ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




うすや肉店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町221。2005(平成17)年12月13日

当ブログ前回と同じ、東町商店街の沼屋バス停のところ。写真左のモルタル壁が「カドヌマ薬局」で、「たばこ店」とは四つ角に対して点対称の位置。出桁造りの家は商店だったのだろうがだいぶ以前に閉店したようだ。「うすや肉店」には「ウスヤ明神町店」の袖看板がついている。今は高崎ハムの看板とともに無くなっている。明神町とは旧住所だろうか? ここから220m東に「明神町」バス停がある。
撮影時、うすや肉店の右には平屋の四軒長屋があった。民宿だったのだろうか。ストリートビューで見ると、長屋には「大洗町 寄贈 磯浜 旭町3-222/毛糸なら何でも揃う 野口毛糸店」の住所プレートがついていた。当時から廃屋だったと思うが2016年頃取り壊されて、今はウスヤ駐車場で、休憩場とトイレが置かれている。うすや肉店で串カツを買えばガルパンの缶バッチがもらえるとか。ガルパンがなんなのかぼくは知らないが、とにかく聖地として盛況らしく、ちょっとうれしくなる現況だ。

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たばこ店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町161。2005(平成17)年12月13日

大洗港を通る主要道路は県道2号で、その辺りでは「サンビーチ通り」といっている。その内陸側に県道2号の旧道と思われる「東町(ひがしちょう)商店会」の商店街の通りがある。商店街は「大洗鳥居下」交差点から西の三叉路までの800mと思われる。すでに閉店した店も多いが、写真のような出桁造りの商店が点々とあって、かつての県道の面影を伝えている。
写真は商店街のまん中辺り、茨城交通バスの「沼屋前」バス停がある四つ角にある昔ながらの商店。バス停の「沼屋」は商店名だろうか。写真のたばこ店は、今は販売機もなく閉店したようだ。「塩小売所」と「たばこ小賣所」のホーロー看板が右の柱に掛かっていたから食料品店か酒屋だったのかも知れない。

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三松(みまつ)。台東区東上野5-12。2013(平成25)年8月3日

浅草通りの下谷神社前交差点を北へ入って200m程の裏通り。2階が後退した和式長屋、装飾のない簡便な看板建築。昭和までならこの辺りにいくらでもあった家並みだ。二軒長屋は2020年に取り壊され、写真左の看板建築と共に、「ルフォンプログレ上野マークス」(2023年2月築、13階建49戸)というマンションが建った。
古い航空写真を見ると、通り沿いに2軒長屋が並んでいたようなので、三松の長屋の左も二軒長屋の正面を改修したものかもしれない。その左の家は1986年の地図で「いろは(中華)」。

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鮒忠東上野店。台東区東上野5-7。2008(平成20)年9月5日

当ブログ前回の元八百屋と同じ四つ角の東北角。2018年には隣の長屋と共に取り壊され、「リビオレゾン上野」(2019年11月築、15階建47戸)というマンションが建った。鮒忠はそこに入っている。
鮒忠」が浅草千束町に店を構えて鰻屋を始めたのが1946(昭和21)年9月で、冬場のつなぎに売った焼き鳥も当たったという。1960(昭和35)年には、支店は35店になっていて、東上野店もそのなかにあったと思われる。建物は戦後のものかとも思われるのだが、昭和22年の航空写真では、角で折れ曲がった看板建築にした壁が認められる。



鮒忠に続く三軒長屋と家内工業所のような1軒。東上野5-7。2008(平成20)年3月2日

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元八百屋。台東区東上野5-6。2008(平成20)年3月2日

増田たばこ店のある台東保健所前交差点を南にいった次の信号のある交差点。右奥に行くと浅草通りの東上野三交差点に出る。現在は写っている建物は、2012年頃に完成した「東上野5丁目ビル」という東京メトロ関連の会社などが入るビルに建て替わって、1棟も残っていない。
1986年の地図では写真左のビルが「上野職員クラブ」(1969年の地図では「帝都高速度交通上野寮」)、その裏に「帝都高速度交通営団」のビルがある。
角の家は、1969年の地図に「八百□」(肝心の3文字目が読めない)。木の台が置いてあるが、八百屋だった名残らしい。その右は、1986年の地図では「紅葉堂」と「宝ステンレス」。

追記(2023.07.21)
八百屋が営業中の写真があったので公開します。撮影日は2003(平成15)年10月24日。


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増田たばこ店。台東区東上野4-18。2008(平成20)年3月2日

JR上野駅の東の昭和通りから東へ入って150m、台東保健所前交差点角に残っている戦前築の家並み。台東保健所は写真右奥のビル。1997(平成9)年6月の完成で、それ以前は昭和通り沿い下谷1-2に「下谷保健所」があった。台東保健所が建つ前は、看板建築の六軒長屋、裏側にもやはり六軒長屋があった。その当時の写真の交差点は「東上野四」。
増田たばこ店の建物は、片流れ屋根の三軒長屋の通り側を看板建築にしたもの。建物左の家は、1966(昭和41)年の地図に「戸田とうふ店」で載っている。下の写真、通りの東側には「台東石材店」があるが、2014年には閉店したようだ。その右の家は、1966(昭和41)年の地図では「みどり薬局」。



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三保園ホテル。静岡県静岡市三保2108。2014(平成26)年11月28日

清水灯台に隣接するところにある大型の旅館だったが、2021年3月31日で閉館した。新型コロナで客数が激減したためだが、施設の老巧化ということもあるらしい。再開するときは建物を建て直すことを考えているのかもしれない。
三保園ホテルを経営しているのは「富士レックス株式会社」という1946年12月創業の会社。三保園ホテルの開業は1947(昭和22)年7月。写真の「新館」は1963(昭和38)年9月の開館。旧館は新館の裏手にある「別館のスペイン館」がそれらしいが、1946年開館時の建物かどうかは不明。
旅館にとって温泉はなんとしても欲しいわけで、2006(平成18)年に地下1159mから汲み上げた地下水を「源泉かけ流しの天然温泉-天女の湯 三保羽衣温泉」として客を誘致した。2013年に富士山が世界遺産になり、三保の松原がその構成要素に指定されると、客数も伸びたようだ。食事もカニ食べ放題などで1泊1.5万位の料金と、ホテル側の努力もなかなかのものだ。ぼくが泊まった2014年では「まぐろ尽くし」のメニューだった。



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