ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




木台製作所。台東区東上野3-28。2006(平成18)年11月29日

写真左の石垣は下谷神社で、浅草通りの南の裏通りにあった波トタン貼りの看板建築。ストリートビューを見ると2014年6月には取り壊されていてコイン駐車場に替わっている。フロン工業の建物はそれ以前に3階建ビルの住居に建て替わっている。
1966(昭和41)年の住宅地図では「木台製作所」。「木台」は商品のようにも思える。写真右に出桁造りの家が写っている。同地図の「青山工務店」だろうか。

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居酒屋カンジン。台東区東上野3-27。2008(平成20)年9月5日

手前の四つ角の右は下谷神社前郵便局。この郵便局は下谷神社の境内に建てられたビルを借りているのだと思う。戦前築の看板建築が並んで残っている。現在も家並みは変わっていない。
ストリートビューを見ると、「カンジン」は2010~13年に「タンポポ」、2018~2019年に「仙玉家(ソンオクヤ)」という店に替わった。いずれも「韓国家庭料理・居酒屋」「韓国風居酒屋」だ。
写真左の電柱の後は「東上野宮元町会事務所」。宮元町は旧町名かと思ったが、昭和39年以前は「南稲荷町」である。町会のHPに、平成8年に使い出した町会名で、「下谷神社宮元の町会であることから「宮元」と呼ばれることが多く」て改称したとあった。「宮元町」ではなくて「東上野宮元」だった。

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中村時計店。台東区東上野3-25。1989(平成元)年7月23日

浅草通りの東上野三交差点(下谷神社前交差点の西)から1本西の横丁を南へ入ったところ。現在も写っている範囲は不思議とそのままで変わっていない。
現在、中村時計店は営業中なのか怪しい感じだが、袖看板は付いたまま。同じ建物の右側は撮影時で住宅のようだが、1966(昭和41)年の住宅地図では「プロセス印刷」。その右の銅板張り看板建築は現在、「エコハート」の表札を出しているが、ガラス戸には歯科医院だったときの「堀内」の金文字が残っている。

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坂森七宝、ニシヤ商会。台東区東上野3-9。2008(平成20)年9月5日

浅草通りの東上野3交差点(下谷神社前交差点の1本西)から南へ100mのところ。戦前築の二軒長屋と銅板貼りの看板建築が並んで残っている。看板建築から左へ4軒の家は、個々に改装されているが四軒長屋かも知れない。
ガラス戸に「坂森七宝」と入っている家は「坂森七宝工芸店」の自宅だか社員寮だろうか。会社と店舗は浅草通りの元浅草1にある。
写真左の「エルザ」の赤い日よけの家は外観からして喫茶店だったと思うのだが、『相沢米店、他』の昭和62年頃の写真では「フードショップ・エルザ/和洋食材料卸・西谷商会」の袖看板があって、喫茶店だったという証拠がない。エルザの日よけは2017年には破れてしまい、取り替えられて遂にエルザの店名は消えてしまった。

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東部自協組合館。台東区台東4-14。2008(平成20)年3月1日

昭和通りの台東四丁目交差点から南へ150mほどの横丁を東へ入ったとところ。写真左(西)へ行くと御徒町公園。
写真のビルには玄関の両側とその左に円柱があって、玄関の上部に「東部自協組會舘」の建物名称と「東部自転車工業協同組合」という団体名が書いてある。建物はRC造のようだが2階建。奥行きは裏の道路まである。戦後まもなくの建築と思われる。
ストリートビューでは、2010.01では玄関に「多慶屋自転車修理受付入口」の看板。2013.07では「多慶屋本部ビル」と変わっていて壁の色がグレーに塗り直されている。2017年頃に取り壊されて駐車場になった。



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雪風ガレージ。葛飾区立石8-26。2010(平成22)年11月21日

京成立石駅の東に中川に架かる本奥戸橋がある。写真の家は橋から青砥駅へ向かう道筋にある。写真右奥が中川の土手。周囲は住宅街だが、元は農家だったと思われる広い敷地の家が何軒か残っている。写真の家もその1軒らしく、農家だった建物が2棟残り、広い敷地を駐車場にしている。「雪風(ゆきかぜ)ガレージ」という名前の会社にして経営している。
写真の家は農家の主屋。軒下を増築して商店にしたものと思える。自販機の内容から食品とタバコの店だったのかもしれない。

