ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





三菱倉庫京浜支店事務所
横浜市中区海岸通2
1987(昭和62)年8月(3枚とも)

海岸通りの神奈川県警察本部の場所は、以前は三菱倉庫があった。ぼくは一度だけ、まだ三菱倉庫が取り壊される前にその前を歩いている。神奈川県警本部がここにビルを構える前はどこにあったのかが判らない。ヘルムハウスビルが別館として使われていたから本館もあったと思うのだが。
『総覧』には「三菱倉庫京浜支店、海岸通2-4、設計=三菱倉庫建築課」という物件が3件あって、写真の事務所がどれに当たるのか判らない。「昭和9年、施工=竹中工務店」か「昭和10年、施工=清水組」であろう。上の写真ではビルの左側しか写っていないが、 『みんなでつくる横濱写真アルバム>kaigandori』にビル全体を収めたすばらしい写真が掲載されている。きっとプロが撮ったものだろう。それを見ると、基礎のような1階部分から後退して2階部分があり、角に中心になる3階部分、その右に階段室を上に伸ばしたような5階の塔屋がある。立派な玄関が角に置かれている。
1階部分は山田守が設計した千住郵便局電話事務所(現・NTT千住ビル)に似ている。奥行きの深い四角い塔屋がユニークで、ただの飾りとは思えない感じがする。船の出入りを監視していたのだろうか。



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左:たん助六、右:金陽堂印房。中央区八丁堀3-20。2003(平成15)年3月15日

新大橋通りの本八丁堀交差点のすぐ北に戦前の看板建築と思われる建物が残っている。「たん助六」は牛タンを中心の飲食店でその隣は水道工事などの佐野工業所。この2店は一体の建物である。助六は銅板貼りだった壁を黒っぽく塗っているらしい。この角を入ったところが当ブログ前回の路地である。佐野工務店の隣は幅が1.5間にしか見えない居酒屋のときわ、その隣が金陽堂印房とカットショップ・イーリスの建物。金陽堂の正面は2階が、窓はアルミサッシに換えられているが建築時の造りをよく残している。これらの建物は昭和20年代の火保図では「正札ヤ、のみやたこ八、ときわ(中華料理)、神田美容室」。


左:斉藤家住宅。八丁堀3-19。1988(昭和63)年2月21日
右:六光。八丁堀3-20。2003(平成15)年3月15日

たん助六の横を入った狭い横丁で、鈴らん通りとの間に路地との四つ角がある。その四つ角に鈴木米店がある。左写真では右奥の赤い看板の家、右写真では左の家である。その写真では左奥のビルが斉藤家があったところに建った「GEO八丁堀」(1992年竣工)。
鈴木米店はそのHPによると、1932(昭和7)年の創立。最近はランチが食べられ、おむすびや弁当の販売をやっている。町がビジネス街に変わってもそれに応じてがんばっている。

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寿鋼材。中央区八丁堀3-18。左:1988(昭和63)年2月21日。右:2003(平成15)年3月15日

新大橋通りの本八丁堀交差点のすぐ北に、今も、戦前の建築と思われる看板建築の建物が2・3軒並んでいる。その「たん 助六」という居酒屋だと思うが、銅板張りの店がある角を入ってところで、やはり銅板張りの家やモルタルの看板建築が並んでいる。八丁堀は空襲でほぼ焼き払われたが、4丁目や3丁目の一部は被害を免れているというから、ここがその場所なのだろう。
1986年の住宅地図では、左写真の左から、東京鋼管商事、寿鋼材、角の3階建住居。右写真は反対方向から見たもの。 『わが町・八丁堀』というサイトの「【特集2】八丁堀の歴史(概況)>区史から見た変遷」には、鉄鋼業界について、「関東大震災以降、鉄鋼卸商集団が日本橋方面から移動してきて集団問屋街を形成した。戦後も復活し昭和33年(1958)ごろには東京の鉄鋼特約店の29%が八丁堀周辺に集中していた。/八丁堀を中心とする京橋には有力特約店が多く、大口取引が行われるほか、各種の取引もあり、需給関係や思惑売買によって市況に応じた市中価格が形成され、東京ではこれを「八丁堀相場」と呼んだ。……」とある。その中心はたぶん桜川両岸で、倉庫も構えていたと思われる。昭和30年では金属材料の卸売業は中央区に509店、そのうち八丁堀に87店である。


第一電気。八丁堀3-18。2003(平成15)年3月15日

1枚目の写真の奥の四つ角の先の家で、角の家がやはり1986年の住宅地図で第一電気となっている家。右写真は路地をさらに入ってすずらん通りに出る辺りから新大橋通りの方向を見ている。写真右の家は昭和27年頃の火保図に「訟々亭」と読める中華料理店だった家らしい。こちらの家並みは戦後の建築のように見える。

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三福ビル。中央区八丁堀3-11。1987(昭和62)年4月29日

