ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




鳥喜の長屋。台東区台東4-3。1988(昭和63)年12月31日

竹町公園の南を通る通りに面している銅板貼り看板建築の長屋。現在も不思議と残っていて、居酒屋の鳥喜とその隣のマツヤキカイはそのまま続いている。ただし今も銅板貼りの正面が見られるのは1軒だけになってしまった。
6軒長屋に見えるが、左右で軒の高さや2階の窓の庇の高さが異なる。また両端がなくなっているので、元は3軒長屋と5軒長屋がくっついていたのだろうか。


看板建築。台東4-15
2008(平成20)年3月1日

写真左は路地で、ここを入ると 「九軒長屋」の西側の入り口がある。左の2軒長屋は壁をトタンの波板で貼り直している。右の錆びついたトタン貼りの家はすでに空き家らしい。

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米澤商店。台東区台東4-16。2008(平成20)年3月1日

看板建築の家は、当ブログ前回の「東文堂」で米澤商店とした家。東文堂が取り壊されて米澤商店の側面が見えている。その後ろに建っているのは、住宅地図の戸数を数えてみると九軒長屋である。写真右端の松田塾の後ろにも同じ九軒長屋がある。米澤商店と松田塾の間の路地を入ると九軒長屋が向かい合っていて、とても現在の東京とは思えない空間が出現する。上の写真には長屋の屋根の上に突き出ているものがある。明り取りかな、と思うのだが、天井裏の部屋があるのかもしれない。



九軒長屋。2008(平成20)年3月1日

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東文堂。台東区台東4-16。1989(平成1)年2月12日

平成小学校(旧竹町小学校)からその西側の通りの向かいを見たもの。出桁造りの四軒長屋と看板建築にした二軒長屋が並んでいる。左から「住居、岡村商事、東文堂、米澤商店(路地)松田塾、偕楽ビル」。東文堂は家内工業的な構えだ。なにかを製作しているのだろうか。米澤商店はたばこ屋と食品店のようだ。昭和40年代の地図では「米澤ガラス」の記載がある。
現在は四軒長屋の東文堂がビルに建て替わった。つまり四軒長屋の半分がなくなった。その他の家は残っている。



東文堂。1989(平成1)年2月12日


近影
2008(平成20)年3月1日

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東京小間紙制作所。台東区台東4-23。1988(昭和63)年頃

前の通りは清洲橋通りで、春日通りとの元浅草1丁目交差点のすぐ南。写真左から、川口工商ビル、東京小間紙制作所、ヴィラハイツ御徒町。現在は東京小間紙が3階建ての住居兼事務所のビルに建て替わっている。
建築当初には、3階のアーチ形窓など、もう少し装飾的な要素もあったと思われるが、写真からは製造所か倉庫に見えるだけだ。浅草橋5丁目にあった 「東京小間紙製造所」と、なにか関係があるのだろうか?


尾張屋。台東4-1
1985(昭和60)年10月27日

佐竹商店街を竹町公園の南側を通る通りが横切っているが、その四つ角。角の店は住宅地図では「尾張屋」で、衣料品店だろうか。

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小橋湯。足立区千住1-23。1990(平成2)年4月30日

本町センター通り商店街(旧日光街道)の、通りから東へ入ると、撮影時だったら区立千住小学校があった辺りになる。少し南(写真左奥)へ行けば区役所通りだ。千寿小は、今では「東京藝術大学千住キャンバス」及び「足立区立リエゾンセンター」、足立区役所は「東京芸術センター」及び「ハローワーク足立」などになった。「区役所通り」は「旧区役所通り」と言っているようである。
小橋湯は東京の伝統的な立派な建物である。ただし戦後に建てられたもので、戦後になっても、これだけの銭湯が建てられたことに驚く。千住ならでは、だろうか? 旧区役所通りの千住仲町側に「千住小橋跡」の石碑があるそうで、あるいはそれにちなんだ名前なのかもしれない。
写真右のどさん子ラーメンは、店舗もそのままで今でも続いている。看板建築風の小さな家で、看板も替えていないような感じだ。その左の空き地には4階建ての小さなビルが建った。銭湯は「ZAMAエンゼルハイム北千住(1992年4月竣工)」というマンションに。たぶん、小橋湯を経営していた人がオーナーなのだろう。その左は「和泉屋本店」だが、なんの店だったかは知らない。やはり1階に店舗がはいったマンションに建て替わっている。

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市川歯科医院。足立区千住1-27
左:1990(平成2)年4月30日、右:2003(平成15)年1月12日

東京都足立都税事務所の東の裏通りを南にいったところにある歯科医院。日本家屋の住宅のようだが、1階の表側を洋館のような造りにしている。三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓と、いかにも街のお医者さんの家といった風情である。
最近、見に行ったところ、下の写真のような状態になっていた。周囲の家がなくなって、例によって駐車場になっている。狭い裏通りと路地の角にはまっていたように感じていた家が、今はむき出しにされたような具合で、落ち着かない。



