ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




かんだやぶそば。千代田区神田淡路町2-10。1985(昭和60)年7月7日

「かんだやぶそば(神田藪蕎麦)」は、東京の蕎麦屋といえば真っ先に上がる有名店だが、それだけに昼食にちょっと入るという店ではない。おつまみを前にして酒を飲んだ締めに蕎麦を食べて出てくる、という感じだろうか。とはいっても蕎麦だけ食べても一向に構わないわけだが、腹を満たそうなどとは思わない方がいいようだ。
「連雀町藪蕎麦」として1880(明治13)年に創業した。1923(大正12)年、関東大震災で店舗が焼失した後、同年12月に再建されたのが写真の建物。連雀町の地名が消えたのは1933(昭和8)年で、それからは「神田藪蕎麦」と改称した。
2013(平成25)年2月19日、火災が発生し建物は半焼する。翌年10月、鉄骨構造平屋(一部2階建)の店舗を改築して営業を再開した。焼け残った、釣り行燈や看板はそのまま使用しているという。

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東運電機ビル。千代田区外神田3-2。2010(平成22)年10月2日

右奥へ延びるのが「秋葉原ジャンク通り」で、中央通りの西の裏通りになる。その一帯がパソコン関連の部品を扱う店が多いのでジャンク通りとなったが、飲食店もけっこうある。ジャンク通りの南よりの四つ角に面して「東運電機ビル」という古そうなビルがあり、さらに横丁側にもう2棟の古いビルが並んでいる。いずれも戦後まもなく建てられたと思われる小さなビルで、横丁側のビルは「巴ビル」と「遠藤ビル」。
東運電機ビルは2012年8月に「野郎ラーメン」が開店した。その時壁を黄色に塗り替えている。
巴ビルは今はテナントは替わったが、やはりガールズカフェ等の広告で埋まっていてビルのファサードが見えない。「1962年2月築、RC5階建」としてある不動産サイトがあった。
遠藤ビルは3棟のなかでは最も古そうである。1950年代の建築ではないか。



遠藤ビル、巴ビル。外神田3-2。2010(平成22)年10月2日

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S家住宅(kufuku±)。千代田区外神田4-11
2013(平成25)年7月14日

蔵前橋通りの外神田五丁目交差点(地下鉄銀座線末広町駅)と山手線ガードの間の横町を南に入ったところにある出桁造の民家。戦前築の建物としていい外観だが、空襲で焼き払われた地区なので、戦後まもなく建てられたものだろう。1947(昭和22)年の航空写真ではまだ建っていないようなので1950年頃の建築だろうか。
1階の左右端に戸袋があり、その間は8枚のガラス戸なので、内側は広い土間かと思う。『ヒトサラMagazine>KUFUKU±』によると、「青果・乾物問屋兼住居」だったという。正面の大きな梁を見ても、かなり凝った造りかと想像できる。家主はこの家に相当な思い入れがあるようで、建替えなどは考えず、商売を辞めても建物の保守には気を遣っていたという。
2019年5月に、内部の様子をなるべく生かすように改装して「KUFUKU± (暮富食)」というフレンチレストランが開店した。ランチでも予約が必要という人気店だとか。


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神田青果市場跡。千代田区外神田4-14。1996(平成8)年4月27日

写真手前の広場は、秋葉原駅を電気街口改札から北へ出たところで、現在はUDXビルが建っている辺りのようだ。写真奥の低層ビルは、神田市場の最も北にあった建物。
神田青果市場が太田市場に移ったのは1989(平成元)年5月。それから7年経って、売場・買荷保管所などは解体されて敷地の北の事務所棟?が残されているが「広大な敷地を利用して大型駐車場やバスケットコートとして供用された(『 livedoor Blogアキバ>神田青果市場 秋葉原での業務開始と再移転』)」という時期。
写真の青果市場の建物は1970年頃に建てられたものと思える。『X>三日画師』に、通り側から撮影した写真が見られる。

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八百松菓子店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町790。2005(平成17)年12月13日

「通り町商店会」の通りは、八百松菓子店の辺りでは東西に通っているが、写真右(東)へ少し行くと北東の方向に曲がり、「祝町いささかりんりん通り」につながっている。八百松菓子店から西へ60mで信号のある交差点で、そこから西は「永町(ながちょう)商店街」になる。
八百松は(たぶん栗原時計店も)切妻造の家の平側に増築された店舗のようだ。ストリートビューを見ると2011年にはすでに廃業している。栗原時計店は2018年に閉店した。2020年頃に奥の建物と共に取り壊されて、今も駐車場のまま。
八百松の向かい側にも「太田屋」という和菓子屋あったようだが、2014年には住宅に建て替わっている。

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大場理容店
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町670
2005(平成17)年12月13日

曲がり松商店会の西端で、山戸呉服店の向かい側。写真右のビルが「通り町商店会」との交差点に面している。大場理容店はこの辺りではあまり見かけない洋風にした看板建築で、割と凝ったデザインで、「理髪」の看板が右から書きなので戦前に建てられたものと思ってしまうが、どうなのだろう。現在は2階の窓がアルミサッシのものに改修され、壁が少し明るく塗り直された。

ストリートビューでこの辺りを眺めると、1960年代に建てられたか改修されたと思われる店舗が幾つも見られる。「山戸呉服店(明治18年創業、洋品店)」「年宝菓子店(手作り飴、かるめ焼き)」「スルガヤ薬局(明治初期創業)」「江口又新堂(文具、書籍、薬)」など。
江口又新堂は蔵造りの家の前に店舗を増築したものらしい。スルガヤ薬局は2016年頃に建て直されてしまった。旧店舗は正面左四分の三の幅で狭いベランダを設け、ベランダの奥は6分割した、窓と店名を書いた壁、角に屋根の庇を支えるような細い柱。建物横の1階の上の梁のような部分には、黒い豆タイルが貼られていて、正面との角にはアールがとってあった。

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