桜橋交差点の角に今もある三福ビル。左奥へ行くのが平成通り、右奥へ行くのが鍛冶橋通り。三福ビルは『総覧』に1930(昭和5)年建設の記載がある。火保図では戦前で「櫻橋ビル」、戦後は「石井電気店」。
写真では石井電気が新装開店したばかりで、祝いの花輪が出ている。シャッターはまだ書き終っていないようで、止まっている車がペンキ屋さんのかもしれない。ナショナルの看板は今では廃業した電気店にしか見られない。ビルの左は光文堂文具店、櫻寿司、旧・金剛機械。
現在は三福ビルの1階は小諸そば。その左の2軒の建物が残っていて、光文堂は長崎菜館というちゃんぽん等の店になり、櫻寿司は構えはそのままだが看板がないので廃業したらしい。



清美堂製本。八丁堀3-11。1988(昭和63)年2月21日

桜橋交差点から平成通りを少し北へ行った辺りで、写真中央の路地までが三福ビルと同じ11番地、その左が12番地。写真右から、東京今野商店、斉藤ビル、清美堂製本、栗原製本、やまもと(中華料理?)。古い木造の建物は戦後まもなく建てられたものと思われる。
現在は角の栗原製本だった建物が残っていて、他は全て新しいビルに建て替わった。

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東洋興業。中央区八丁堀4-13。1987(昭和62)年7月26日

工事中(たぶん京葉線の)の大通りは鍛冶橋通り。左奥へ行くとすぐ亀島川に架かる高橋である。
東洋興業は2010年に 東洋カーマックスと社名変更しているが、そのHPによると1963(昭和38)年に三和銀行と丸善石油を株主にして設立された自動車関連の運行管理をする会社である。写真のビルは、その三和銀行だった建物。 『わが町・八丁堀』というサイトの 「中央区の沿革(戦後編)」に「1951昭和26年3月5日三和銀行八丁堀支店開業」の記載がある。ビルは三和銀行として、このとき建設された可能性があると思う。昭和44年の住宅地図ではすでに「東洋興業KK/文化産業信用組合」である。
東洋興業のビルには文化信用の看板もかかっている。文化産業信用組合京橋支店で、1階を店舗として使っているらしい。2箇所の入口の上にその名前を置いている。 文化産業信用組合はそのHPによると「出版関連専門金融機関」で、開業は1952(昭和27)年11月。出版関連には印刷業も含まれる。八丁堀、新富、入船、湊辺りは印刷業が多いから立地としてはうなずける場所だ。「昭和38年7月、京橋支店開設」なので、三和銀行はその年に八丁堀支店を他に移すか廃止して東洋興業と文化信用が入ったようだ。
現在の八丁堀東興ビルは1993(平成5)年7月の竣工。




上:コバリ。中央区八丁堀4-7
1987(昭和62)年4月29日
左:中島商工。八丁堀4-8
1987(昭和62)年2月14日

鍛冶橋通りの1本裏の通りで、向かい側は大震災以前は桜川の河岸で北桜河岸といった。桜川が埋め立てられる以前は稲荷橋から新桜橋までの河岸地だった場所に倉庫が立並んでいたようだ。
上の写真は、写真左から、コバリビル、コバリ、三東ビル。コバリの建物は昭和27年頃の火保図に「小針鉄機S/大星」となっている。戦前の建築なのか微妙である。
左の銅板張りの家はコバリの並びだが新大橋通りの中之橋に近いところにあった。ガラス戸に「美術印刷・写真植字」と読める。昭和44年の住宅地図では「太田川商店」。路地の奥、「ロイヤル/やまぐち」の看板の後ろに「山口畳店」の看板ある。




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金井商店。中央区八丁堀4-7。1987(昭和62)年7月26日

鍛冶橋通りの桜橋交差点と本八丁堀交差点の間。京華小学校(現・京華スクエア)の向かいである。現在は、写真左の平野ビルは変わらないが、その横丁から右は第3桜橋ビルというかなり大きいオフィスビルが建った。道路の工事はたぶん京葉線のものと思う。京葉線八丁堀駅の開業は1990(平成2)年3月10日。
写っている2階建ての建物は1986年の住宅地図で左から、金井商店、オーシャンブルー、富士、林。地図には金井商店の左に「楡」となっているが取り壊されている。いずれも商売の内容までは判らない。
鍛冶橋通りをかつて都電が走っていた。目黒駅前-永代橋の5系統で、馬場先門-永代橋は1920(大正9)年に開通している。この辺りの停留所は「都庁前-鍛冶橋-京橋-桜橋-八丁堀-越前掘」。1967(昭和42)年12月9日の第1次都電撤去でまっさきに廃止された。


遠藤時計店。中央区八丁堀4-6。1987(昭和62)年7月26日

1枚目の写真から数軒分右、桜橋交差点へよったところ。写真左の建築中のビルは日之出出版のビル。その後ろのビルはエイトビルで今も健在。さらに後ろに東京都勤労福祉会館の上部構造が写っている。桜川を埋め立てた跡に建てた施設で、昭和40年頃の建設かと思う。5・6年前に取り壊された。
写っている家並みはやはり1986年の住宅地図で左から、遠藤時計店、榎本印刷所、イマムラ(今村)看板(「移転のお知らせ」の張り紙が出ている)、アネックス・秀和桜橋、須賀ビル。
現在、これらの建物があったところは八丁堀センタービル(1992年竣工)が建つ。

