県静岡市清水区旭町4。2014(平成26)年11月27日

国道149号の新清水駅付近の東の裏通り。エドワルドスの向かい側になる。スナックなどが並んでいるがすでに営業していないように見える。2020年のストリートビューでは写真のままで、少し荒廃が進んだか、という感じだ。



マーブル。清水区旭町4。2014(平成26)年11月28日

1枚目写真の右奥の四つ角から西方向を見た家並み。現在は替わった店もあるが、建物は写真そのまま。
家並みが切れるところに路地があり、その路地と国道149号の間が相生町8の住所。撮影時は相生町8には北が駐車場、南が「ホテルサンルート清水」(1981年7月開業、2019年5月閉店)があったが、今は取り壊されて更地である。
かつてこの国道沿いの相生町8に映画館が3館あった。『静岡市清水区の映画館(2)』によると、「セントラル劇場」「清水東宝劇場」「清水東映さくら劇場」である。いずれも1945・46年に開館し1970年代に閉館した。この3館から近くの国道149号沿いには、新清水駅の北に「栄寿座」、区役所前交差点に「清水松竹劇場、清水オリオン座」があったという。映画街といってよく、その最盛期は飲み屋街と同じく、清水港の整備と重なる時期だったのだろう。

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マーブル、ViVid。静岡県静岡市清水区旭町3。2014(平成26)年11月27日

清水港付近の主要な道路は国道149号になるのだろうか。東海道本線清水駅前から国道1号と分かれて南へ、巴川の羽衣橋で国道150号につながる。延長はわずか2.6 km。国道149号が東海道線を陸橋で越えて南へ400mの間の両側が「相生町(あいおいちょう)」、相生町の東に「旭町(あさひちょう)」で、両者とも南北に長い町域である。
国道の東の両町が飲み屋街として知られている。清水港を背景にして成立した飲み屋街なので歴史は古いのだろうが、現在見られる建物は古いものでも昭和30年頃の建築に見える。戦前の建物は、たぶん空襲で焼かれて残らなかったのではないだろうか。
旭町6に清水区役所があり、その北が旭町3。上の写真は区役所の北の通り。左(西)に行くと国道149号。「マーブル」と「ViVid」が入る家の左は「あき寿司」、さらに左にバーやスナックの看板が7個ついた建物。「スナックぼったくり」なんていうのがある。
ストリートビューを見ると、看板建築にしている家は2017年頃に取り壊された。




上:Broad-way、左:エドワルドス
静岡市清水区旭町3。2014(平成26)年11月27日

国道149号の東の裏通りに並んでいるフィリピンパブ。ストリートビューを見ると、Broad-wayには今はテナント募集の看板が貼ってある。エドワルドスは2016年頃に「GLAMO ROSA」という店に変わった。
新日本Deep案内>あの金嬉老事件が起きた清水港の元赤線地帯「旭町」の昭和丸出しな盛り場を歩く』では、「金嬉老事件」と旭町との関連を述べている。また、かつては赤線あった町だという。そこでのエドワルドスの写真は三角形の中にミッキーマウスが描かれている。

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オオタケ洋品店、鳥関肉店。静岡県熱海市清水町14。2015(平成27)年11月20日

写真左奥が清水町商店街の南端。昭和25年の熱海大火後に建ったと思われる商店がまとまって残っている。左奥の茶色のビルが「米倉不動産」で、そこから右へ「鈴木屋(履物、傘、不動産)、リサイクル修理工房オーヨー、旭屋(寝装品)、ポピンズ(婦人用品)、―、板東塗料、オオタケ洋品店、鳥関肉店、タカサ洋品店」。
商店街には洋品店が多いような気がするが、生活者用の商店街だからだろう。鈴木屋履物店は草履や下駄を売っていて、古い商店街に似合う店だ。
現在では別の店に変わったり、閉店してしまった店もあるかもしれない。



鈴木屋、オーヨー。熱海市清水町14。2015(平成27)年11月20日

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青木商店。静岡県熱海市中央町17。2011(平成23)年5月20日

写真右に「清水町商店街」の街灯が写っているが、青木商店(建材、金物)はその商店街の1軒。写真左手がすぐ県道11号との市役所前交差点で、清水町商店街はそこから南へ、昭和町に変わる交差点までの240m。銀座通り商店街などの観光客向け商店街ではなく、生活者用の商店街である。歩道には簡単なアーケードが架かっている。昭和25年の大火後に建ったと思われる商店の建物がまだ少しは残っている。
「清水町商店街」の表示がある鈴蘭灯は、ストリートビューで見ると、2018年に今のものに取り替えられて商店街の表示はなくなってしまった。商店街の組織はどうなってしまったのだろう?
青木商店は大正15年創立で、株式会社としての創業が昭和24年。建物は熱海大火後の建築という。
下の写真の家は青木商店から1軒おいた並び。2015年に3階建のビルに建て替わった。


ふれあい友の会。中央町17。2011(平成23)年5月20日

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熱海第一交通タクシー乗場。静岡県熱海市中央町14。2015(平成27)年11月20日

