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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




菊地肉店。中央区佃2-21。2007(平成18)年9月28日

佃大通りの横丁との角にあった家。右に銅板張り看板建築として注目されている「中島商会」が今も残っている。昭和25年頃の火保図に、角の家が「菊地肉S」中島商会が「中島荒物S」としてあるので、古すぎるのだが建物名とした。写真ではすでに住宅の外観に改装されている。昭和10年頃の火保図に「住民の記憶を書込み」として「菊地和菓子、中島油ヤ」と記載されている。
ストリートビューを見ると、2010~2013年に2階建の住宅に建て直された。

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小山青果店。中央区佃2-14。2005(平成17)年3月25日

写真の通りは佃2丁目を南北二分する佃大通りで、左へ行くと清澄通り。当ブログ「岸田理容店/佃2丁目」の2枚目の写真、角の岸田理容店の左側の家並みである。見た感じでは戦後に建った看板建築に見える。戦前の看板建築を正面を改修したのだろうか。
写真の店は左の「小山青物店」から右へ、「明治牛乳佃島販売所、麻雀ラッキー、岸田理容店」。昭和25年頃の火保図では、新佃島西町1丁目7の住所で「小山八百ヤ、明治牛乳吉川、岸田床ヤ」の記載があり、昭和10年頃の地図に「住民の記憶を書込み」として「小山八百屋、吉川ミルクホール、岸田理髪」がある。
現在、岸田理容店は「R80番館」(2016年8月築、8階建8戸)というマンションに替わった。その他の家は、閉店してしまっているが家はそのままだ。八百屋は1階を住居に改修した。

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満楽。台東区鳥越2-6。2005平成17年4月8日

前の通りは左衛門橋通りで、右(南)へ行くとすぐ蔵前橋通りとの鳥越二交差点。おかず横丁の東側入口の向かい側だ。鳥越2丁目はほぼ全域が空襲で焼失しているが、この一画は焼けずに残ったのかもしれない。「戦災焼失区域表示帝都近傍図」でもそんなふうに見える。
写っている家は角の家から右へ、「東京玩具、吉野食品、満楽(中華洋食)、吉川木材」。
現在は「ヴェルステージ秋葉原イースト」(2008年3月築、11階建90戸)というマンションに替わっている。

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四軒長屋。台東区鳥越1-23。2005平成17年4月8日

おかず横丁の北、2本目の横丁。おかず横丁と同じく清洲橋通りと左衛門橋通りを結んでいる。両側にはけっこう戦前築の看板建築、長屋、出桁造りの商家が残っている通りだ。写真の家並みは現在もそのまま。
波トタン貼りの看板建築の四軒長屋は古くから住宅か家内工業所だったらしく、住宅地図でも個人名の他には、1966年の地図に右の1軒が「永井プレス」となっているだけ。長屋の左には「深谷電気商会」がある。ストリートビューでは2010年には花屋になっているが、2013年には空家になっていて現在までそのままのようだ。長屋の右は「仕出し弁当 浅草橋食堂」の看板が残る3階建ての家。

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高岡酒店。台東区鳥越1-1
2011平成23年12月18日

おかず横丁(鳥越本通り商盛会)の東側入口角の高岡酒店。横の大通りは左衛門橋通りで、写真左へ行けばすぐ蔵前橋通りとの鳥越二丁目交差点。高岡酒店は創業100年以上というが、建物が関東大震災後に建てられたものと見ての推測のような気もする。
銅板張りの看板建築で、後から見ると3階建て。3階の赤い外壁はトタンの錆だろうか。3階には窓がない。トタン板で塞いだのかもしれない。2階の窓は戸袋があるのが普通だがアルミサッシの窓にしたときにでも取り払ったのだろうか。
見所は菊正宗の看板。「醸造元株式會社本嘉納商店」は、1965(昭和40)年に「菊正宗酒造株式会社」に社名変更する前の会社名。「嘉納財閥」というものがあって、ウィキペディアによると、「「灘の生一本」で知られる、灘五郷の本家・本嘉納家(菊正宗)と分家・白嘉納家(白鶴)の酒造業を母体とする阪神財閥の1つ」。

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