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バザール。中央区八丁堀4-9。1987(昭和62)年10月25日

新大橋通りと鍛冶橋通りとの交差点が本八丁堀交差点で、日比谷線とJR京葉線の八丁堀駅がある。写真はその交差点の南東角。古い2階建て木造の店が固まって残っていた。撮影時の住宅地図では写真左から、「小川電気、ソーコ(出桁造りの家)、山城屋、空家、南進(写真ではMINAMI)、バザール(コーヒー&スナック)、南進倉庫、三友ビル」。
昭和27年頃の火保図を見ると、写真左の4軒は「小川電気鉄具OF(事務所)製作所、藤井S(商店)ポンプ、山城S綿S、南進ゴム工業所」。写真中央辺りに「石橋駄菓子、伊勢ヤカシS、坂口SコックS、大館S」などの記載。
現在では山城屋タバコ店が残っていて、そのためか交差点の角に面したところは平屋の仮建築でコンビニのデイリーヤマザキとケンタッキーフライドチキンの店になっている。左の建築中のビルは西野金陵ビル。右のビルは建て替わった。




上:下谷電気店。八丁堀4-9
1986(昭和61)年6月15日
左:東栄金属、和田印刷所
八丁堀4-9。1987(昭和62)年12月20日

下谷電気店は1枚目の写真の交差点を高橋の方へ少し行った鍛冶橋通りにあった。撮影時にはすでに空家のようだ。西洋古典建築のオーダーの飾りがついているが、洋風の感じはあまりしない。1階の格子の窓に目がいってしまうせいだろう。
左の写真の看板建築は下谷電気店近くの路地を入ったところにあった。建物左が東栄金属、右が和田印刷所。和田印刷は戦前からの印刷屋らしい。

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鳥勝の四軒長屋
台東区鳥越1-4
上:1988(昭和63)年4月10日
左:2005(平成17)年4月9日

蔵前橋通りに面して建っていた看板建築の四軒長屋。上の写真は少し右に移動して撮れば全景が撮れたと思うが、とにかく写ればいいという気持ちで撮っているようだ。今、ストリートビューを見ると取り壊されて駐車場になっている。
入っている店は1986年の住宅地図では左から、ラッキー、ますみ(そば)、住宅、鳥勝(居酒屋。やきとり・活魚料理)。



月の友香水本舗。鳥越1-2
1988(昭和63)年12月31日

蔵前橋通りから横丁を入ってすぐのところ。写真左の青いトタンの壁の家はおかず横丁に面した家で、住宅地図では空家だが倉庫にでもなっていた家らしい。洋風のモルタル仕上げの看板建築は月の友香水本舗。当然ながら詳細は不明だ。現在は古い2軒の家は取り壊されていてコイン駐車場になっている。

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吾妻寿司。台東区鳥越1-13。左:1989(平成1)年2月12日、右:2003(平成15)年11月6日

おかず横丁にある銅板張り看板建築のすし屋。建物はごく標準的な看板建築で、すし屋にふさわしい外観だ。店先の鉢植えが少し育ちすぎではないかと思う。街燈はいつごろ新しくしたのだろう?


左:銅板貼り看板建築。鳥越1-3。2003(平成15)年11月6日
右:たなか。鳥越1-3。1992(平成4)年6月6日

左写真の看板建築は蔵前橋通りの近くにあったが、ストリートビューを見たら空き地になっていた。壁面を軒の上に出したような部分と、2階の右側に袖のように出している部分があって、ちょっと独特である。戸袋とともにそれぞれが異なる日本の伝統的模様で銅板が貼られている。1階のガラス戸は木の枠で2階の窓も同様だ。こういう古い建具のままというのは貴重である。
右写真の家は左写真の家のちょうど裏側にあった家で、蔵前橋通りとおかず横丁を結ぶ路地に面していた。住宅地図では「有限会社たなか」。写真左の白い壁の家はおかず横丁に面した山口雑貨店だが、今は住居になってしまっている。


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うるしばら(漆原)食品店。台東区鳥越1-15
左:1992(平成4)年6月6日
上:2005(平成17)年4月9日

おかず横丁の惣菜屋。漬物が好評らしい。大正15年の創業というから出桁造りの建物もそのときに建ったのかもしれない。おかず横丁には出桁造りの店が何軒か見られる。右の写真で、左から鳥吉、うるしばら、港屋和菓子店、望月米店、望月不動産。港屋は昭和6年の創業。夏のかき氷が有名だそうだ。


田崎食料品店。鳥越1-14。左:1992(平成4)年6月6日、右:2003(平成15)年11月16日

おかず横丁のトタン張りの看板建築の店。はでな色に塗っているが確かに目印にはなる。右の写真では自販機を撤去してあるので廃業したのかもしれない。田崎食料品店の右へ1軒おいた郡司味噌漬物店はテレビでよく紹介される。

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