ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




岸本産業ビル。兵庫県神戸市中央区栄町通3-2。1992(平成4)年8月5日

乙仲通でひときわ人目を引いている古いビル。『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では、「岸本産業株式会社、設計・施行・建築年=不祥、鉄筋コンクリート造3階建」である。各階ごとにセットバックした階段ピラミッドのような構成と、各階の丸棒を重ねたような幅の広いコーニス(というか壁だろうか)、それにルスティカ積みの石を廻らせた腰壁などが特徴。昭和初期の建設と思えるが、特異なデザインである。
岸本産業は2007年に社名を「KISCO株式会社」と変更した。KISCOは「大阪市中央区に本社を置く化学品専門商社である。商社機能と同時にメーカー群をグループ会社として所有する」(ウィキペディア)。1964年に本社を大阪に移しているが、それまでは岸本産業ビルが本社だったらしい。
今は左(西)の和英ビル別巻が2017年頃に取り壊されて駐車場(三井のリパーク)になってしまい、西側側面がそっくり見えるようになった。



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第一勧業銀行神戸支店
兵庫県神戸市中央区栄町通3-6
1992(平成4)年8月5日

栄町通りのタワー・ロードとの交差点(栄町通4交差点)から東へすぐのところにあった第一勧銀の建物。1995年の阪神淡路大震災で中央部分が崩落し、解体されてしまった。すぐに「ライオンズタワー神戸元町」(2009年7月築、33階地下1階建、169戸)というマンションが建った。
写真の建物は三井銀行神戸支店として1916(大正5)年に建てられた。設計=長野宇平治、施行=竹中工務店で、鉄筋コンクリート造2階建。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)によると、「神戸市内では最初の鉄筋コンクリート造建築であるが、銀行室の大空間は鉄骨造で、他の比較的小さい空間は鉄筋コンクリート造」「建物の正面中央に、一本石を刻んだイオニア式オーダーを6本並べ、その左右は目地を粗く見せた石張りとし、屋上には手摺を廻らせた外観は、イタリア・ルネッサンス建築そのものといえる。正面玄関の額縁を黒御影石仕上げとし、これがアクセントになっている。内部は左右の1スパンを除いて、吹き抜けとした天井の高い、気持ちのよい銀行室をもつ」とある。
文化庁月報1995.5神戸の西洋館はどうだった 藤森照信』によると、戦前の銀行建築によくある石の列柱が並ぶギリシャ神殿風の重厚なスタイルは、この三井銀行の建物に始まるという。



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日産ビル(中国銀行神戸支店)。兵庫県神戸市中央区栄町通2-6。1992(平成4)年8月5日

栄町通りの、元町パークロードとの交差点のすぐ東にあったビル。1995年の阪神淡路大震災で被害を受け、取り壊された。現在はやはり中国銀行の2階建の仮建築のようなビルになっている。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「日産ビル(村井銀行神戸支店)。設計=吉武長一、施行=大阪橋本組、建築年=大正9年(1920年)、構造=鉄筋コンクリート造6階建」。外観については「外壁は1・2階を荒い石張りのベースとし、3階から5階までの3つの階に伸びる4本の、彫り溝の付いたイオニア式オーダーを置く。その柱間の5階に半円アーチの窓を作る。コーニスも、2階と3階の間と、5階と6階の間に置き、屋上には手摺子の入ったパラペットを廻す。/イタリア・ルネッサンス建築を、そのまま高層化した、アメリカで発達したオフィス・ビルの系統に属する建物の力作である」と解説されている。
吉武長一(1879-1953)はペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学び、1909(明治42)年に村井銀行建築部長になっている。1913(大正2)年に独立して吉武建築事務所を開設した。1913年に建った東京日本橋の本店(1970年代に解体)は神戸支店とほぼ同じファサードである。
写真では中国銀行神戸支店になっている。『近代建築GB』では「市民から長い間「日産汽船ビル」として親しまれてきた。最初の村井銀行神戸支店から、所有者は何度も変わり、その都度、使途も変わった。米軍に接収されたし、映画館にもなった」とある。「日産汽船」は村井財閥の会社だったのだろうか。6階建と高層にしたのは、村井財閥の銀行以外の会社も納めるためと思われる。



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鎌苅商店。兵庫県神戸市中央区栄町通(さかえまちどおり)1-1。1992(平成4)年8月5日

乙仲通(おつなかどおり)の隆源ビルがあった四つ角のもう一方の角にある商店。長屋のような集合店舗のようだが、鎌苅商店とその右(東)の部分と、左の2階に柱が並ぶ部分では建物が別なのかもしれない。鎌苅商店はタバコ屋らしいが、ストリートビューを見ると、2013年から2015年はタバコの自販機は置いてあるがレンタカー・カーシェアリングの店になっている。2014年までは店先に灰皿を置いていてたばこを吸っている人がいる。今は「リリベル」という婦人服店に替わっている。左奥の「㐂八」は今も健在だ。

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富士銀行神戸支店。兵庫県神戸市中央区栄町通(さかえまちどおり)1-2。1992(平成4)年8月5日

神戸住友ビル(取り壊されて今は駐車場)の栄町通りに対してはす向かいにあったビル。今は「大同生命神戸ビル」に建替えられているが、そのビルの竣工が1997年5月なので、1995年の阪神淡路大震災で被害を受け、取り壊されたようだ。
撮影時では「竹中工務店神戸支店」で、いつまで富士銀行として営業していたのかは不明。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「富士銀行神戸支店(安田銀行神戸支店)設計=安田銀行営繕課、施行=清水組、建築年=大正15年(1926)、構造=鉄筋コンクリート造2階建」。
外観のデザインは、トスカナ式のオーダー(エンゲージド・コラム)、建物角と腰壁のルスティカ積み、アーチ窓、と重厚な感じの古典様式で、富士銀行横浜支店(1929年)とほぼ同じ。
当ブログの写真では建物の角が街路樹で隠れてしまっている。『 kobemtsh>昭和の神戸 旧富士銀行ビル』できれいな写真が見られる。



