ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



本郷館。文京区本郷6-20。左:1989(平成1)年5月5、右:1986(昭和61)年5月

旧森川町には明治期に建てられた木造建築が今でも何軒か残っている。本郷館は1905(明治38)年に建てられている。有名な建物で、今は取り壊しを巡って係争中のようだがそれには触れず、20年前の写真を掲載するだけにしておく。
とはいえ建物は現在の姿と変わらない。居住者のいない部屋は当然雨戸が閉められているのが写真では開いている、くらいのところだ。現状との違いがすぐ目に付くのは玄関の前の棕櫚がなくなったことだ。右の門柱が折れているのは関東大震災で倒れたためだろうか。

左:1988(昭和63)年1月30日、右: 2007(平成19)年2月16日

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魚安。文京区本郷6-21。1988(昭和63)年3月13日

写真左手へ行くと本郷通りの本郷弥生町交差点に出る。信号の「西片二丁目」は魚安の向い側だ。写真中央奥の木造の建物が有名な本郷館アパート。魚安の家は現在、4階建てのビルに建て替わったが魚安はその1階で盛業のようだ。ビルの3階に取り付けてある看板は写真の看板のままかもしれない。



丸半食堂。本郷6-26。1989(平成1)年5月5日

写真右奥は本郷通りの本郷弥生町交差点のすぐ南で、木立は東京大学のもの。写真左手手前の木造長屋に見える家はビルに替わったが、その他の木造家屋はまだ残っているようだ。


大学堂書店
本郷6-24
1988(昭和63)年1月30日

本郷通りの棚沢書店の少し北にあった。当時の住宅地図から、大学堂書店(古書)、小川楽器店(琴三玄)、金宝堂時計店、ライト商会(カメラ、建物は明治後期の出桁造り)、文神堂と並んでいる。
現在は「グラーサ本郷東大前」というマンションに替わった。その完成が2004年12月だから写真の家並みがなくなったのは2003年頃と思われる。

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若尾ビル。神奈川県横浜市中区本町4-34。1987(昭和62)年8月9日

本町通りの本町3丁目交差点の角で、現在は富士ソフトのビルに建て替わった。
若尾ビルは川崎鉄三という建築家の設計になるそうで、建築年は1925(大正14)年、昭和2年、昭和4年と資料によってばらばらだ。7階建てという横浜ではかなりの高層ビルで、当時のビルは3・4階建てくらいが普通だから群を抜くといっていいだろう。
横浜都市発展記念館>横浜絵葉書データベース』に本町通りを写した古絵葉書があって、縦縞に塗ったような若尾ビルが写っている。説明文に『大横浜』1930年第3号の記事が引用されていて「本町通りに聳ゆる摩天楼」は若尾幾太郎が建てたもので大正14年8月の竣工とある。
『有隣>川崎鉄三』には「大正14年の若尾幾太郎商店のビル新築の設計とともに横浜にやって来て、本町工務所主を名乗っている。 これは若尾商店の建築部のような存在であったらしく、事務所も若尾ビル内にあった。 若尾幾太郎(1884-1938)の父親幾造は甲斐出身の生糸王若尾逸平の弟である。」の記述がある。ぼくは甲州財閥とか若尾逸平のことはなにも知らなかった。
『暖頭冷心>横浜生糸産業は若尾ビルを中心に発展した(2007.09.23)』は若尾ビルと横浜若尾という生糸商の関連を考察していて、「幾太郎は横浜若尾の三代目、勉平の家督を相続した養子民造の三女が幾太郎の妻」「逸平の実の弟の幾造が1875(明治8)年に逸平が資金を出して横浜若尾(生糸問屋若尾商店)を創立」とある。幾太郎は後に江ノ電の経営に関与している。


上2枚:1988(昭和63)年8月6日
左:2009(平成21)年7月26日

上左写真の手前は横浜銀行協会の裏側。右奥に若尾ビルが写っているのでここに掲載する。
左写真は現在の富士ソフト横浜オフィス。1階の外壁や入口の円柱などは旧ビルにあったものを流用しているのだろうか。

1枚目の写真の左に協栄生命のビルが写っている。「協栄生命横浜ビル(片倉工業横浜支店)設計=森山松之助?、施工=清水組、竣工=昭和5年」なのだが、ぼくはなぜか撮りそこなった。

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横浜地方裁判所。神奈川県横浜市中区日本大通9。1987(昭和62)年8月9日(3枚とも)

設計=大蔵省営繕管財局横浜出張所(担当=小野武雄・保岡豊)、施工=大倉土木、竣工=1929(昭和4)年12月。1階の石張り、2階以上の外壁のスクラッチタイル張り、建物の角などの半円の突き出し部分、開口部を半円アーチにした車寄せと、外観はけっこう工夫しているがいまひとつ魅力に欠けるような気がする。
1997(平成9)年に解体されて、2001(平成13)年に完成したのが現在の建物だ。敷地の中央部分の高層ビルを取り囲むように旧ビルが復元された。



裁判所の南面

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横浜市外電話局別館。神奈川県横浜市中区日本大通11。1987(昭和62)年8月9日

現在は横浜情報文化センターの高層ビルが建っている場所で、写真右の2階建のビルが中区消防署日本大通出張所。出張所の場所は横浜市外電話局裏手の駐車場になっている。
コンクリートの塀に取り付けられた掲示板には「横浜市外電話局」、鉄扉にはNTTの文字とマークが付けられている。「別館」としたが、実際のビルの名称は知らない。