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本田屋酒店。葛飾区青戸1-11。2010(平成22)年11月21日

青砥駅東口から南へ50mのところ。青砥駅の東側は「青砥駅前通り商交会」が組織されていて、駅前を通る南北の通りは「青砥駅前通り商店街」と言っていいのかも知れない。商交会のHPには「昭和7年に京成青砥駅が完成し、商店が出来始める昭和16年に青砥駅前商店会が発足。大戦で活動中止の後、昭和24年5月に青戸駅前通り商交会として再開した歴史ある商店街」とある。
写真の本田屋は、右の方にコンビニの形態で店を出しているから、店舗を新しく造って、写真の店舗は倉庫か住居にしているように思える。建物は戦後まもなくの建築らしい。見ての通りの目を引く建物だから、ネット上でも幾つものサイトで取り上げられている。
歩・探・見・感>葛飾区本田淡之須町』に、梁に留められた横長の表札の写真が載っている。それには「葛飾区本田/淡之須町41/宇田川商店」と手書きで書かれている。本田淡之須町(ほんでんあわのすちょう)は1967(昭和42)年6月まで使われた旧住所。宇田川商店の屋号が町名からきた本田屋だったのか、とかってに想像してみる。



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なるけ明治屋。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

馬橋駅(写真右)のすぐ前にあった呉服店。何十年と写真のままの状態にあったような感じだ。駐輪場の一角に建っているような感じだが、昔はそこに家が建並んでいたのだろう。失礼ながら真っ先に駐輪場になってよさそうに思える。
建物は平屋の店舗と、その後に平屋に2階を増築したような住居部分が付いている。昭和30年頃の建築に見える。「なるけ」は店主の名前なのだろうか。
2014年頃に取り壊されて、向かいのパチンコ店キングイーグルズの駐輪場になった。


なるけ明治屋。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

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信濃屋洋品店。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

常磐線馬橋駅東口から東へ行って、旧水戸街道にぶつかる交差点。角に大きな看板を構えた店があった。看板に「呉服洋品」とあるから老舗の呉服店だったような感じだ。撮影時では自転車預かり所になっていた。右の入母屋屋根の家が主屋で、その前に店舗を増築したのだろうか。主屋を見る限り、1960年頃の建築と見える。2022年6月に取り壊されてコインパーキングになってしまった。
駅前から写真の交差点まで、「馬橋駅前通商店会」の表示板がついた街灯があるから、馬橋駅前通り商店街だったのだろうが、今は組織は解散したようだ。旧水戸街道は「馬橋東口商店会」の表示板をつけた街灯があり、古くからの商店街だったわけだが、こちらも今は実体はないようだ。駅と旧水戸街道の間に、常磐線と平行に南北に「本通り商店会」がある。HPも持っている商店街である。



はりや電機、染谷時計店。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

信濃屋の旧水戸街道側の隣。はりや電機はエアコンの取り付け工事などを主な仕事にしているようだが、店頭でブラウン管テレビを売っている。値段がはっきり見えないのが残念。染谷時計店は後の主屋が古そうだ。「コンピューター視力測定」の宣伝文句がもはや古い。すでに閉店して感じもする。
この2軒は2014年に住宅に建て替わった。

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阿部製作所。台東区台東3-27。2008(平成20)年3月1日

佐竹商店街の西の裏通り。1986年の住宅地図では、角が「阿部製作所」、左が「三鈴金属」、阿部製作所の後に二軒長屋。最近、「アパルトモン新御徒町a館」(2022年3月築、2階建4戸)という小さい共同住宅に建替えられた。

阿部製作所から北へ1区画行くと東西の通りに出る。その向かいは竹町公園。その角に写真の銅板張りの家があった。商売をしていた家と思われるが店名は不明。2013年頃取り壊されてTimesのコインパークになってしまった。右の野村製作所は現存している。


竹町公園前の家。台東3-31。2008(平成20)年3月1日

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