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神戸住友ビル。兵庫県神戸市中央区栄町通(さかえまちどおり)1-1。1992(平成4)年8月5日

『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では、「神戸住友ビル、設計=住友合資会社工作部、施行=清水組、建設年=昭和9年(1934)、構造=鉄筋コンクリート造3階建」。住友銀行神戸支店として建設された。設計者は「長谷部竹腰建築事務所」が普通である。長谷部鋭吉(1885-1960)は「1933年:住友合資から5万円の出資と29名の移籍を得て(株)長谷部竹腰建築事務所を設立」(ウィキペディア>長谷部鋭吉)したから、神戸住友ビルが竣工したときには住友銀行から独立している。設計はそれ以前のことだったかもしれない。
外観は2階まで通しの半円アーチを3つ並べた、住友銀行共通のモチーフが使われている。玄関やアーチの縁などに細かい装飾も施されている。
2001年4月にさくら銀行と合併して三井住友銀行になったときは「三井住友銀行神戸中央支店」となったが、2002年10月には店舗としての営業は閉店した。
栄町通は金融街と言われたほど銀行が集まっていたが、阪神淡路大震災で戦前築の銀行建築の多くが失われた。神戸住友ビルはなんとか残ったと思っていたが、2014年に取り壊されてしまった。



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コニ・ビオラ。台東区三筋2-1。2008(平成20)年3月1日

写真の通りは蔵前小学校通りという東西の通りで、右の3階建のビルが「株式会社コニ・ビオラ」という会社の社屋で、新堀通りとの蔵前4西交差点角に建っていた。左の住居はコニ・ビオラの社長宅だったらしい。1969(昭和44)年の住宅地図では住宅の「小西」とコニ・ビオラの旧社名「古西商店」とが「=」で結んである。
コニ・ビオラのHP』によると、ねじなどの小さな金具を製造販売する会社で、創業は1872(明治5)年としている。関東大震災で事業は中断していたらしいが、1953(昭和28)年に「株式会社小西商店」を設立して再開したという。1992(平成4)年に「株式会社コニ・ビオラ」と改称した。
現在は「クリオラベルディ蔵前」(2021年7月築、12階建39戸)というマンションに建替えられて、その1・2階に入っている。

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難波(なんば)仏具店。台東区寿2-8
2008(平成20)年4月2日

浅草通りの菊屋橋交差点(かっぱ橋道具街入口)の一つ東の横丁との角にある仏具店。浅草通りの南側に沿って、上野駅交差点から寿4交差点まで、点々と建つ仏具店の1軒。なんともユニークな外観で人目を引いている。
『日本近代建築総覧』によると、「建築年=1929(昭和4)年、構造=RC造、設計=榎本徳蔵、施行=戸田組、戦後内装数回改築、塔屋付」。
文化庁>国指定文化財等DB>難波商店店舗兼主屋』には、「RC造3階地下1階。昭和43(1968)年増築、昭和52(1977)年改修」「一階を店舗、地下一階と二階を倉庫、三階を居室とする。外壁は色モルタル塗で、縦長窓と丸窓を開き、緑色の瓦や高欄を廻し意匠性に富む。塔屋は反りの強い屋根を二重に架け、独創的な外観を形成している」とある。設計者の榎本徳蔵という人のデザインなのだろうが、この人がどういう人なのか、ネットでは分らない。建物は隣の寿ビルの後ろに回り込んでいて、L字形平面をしている。寿ビルの裏は増築部分なのだろうか。

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リボン、戸谷プランニング。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

写真の大通りは清洲橋通りで、右(北)へ少し行くと浅草通りとの稲荷町交差点。写真左の看板建築の二軒長屋の左は成就院(じょうじゅいん)の山門。その二軒長屋の右の「リボン」は婦人用品店。出桁造りの家が2棟あり、その右が「戸谷プランニング」という不動産屋。その右の看板建築は何の商売だか分らないが「E.N.J」の看板。写真右端は日よけに「(有)ウチヤマ・フラワー」の字が残っている「内山生花店」だった家。
現在は出桁造りの2棟が、2019年に竣工した10階建のマンションのようなビルに替わった。Googleマップでは「エヴァーグリーンホテル上野」。



コバヤシ、エンゼル工芸社。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

成就院の山門の左(南)にあった看板建築にした三軒長屋。コバヤシは看板に「ハンカチーフ/タオル製品/製造卸」としているが見たところ小売店に見える。
ストリートビューを見ると2012年頃に取り壊されて駐車場(三井のリパーク)になってしまった。

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フレンド。台東区東上野3-33。2006(平成18)年11月29日

写真の通りは清洲橋通りで、右(北)へいくとすぐ浅草通りとの稲荷町交差点。地下鉄銀座線の稲荷町駅があるから「稲荷町」というのが分りやすいだろうか。
横丁との角の家は、「プレミアム稲荷町」(2014年12月築、4階建)という集合住宅に建替えられて、2軒の店もそれに伴って廃業したようだ。左のほうの店は写真では定食屋のようだが店名が分らない。右の「コーヒー・軽食」のフレンドはレトロな喫茶店ということでいまだにネットで見かける。そのなかに1975年頃の開店という記事があった。1969(昭和44)年の住宅地図では「大森、コーヒー章」、1986(昭和61)年では「久乃園、フレンド」。フレンドの前も喫茶店だったらしい。

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