ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三原ビル。中央区銀座4-8。2000年(平成12)年1月18日

晴海通りの、最近まであった三原橋センター(三原橋地下街)から北へ入ったところで、写真の通りは三十間堀川を埋め立てた跡の道路。Googleマップでは「中京429号」となっている。戦後、三十間堀川は戦災残土の処理場とされ、昭和27年7月に埋め立て工事は完了している。写真の通りの中央がかつての川の中央になり、川の両岸は建物が建った。そのため、そこに建った建物は南北に長く、幅の狭いものが多い。三原ビルもそんな形のビルだ。
昭和30年(1955)頃の火保図に「三原ビル(コンクリート造5階建)和泉金属KK/ニュー東京観光バス」と載っているビルと思われる。2013年に取り壊されて2015年9月に、現在の8階建地下1階のビルに建て直された。「串八珍」は新しいビルに移っている。写真奥の赤い看板は「和人餃子房 俵屋」。

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奥野ビル、中央区銀座1-9。1990(平成2)年1月21日

中央通りの東の2本目の裏通り(銀座三原通り、平成元年度の命名)にある、有名なレトロビル。『 nippon.com>銀座で…』や『 buuuu chan’s Trip>かつての銀座アパートメント…』によると、オーナーの「奥野商会」の先祖がアパートとして建てたビル。「銀座アパートメント」の名称だった。RC造6階地下1階建て、7階が増築されている。2棟のビルが接していて、南側(左)の「本館」が1932(昭和7)年、北側の「新館」が1934年の竣工。各階に通路があるようだ。全70室の各部屋は3.5坪ほどのワンルーム。現在はギャラリーやアンティークショップなどが主に入っている。銀座の高級アパート、と言われたらしいが、ワンルームマンションだったわけだ。「奥野ビル」と名称変更したのは昭和32年。
設計は川元良一で、施主と交友があったという。九段会館(軍人会館、昭和9年)の設計者である。同潤会の建築部長を務めたこともあり、それもあって集合住宅の設計を依頼されたのだろうか。
外観も内部もあまり改修せずにきて、今ではかえってそれが人を引きつけている。建物を見学に来る人もけっこういるようだ。日々変化している銀座に、昔と変わらない空間がある、というのが老人にはほっと出来るし、若者には興味を引かれるのだろう。


2009(平成21)年8月21日
大日本図書ビルが取り壊されて奥野ビルの南の側面が見えている。

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Zoo、益子。横浜市中区野毛町1-43。2010(平成22)年4月10日

野毛町1丁目と2丁目の境を南北に通っているのが「野毛小路」で、そこの野毛中央通りとの交差点から少し入ったところから南の方向を見ている。写真右端が柳通りとの交差点。並んでいる建物は今も変わらない。
戦前の看板建築のような外観をした「Zoo」は、食べログの投稿記事によると2008年開業のダイニングバー。ストリートビューを見ると2021年頃に「地酒立ち呑み 酒母(しゅぼ)や」に替わっている。「やき鳥 益子」は、創業35年くらいになるらしい。
益子の右の建物は看板建築の四軒長屋のように見えるが、かなり大きい建物で、アパートに分類できるかと思う。野毛小路側に2階への入り口が2箇所あり、片流れ屋根である。Googleマップでは「第二・第三港興産ビル」となっていて、東に建っている写真のアパートよりいくらか小さい規模のアパートと一緒の名称のように思える。写真のアパートには「港興産」という不動産業の会社が入っているから、その会社の持ち物かもしれない。1階の床屋は「ヘアーサロンメトロ」。2014年以前に2階に移り、1階には「野毛ホルモンセンター」が入った。2015年にはメトロは廃業したらしい。

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左:山荘。横浜市中区野毛町1-28。右:亀鶴。野毛町1-36。2010(平成22)年4月10日

「世界のカクテル 山荘」は野毛中央通りの中程にあった。写真右の路地は「野花商店会」の表示板が街灯についていたが、2017年に外されている。ストリートビューを見ると、建物は2014年に取り壊されてコインパークになってしまった。店は野毛柳通りに移っている。「食べログ」の口コミによると、1955年創業の老舗バー。ジュークボックが人気で、昭和歌謡やオールディーズがいつも流れているらしい。

「亀鶴」は山荘横の路地を山荘の向かい側に入ったところにあった。廃業してだいぶ経つような感じだが、2014年以前には建物はなくなっている。

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きりたんぽ、神谷運送。横浜市中区野毛町1-15。2010(平成22)年4月10日

写真の家並みは「野毛 幻の鉄道路線」の跡の道路で、「野花商店会」といった通りだったようだが、その表示板のついた街灯は2017年にはなくなっている。写真左奥が「野毛中央通り」との交差点。その角の家は住居になっていて、そこから手前に、「スナック 炎、田舎料理 きりたんぽ、神谷運送株式会社、バー R」。
ストリートビューを見ると、現在は、炎が空き地に、きりたんぽは2014年以前に「酒場 ふくちゃん」に替わり、2018年に4階建の小さなビル建て替わった。神谷運送は2017年に住居のような家に建て替わったが会社は続いているようだ。「R」はすでに創業70年の老舗で、この界隈では珍しい本格的なバーなのだそうだ。

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旧バラ荘。横浜市中区野毛町1-12。2010(平成22)年4月10日

野毛 幻の鉄道路線」の跡に建っているアパートで、正面は「野毛柳通り」に面している。建物の東と西側は「野花商店会」の表示板が街灯についていたが、2017年にはなくなっている。
建物の外観は幾つもの家がくっついているように見えるが、航空写真で見るとわりと大きな一つの建物で、Google Mapでは「野毛建物」となっている。現在、入っている店は、「大衆肉酒場 武田屋、オーシャンバー旧バラ荘、スナックつばさ、スナックKEIみすぎ、沖縄料理 守礼の邦」で、撮影時とほぼ同じ。
野毛飲みcom>旧バラ荘」によると、「旧バラ荘」は1949(昭和24)年の開店で、現在の4代目店主は「バラ荘」という店名を残したとういことらしい。店内の調度などは開店時のものという。野毛建物が建ったときに開店したのだろうか。



写真の店は「居酒屋 圭」が閉店して、2013年に武田屋が開店。



守礼の邦(野毛建物の野毛柳通りの側と西側)

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上智大学クルトゥルハイム。千代田区紀尾井町7。1983(昭和58)年3月

上智大学四谷キャンパスにある、ミサと結婚式が行われる建物。クルトゥルハイムとはドイツ語で「文化の館」を意味するそうだ。「クルトゥルハイム聖堂」とも言われるらしい。『日本近代建築総覧』では「上智大学聖堂」としている。陸軍の軍人だった高島鞆之助(1884-1916)の邸宅として、明治30年代に建てられた洋館。1912(明治45)年に学校設立のため、カトリック修道会イエズス会が購入した。内部、特に2階はかなり改装されていると思われる。
「ネオルネッサンス風を基調とした建物で、外壁は、装飾を抑えた比較的シンプルな仕上がりとなっており、1階部分は石積み風、2階部分は茶系のタイル貼り、軒下から屋根廻りは木仕上げにするなど建物に変化を与えており、ペディメント(三角破風)を配した玄関が重厚な印象を与えている」( Visit Chiyoda(千代田区観光協会))。

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