ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




友愛診療所。文京区根津2-8。2000(平成12)年5月3日

言問通りの、文京区と台東区との堺の交差点から南へ130mほどのところ。友愛診療所の玄関がその通りに面していたのなら、写真は北と東の面が写っていることになる。古い航空写真では、同じ大きさの寄棟屋根の家が2軒つながるように建っている。1986(昭和61)年の住宅地図では西の方が「友愛アパート」、東の方が「友愛診療所」だ。1966(昭和41)年の地図では2軒まとめて「友愛病院」。1947年の航空写真に写っているので、戦前からある建物かも知れない。
現在は「エクセリア文京池之端」(2001年5月築、4階建48戸)というマンションに替わっている。玄関に張られているのは建て替えの告知板だろう。

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アザミヤ、尼ヶ崎剥製標本社。文京区根津2-27。2005(平成17)年4月2日

不忍通りの根津小学校入口交差点で根津観音通り商店街の入口。角の店は看板に「ワイシャツ専門」としか読めないが「アザミヤ」というワイシャツの注文制作の店。その左は「尼ヶ崎剥製標本社」だった家で、すでに弥生2丁目に移っている。ストリートビューで見ると、この2軒は不忍通り拡幅のため、アザミヤは2009年以前、剥製標本社は2016年に取り壊された。
『ベスト・オブ・谷根千』(谷根千工房編著、亜紀書房、2009年、2400円+税)には、アザミヤは「手作りのYシャツを作り続けて60年。注文して10日でできる。値段は5千~8千円。…」とある。昭和初年頃の創業なのだろうか。
「尼ヶ崎剥製標本社」はそのHPによると、主に「剥製標本・骨格標本を製作」している会社。1970(昭和45)年の設立だが創業は明治。『ベスト・オブ』(「尼ヶ崎科学標本社」としてある)には、看板のシーラカンスのレリーフの写真が載っていて、確かに観た覚えがある。
根津観音通り商店街になっている通りは、戦時中にその北側が強制疎開になった。アザミヤと剥製標本社の幅で、建物が取り壊された。戦後、また建物が建並んだ。『不思議の町 根津』(森まゆみ著、ちくま文庫、1997年、720円+税)には、商店街の渡辺肉店のご主人の語る商店街の謂れが記録されている。七夕祭り大売り出しの飾り付けをした前での集合写真が載っている。それには大きな看板に「根津観音仲見世通り」になっている。その写真ではアザミヤは「あみもの講習所」。

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杉本染物店。文京区根津1-21。2005(平成17)年4月2日

根津神社の表参道口の向かい側の家並み。撮影の数年後には、三軒長屋とその右の家は建替えられた。写真左の杉本染物店は「和服専門 三河屋号 杉本染物舗」の看板を出していて今も営業中。写真右の家は1986年の住宅地図に「フジイメタル」、1969年の地図に「藤井商店」、その左の家は「金城中島建設」。
三軒長屋は人が住んでいるようには見えないが、鉢植えが置いてあるから、屋根が壊れていない1軒に住人がいるのかもしれない。
建て替わった1軒は「ねこや工業 ごんげん前」で、招き猫なんかの店らしい。その右に3階建住宅で、1階に店が2軒。1軒は「Happy Koala」という「手造り小物とお洋服」の店。もう1軒は「ツバメブックス」という古書とアンティークな雑貨の店。本の数は多くないがあなどれない品揃えだという。

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竹浪運送店。文京区根津1-22。2007(平成19)年10月18日

建て替わってしまったが、山の湯のあったところから根津神社の方へいったすぐ先。戦前築の3軒長屋だ。端が1軒分空いているので、そこも長屋が続いていたのかもしれない。昔の航空写真を見ると、参道の両側とも、この長屋のような建物が隙間無く並んでいた様子だ。
竹浪運送店は、看板を掲げているから営業しているようでもあるがどうなのだろう。ストリートビューで見ているので、はっきりとは分らないのだが、板の看板には「東京陸運局免許 昭和三十年八月十八日付/55東陸自貨二才七六九号/一般区域貨自動車運送事業/本店営業所」と読める。
根津神社の祭礼では、神酒所になるようだ。

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ローズ美容室。文京区根津1-23
左:2000(平成12)年5月3日、右:1990(平成2)年5月6日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ってすぐのところにあった看板建築の二軒長屋。ごく最近取り壊されて、2022年7月のストリートビューでは更地である。ローズ美容室は2019年に閉店した様子だ。日よけの文字は「ビューティサロン 梅沢稔の店」。1969年の住宅地図では「青木、うさぎやパン店」という記載。
右写真の左にわずかに写っているのは「林屋米店」。「グランドメゾン根津参道」(1996年7月築、12階建45戸)というマンションに建て替わっているが、その1階で今も営業中だ。

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山の湯。文京区根津1-22。2005(平成17)年4月2日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ったところにあった銭湯。2011年の東日本大震災で煙突が破損して休業していたが、そのまま廃業になってしまったという。その後1・2年で住宅に建て替わってしまった。
建物は戦前築のように思えるのだが、開業時期などの情報はネットでは探せなかった。モルタル仕上げの正面は、戦後の改修のように思える。前面に増築したような外観だ。
内部の様子は、『~極楽の湯~温泉・東京銭湯>山の湯』や、『風呂屋の煙突>山の湯』などで紹介されている。