朝日生命。中区日本大通17。1987(昭和62)年8月9日

「簡易裁判所前」の信号があるのは大桟橋通りで、現在は「日本大通入口」という交差点になった。写真の建物のあった跡地にある「JPR横浜日本大通ビル」は1989年10月に竣工しているから、写真の足場は解体作業のためで、このあとすぐ建築工事に入ったと思われる。

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三井物産ビル
神奈川県横浜市日本大通14
2002(平成14)年1月19日

設計:遠藤於菟+酒井祐乃助、施工:三井物産直営で、1911(明治44)年に三井物産横浜支店として完成したビルである。「日本最初の全鉄筋コンクリート造のオフィスビル」ということ、セセッション・スタイルの外観など、建築史からみても重要な建築物となっている。
明治期に竣工したのは左側(1号館)の部分で、右側(2号館)と接合部とは昭和2年に増築されたもの。関東大震災での被害の修復と併せて増築工事が行なわれたということだ。増築部も含めて一体のビルとしか見えない。1号館だけではどうも収まりが悪いように思える。最初から増築する計画があったとしか思えないがどうなのだろう。
左右対称だと思っていたが写真をよく見ると窓の配列が異なっている。

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富国ビル。神奈川県横浜市中区本町2-21。左:1987(昭和62)年8月9日、右:2000(平成12)年7月9日

本町通りの三井銀行(現三井住友銀行)横浜支店の隣にあった。関東大震災の前の1920(大正9)年に完成したビルで、日本海上保険の横浜支店として建てられたという。「富国ビル」の名称は富国運輸という会社のビルになっているためだ。
小市民の散歩行こうぜ>西洋建築を訪ねて>海岸通り紀行」によると、昭和20年の終戦直前まで日本海上保険(後に日本火災海上保険、現在の日本興亜損害保険)が使い、昭和35年8月に富国運輸会社が日本相互銀行から買収して4階建てに改修したという。3階建てのビルが上に増築するのはしかたがないことで、このビルはそう目障りでもない。
2002年8月に解体されて、現在建っているビルは「心導会御神座ビル」というらしい。

左:2002(平成14)年1月19日、右:2000(平成12)年7月9日


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三井銀行横浜支店。神奈川県横浜市中区本町2-20。1987(昭和62)年8月9日

本町通りの中央あたりに、「三井住友銀行横浜支店」として今もこのビルのままで営業が続いている。現在、こんなクラシックな建物で銀行が普通に業務をしているところはほとんどないと思う。
日本橋室町の三井本館を設計したトローブリッジ&リヴィングストン(Trowbridge & Livingston)社の設計、清水組の施工で1931(昭和6)年に竣工した。T&Lは当時ニューヨークでは大手の建築事務所だったらしい。三井銀行の建物を他にもいくつか手がけている。


左:1988(昭和63)年8月6日、右:1987(昭和62)年8月9日

アメリカの建築事務所の設計だと知ると、建物から受け取る感じがアメリカ的なすっきりと乾いたものになる。日本的な情調があまりないというか…。西洋の様式建築だからないのは当たり前だし、だれの設計かなどという知識がなくても外観から受ける感じは変らないはずだが、ぼくは人の言うことにすぐ影響されるから知識によって感覚が左右されてしまうのである。


左:さくら銀行 2000(平成12)年7月9日、右:三井住友銀行 2002(平成14)年1月19日

三井銀行は1990(平成2)年、太陽神戸銀行と合併して「太陽神戸三井銀行」になるが、この名称は暫定的なもので、1992年に「さくら銀行」と名称を変更する。2001年4月1日、住友銀行との合併により「三井住友銀行」となる。
太陽神戸三井銀行となったときは、そのうちに太陽神戸三井三菱住友銀行になりはしないかと心配したが半分的中してしまった。

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本町旭ビル。神奈川県横浜市中区本町1-3。1987(昭和62)年8月9日

本町通りの横浜開港記念館と向き合っている。1930(昭和5)年に大阪の商社「江商」の横浜支店として建てられたという。施工は大林組。両側の玄関周りにテラコッタでライト風の装飾を施している。壁面はレンガ色のタイル貼りらしい。
江商とは1960(昭和42)年に兼松と合併して兼松江商(かねまつごうしょう)となった会社だろうか。


左:1987(昭和62)年8月9日、右:2009(平成21)年7月9日

現在のビルはファサードを保存する形で建替えられている。1995(平成7)年の完成で名称も「綜通横浜ビル」という。

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中区消防署日本大通出張所
神奈川県横浜市中区日本大通13
1987(昭和62)年8月9日

上の写真の前の道路は大桟橋通りで、右に写っているビルが横浜市外電話局。『日本近代建築総覧』に載っているが「S3、RC2」としか判らない。
現在は写真のビルの手前角に「旧居留地消防所」の碑を建て、その「地下貯水槽遺構」を見ることができるようにしている。明治の初期からこの地は消防施設になっていたらしい。
現在は旧横浜市外電話局の裏は駐車場と貯水槽遺構にしているだけだ。消防署出張所の建物が横浜情報センターの建設に不都合があったとも思えない。今考えると残しておいて、飲食店でも入居させればよかったのに、と思う。ぼくが思ってもどうしようもないが。

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