近影。2012(平成24)年7月14日

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国道4号の東の裏通りにあった民家。今は取り壊されて駐車場になっている。右後ろのビルは潤徳女子中学校。足立区千住2-15。2003(平成15)年1月12日



つるや染物店。千住2-34。1990(平成2)年4月30日

本町センター通り(旧日光街道)から西へ入るわりと広い横丁で、勝専寺の山門(赤門)に突き当たる。つるやは、現在は取り壊されて駐車場になっている。どこかに移ったのだろうか。写真左の美容室アサノはなくなったがビルは今も建っている。写真右に門が見えるが、つるやの後ろにあるお屋敷の門。
『東京いま・むかし』(桐谷逸夫・桐谷エリザベス著、日貿出版社、平成8年、2,987円)によると、ご主人の森昌三氏は大正3年生まれ、群馬県伊勢崎市の出身。昭和9年に伊勢崎の機屋の中継ぎで働くようになる。戦後も京都や大阪で修業、昭和29年に写真の家を手に入れて独立した。その2年後に結婚。夫人は浅草日本堤のお針子さんで、仕事に関しても信頼できる人で、二人でがんばってきたらしい。本書には店内の絵も載っている。

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洋風二軒長屋。足立区千住2-19。1985(昭和60)年10月

本町センター通りの西の裏通りで、写真右手に50m位で北千住駅前通りに出る。長屋の左の家は民家のようだが、現在は井口病院の敷地になり、長屋は住宅に建て替えられている。
玄関が二つあるので長屋としたが、左の玄関はふさがれているから一世帯で使われているらしい。一階は和風だが、2階は洋風の看板建築のように見える。



平屋の民家。千住2-19。2003(平成15)年1月12日

井口病院の向かい。写真右手の「歌えるスナック・レジェンド」「中華料理・幸和」などは今もそのままだ。平屋の家は、今は取り壊されてコイン駐車場(AS千住駐車場)になっている。



路地の民家。千住2-31。2012(平成24)年7月24日

2枚目の写真に「きね鮨」の看板があるが、矢印のほうへ入る路地があって、その奥にあることを示している。上の写真はその路地で、奥へ進むと本町センター通りの竹内商店のところに出る。

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理容クロネコ
足立区千住2-58
1988(昭和63)年12月11日

写真右のアーケードが北千住駅前からの「きたろーど1010商店街」の大通り。そこから北へ入る「北千住サンロード商店街」(現・宿場町通り、旧日光街道)との角にあった床屋。入り口は、建築当時はメインストリートだったと思われる旧日光街道に向いている。
千住2丁目と3丁目の境は、この辺りでは駅前通りの裏の路地になっている。昔はその路地が主要な道路だったわけだろう。「検番横丁」というのがそれかもしれない。駅前通りは昭和6年に、国道4号までが整備されたという。駅前通りのアーケードは昭和32年に設置され、写真のものは昭和57年に改装されたもの( 「千住の歴史」参照)。
現在は「ジェイシティ北千住ステーションテラス(2002年7月竣工)」という、ガストが入っているマンションに替わっている。クロネコは今もそのビルで商売している。撮影時の住宅地図では、宿場町通り側の隣(写真左端)は備中屋桜井商店、大通り側の隣(写真右奥)はカメダカバン店、その先は第一勧業銀行千住支店だった。



竹内商店。千住2-30。1990(平成2)年4月30日

旧日光街道は、北千住駅前通りから南は「本町センター通り」という商店街になる。千住2丁目は空襲での焼失を免れた地域だが、旧日光街道沿いの商店などは、ほとんどがビルに建て替わっていて、現在では昔のままの建物は写真の竹中商店の他には1・2軒あるかどうか。竹内商店はいわゆる駄菓子屋。

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八軒長屋。中央区日本橋蛎殻町1-37。1985(昭和60)年5月5日

水天宮前から隅田川大橋への通り(水天宮通り)にあった洋風の商店長屋。2軒は曲がった横についていて、1軒はなくなっているが、八軒長屋になりそうである。写真右の横丁を入ると中央区役所日本橋出張所(地図では「日本橋劇場」とも)がある。通りは鉄板が敷かれているが、地下鉄半蔵門線の工事だと思う。
角は2軒分を日宝商事(事務用品・事務用機械)が入り、隣も2軒分を高延商店(工具)が使い、その隣が手島氷店。この店は現在、長屋の左端のところに移ったが、2階建ての家を建てて商売を続けている。ネットには「純氷」を売っている店として出てくる。ちなみに1986年の住宅地図では右から「日宝、高延、手島、自転車車庫、エリザベス」。現在はマンションに替わっている。




上:1987(昭和62)年6月7日
左:2002(平成14)年6月

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