2008(平成20)年9月10日

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みみずく家の並び。文京区後楽2-7。2001(平成13年)9月1日

みみずく家は写真左奥の、神田川沿いの通りとの角にあるタバコ屋。飯田橋から神田川沿いに北へ少し行って隆慶橋(りゅうけいばし)を渡った向かい側である。立派な広告塔が目を引いて名所のようになっていたと思う。『神楽坂散歩>みみずく屋』によると、「江戸東京の神田川」からの受け売りとして、「大正4年に日本で初めてタバコ小売所として認可を受け、店主は以後業界のリーダーとして活躍、昭和33年にタバコ販売業界としては初めて黄綬褒章を受けたという」とある。また、『落合学>なぜかミミズクが目につく神田川べり』には、みみずく家の由来を、初代が大のミミズク好きで、店中にミミズクの置物を置き、印鑑家紋もミミズクにしてしまい、いつしか客が「みみづくや」と呼ぶようになって、それを屋号にしてしまったのだそうだ。
上の写真ではみみずく家の並びに「戦後の看板建築」が並んでいる。昭和20年代に焼け跡に建てられたものかと思う。写真に写っている文字と1986年の住宅地図から推定して、右から「中華料理・後楽、居酒屋・やぐら/大久保理髪店、居酒屋・和かな/とんかつ・かつ喜、喫茶・珈琲党、雨宮煙草店(みみずく家)」。
写真の一角は再開発により2007年中には取り壊され、「住友不動産飯田橋ファーストタワー」(2007.09着工2010.04竣工、34階地下3階建)という超高層ビルに替わった。

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高田爬虫類研究所
文京区弥生2-20
2005(平成17)年4月20日

根津小学校の南、異人坂の下を通る細い道に「高田爬虫類研究所」があった。建物は屋上があるのでRC造2階建だろうか。奥行きはあまりない。1969年の住宅地図に、裏の家に「高田」とあるので、今ある裏の3階建のマンションのようなビルが住居だったのかもしれない。ストリートビューを見ると、2014年まではあって、2015年には取り壊されて駐車場になっている。現在は沖縄に「DINODON高田爬虫類研究所」があって、そこに移転したというこらしい。
『ウィキペディア>高田榮一』によると、高田榮一(1925-2009)は「へび博士」として知られ、1960年頃に自宅に「高田爬虫類研究所(爬虫類友の会/高田爬虫類研究所/高田動物生態研究所)」を創設したという。いつもニシキヘビを首に巻いていたらしい。
谷根千 其の二』に、研究所を訪問した記事が載っている。
團伊玖磨の『パイプのけむり』に高田氏と研究所のことが記してあった。内容をメモしておいたのだが、どこにメモしたのか分からなくなって紹介できないのが残念だ。

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長島歯科医院。文京区本郷4-14。2007(平成19)年2月17日

春日通りの東富坂(真砂坂)の坂上、真砂坂交差点を北へ入ったところで、写真左奥が春日通り。今は「真砂坂」の交差点名は使わないようで、一つ東の交差点が「真砂坂上」交差点。
ツタに覆われた廃屋は、1986年の住宅地図にある「長島歯科」だろうか。1974年の住宅地図では「ドレス小百合 ナガシマ歯科」。下の写真では歯科医院とは思えない玄関だが、2009年11月のストリートビューで建物左側の玄関を見ると、歯科医院だったとしてもいい構えだ。
建物は3階建木造ではないかと思うが、建築年代が分からない。戦後の建築のような気がする。SVでは2013年には取り壊されて空き地になっている。
春日通りとの角に「比田井設計事務所」があった。
春日通りの向かいの黄色の建物は「池田屋酒店」。現在は「プラウド本郷ヒルトップ」(2014年2月築、17階建89戸)というマンションに替わっている。



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東大球場。文京区弥生1-1。2019(平成31)年4月18日

東京大学弥生キャンパスにある「東大球場」は2010年9月に国の登録有形文化財に指定された。『文化庁>国指定文化財DB 』によると、「東京大学野球場観覧席・ダッグアウト及びフェンス」の名称で、建築年=1937(昭和12)年、構造=観覧席及びダッグアウトが鉄筋コンクリート造3階建、フェンスが鉄筋コンクリート造。解説文は「…内部に記者席、更衣室等を配する階段状の観覧席に、片持ち支持のアーチ形屋根を架ける。観覧席の左右に配されたダッグアウト、グラウンドを囲むフェンスを含め、全体をRCでつくる。戦前に遡る数少ない現役の野球場施設。」



東大球場。2019(平成31)年4月18日

観覧席の下に更衣室や倉庫などにした建物があり、観覧席はアーチ状の片持ち梁が支える屋根を取り付けている。写真ではよく分からないが、この梁のデザインが先端的で見ものである。



東大球場。2019(平成31)年4月18日

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