糸川と初川との間を、グーグルマップに「あたみ梅ライン」とある県道11号が通っている。その中央町(ちゅうおうちょう)交差点(国道135号との交差点)と市役所前交差点との中間にあった建物。2019年に建て直されて5階建のマンション(第一交通の社員寮らしい)に変わり、その1階が「第一交通タクシー乗場」と車庫になっている。
正面を洋風にした看板建築だ。後は1階が車庫なので2階だけのなんとも簡便な建物である。社員の寮や休憩所になっていたと思われる。外観から、戦前築の看板建築と見ていたが、昭和25年の大火ではこの辺りも被害を受けている。大火後の建物である可能性が高い。
第一交通が建てたのではない。ウィキペディアの『第一交通産業』には「熱海第一交通(熱海市昭和町 旧:熱海京王自動車)」とあり、『第一交通産業㈱』には「1994年4月、第一交通産業が熱海京王タクシーを買収」とある。それ以前は「熱海京王タクシー」の看板が掛かっていたのだろうか。

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熱海芸妓見番。静岡県熱海市中央町17。2015(平成27)年11月20日

初川に面して建つ「熱海芸妓見番」と「熱海芸妓見番歌舞練場」の建物。熱海銀座の南が糸川、さらに南にあるから観光客はなかなかここまでは流れてこないような感じだ。
建物は昭和29年4月1日が落成式。昭和25年の大火で焼けたので再建したのかと思うと、そうでもないようだ。置屋だった跡に建てたのかもしれない。
『熱海温泉誌』(熱海市教育委員会制作、熱海市発行、2017年、3000円+税)によると、「熱海の芸妓組合はまず1913(大正2)年に設立されたようである。……なお1932(昭和7)年には改めて芸妓置屋組合が組織されている。」「初期の組合事務所は、今井家の屋敷跡地に造られた入浴施設「大湯」の1室で、その後は小沢湯の階下に移ったといい、温泉浴場施設の一部に間借りする形で出発した。昭和8~9年頃になって初めて組合事務所専用の建物が浜町に新築される。」その場所は載っている地図から、熱海銀座の裏(現・銀座町6)と思われる。
芸妓・置屋の数は「2016(平成28)年7月現在、熱海芸妓置屋連合組合に登録されている芸妓数は約120名。置屋は60カ所弱である。……1箇所の見番で抱える芸妓数としてはまだ全国屈指だ。」
見番は、建物が建ったときに設立された「熱海観光事業株式会社」が運営している。組織としては「熱海芸妓置屋連合組合」と重なるという。資本金1500万円を3万株とし、置屋1軒あたり100株の営業株を定めた。置屋を300軒と予測したわけだ。昭和40年代には株の空き待ちが生じたという。
なお、置屋(おきや)は芸者が所属する家で、その組合が見番(けんばん)。

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民家。千葉県浦安市猫実4-15。2009(平成21)4月24日

庚申通りのをばや金物店の前を南に行くと境川で、記念橋が架かっている。上の写真の家はその橋のたもとにあった。1階も2階も大きな座敷がありそうで、アパートなどではなく住居だったように見える。
表札の下に「清心元講(せいしんもとこう)」の表札が貼ってあった。豊受神社(ここから400m東にある浦安で最も古い神社)の隣にある清心大菩薩と不動明王を信仰する講らしいのだが、特に漁師の間で多く信仰されていたという。
ストリートビューからは2018年7月から2019年6月の間に取り壊されて、跡地は浦安市が管理しているらしい。

記念橋は大正天皇の即位御大典事業として1915(大正4)に架橋された。天皇即位を記念して記念橋という。橋長15.6mのコンクリート橋。浦安市が管理する45橋のうちでは最も古い。知らなければただの小さい橋で、特に由緒は感じられない。


記念橋。浦安市猫実4-堀江3。2009(平成21)4月24日

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大塚魚店。千葉県浦安市猫実4ー14。2009(平成21)年4月24日

庚申通りの「をばや金物店」の隣が上の写真の家。1980年の住宅地図(『 Deepランド>歴史散歩>浦安「大人の夢の国」』)で、「大塚魚店」となっているから古くからある魚屋なのだろうか。浦安市郷土博物館に移築されている「魚屋」(旧太田家住宅)が、商売の形態を考えるときの参考になるのかも知れない。
家はトタン葺きの屋根の平屋のようだが、屋根裏部屋があるのだろう。元は茅葺きだったと思える屋根の形状である。となると、境川の対岸の「旧大塚家住宅」が連想される。大塚魚店も元は漁師の家だったのではないか。なんだか「旧大塚家住宅」と同様に、漁師町の遺構のように思えてきた。



大塚魚店。千葉県浦安市猫実4ー14。2009(平成21)年4月24日

大塚魚店の隣の民家。住宅地図では大塚魚店の建物と一緒の記載で、魚店の住居部分だったのかも知れない。ストリートビューを見ると、2009年11月から2014年4月の間に取り壊されている。跡地は現在も空き地のまま。
この辺りの境川の両岸には「大塚」姓の家が多い。詮索のしようもないのだが、親戚関係にあるのではないかと怪しんでいる。
境川の南、堀江に千葉県指定有形文化財である「旧大塚家住宅」と並んで浦安市指定有形文化財の「旧宇田川家住宅」がすぐ近くにある。この「宇田川」姓の家が、やはりこの辺りの境川の両岸に散在する。

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