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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




雪風ガレージ。葛飾区立石8-26。2010(平成22)年11月21日

京成立石駅の東に中川に架かる本奥戸橋がある。写真の家は橋から青砥駅へ向かう道筋にある。写真右奥が中川の土手。周囲は住宅街だが、元は農家だったと思われる広い敷地の家が何軒か残っている。写真の家もその1軒らしく、農家だった建物が2棟残り、広い敷地を駐車場にしている。「雪風(ゆきかぜ)ガレージ」という名前の会社にして経営している。
写真の家は農家の主屋。軒下を増築して商店にしたものと思える。自販機の内容から食品とタバコの店だったのかもしれない。

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本田屋酒店。葛飾区青戸1-11。2010(平成22)年11月21日

青砥駅東口から南へ50mのところ。青砥駅の東側は「青砥駅前通り商交会」が組織されていて、駅前を通る南北の通りは「青砥駅前通り商店街」と言っていいのかも知れない。商交会のHPには「昭和7年に京成青砥駅が完成し、商店が出来始める昭和16年に青砥駅前商店会が発足。大戦で活動中止の後、昭和24年5月に青戸駅前通り商交会として再開した歴史ある商店街」とある。
写真の本田屋は、右の方にコンビニの形態で店を出しているから、店舗を新しく造って、写真の店舗は倉庫か住居にしているように思える。建物は戦後まもなくの建築らしい。見ての通りの目を引く建物だから、ネット上でも幾つものサイトで取り上げられている。
歩・探・見・感>葛飾区本田淡之須町』に、梁に留められた横長の表札の写真が載っている。それには「葛飾区本田/淡之須町41/宇田川商店」と手書きで書かれている。本田淡之須町(ほんでんあわのすちょう)は1967(昭和42)年6月まで使われた旧住所。宇田川商店の屋号が町名からきた本田屋だったのか、とかってに想像してみる。



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近江屋写真用品両国分室。墨田区両国3-19。1986(昭和61)年9月7日

写真左の通りは京葉道路(国道14号)で、両国橋東の両国橋交差点と緑一丁目交差点との中間辺り。現在は「文友社ビル」(1991年1月築、8階地下1階建)が建っている。
戦後まもなくの建築と思われる建物は「近江屋写真用品株式会社 両国分室」と「近江屋倉庫」。
倉庫は写真をよく見ると石積みのように見える。『上浅青果店、春日屋米店/両国2丁目』に載せた「昭和20年9月28日」の写真の、両国国技館の左に見える焼け跡に残る建物がそれではないか。

デジカメWatch>2016.01.26』の記事によると、近江屋写真用品株式会社は写真機材卸業者の大手で、HANZA(ハンザ)という写真用品のブランドでも知られていた。1915年の創業。デジカメなどの普及で業績が落ち込み、電子映像関連に携わるも2004年10月にはフジカラーイメージングサービスに営業譲渡して解散した。



1989(平成元)年6月25日

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純喫茶 白鳥。墨田区両国4-33。1986(昭和61)年9月7日

JR両国駅の南の京葉道路(国道14号)の両国三丁目交差点を北へ入ったところ。現在は「大衆酒蔵 日本海 両国店」が入っていて、外壁などが改修されている。玄関上部、2階の2連アーチ窓のステンドグラスは残っているがその右の六角形の窓は潰された。
1969(昭和44)年の住宅地図に「白鳥ビル」で出ているので、そのビルと思われる。1965年頃の建設になるのだろうか。
撮影した頃には白鳥のはす向かい(両国3-24)に「高砂部屋」があった。そこには「ヴィラロイヤル両国」(1980.08築、7階建21戸)というマンションがあるのだが、その1階が高砂部屋だったのだろうか。

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馬場精肉店、香取飯店。江東区亀戸3-59、58。2005(平成17)年4月23日

亀戸香取勝運商店街(香取大門通り)にあった商店。石川海苔店の北隣が「中沢つけもの店」があった駐車場、その隣が写真左の「馬場精肉店」。ストリートビューを見ると、2013年7月には建物が取り壊されていて駐車場になっている。2022年9月のSVでは後のビルと一緒にビルの工事中だ。
写真右の「香取飯店」2010年1月のSVで、すでに駐車場。『食べログ』に残っていた2005年の口コミには、「味はそれはもう絶品…店内には、この店を訪れた有名人の写真やら、雑誌の記事やらがベタベタ貼ってある…このお店のおじさんは台湾で修行をしてきた方で、…オーダーをとるおばさんと、厨房で頑張るおじさんと息子さん…お店を飾る満艦飾の飾りも、すべておじさんの手作り」だという。
2002年放送の『出没!アド街ック天国』で20位、その解説に「昭和39(1964)年開店。ご主人川畑さんは北海道松前町出身です。香港と台湾の料理学校を卒業しています」とあった。

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丸誠青果店。江東区亀戸3-59。2005(平成17)年4月23日

亀戸香取勝運商店街(香取大門通り)から西へ入る路地で、写真左の突き当たりに「スーパーサンケイ」がある。建物は左から「菅原硝子、丸誠青果店」、通りに出る角が「石川海苔店」。ストリートビューを見ると、石川海苔店になったのは2014年頃で、その前は「プレドール」というパン屋だ。撮影時もそのパン屋だったのかもしれない。石川海苔店の建物はレトロ商店街を目指した事業に乗って、2011年頃に看板建築に改装された。2022年のSVでは、再度改装されてごくあっさりした外観になっている。
丸誠青果店は2016年頃に建て直されて、住居の外観に替わった。ただし、「マルセイ」の袖看板が玄関の上に付いているのは、どこかに店舗があって事務所にしているのか、昔の看板を単に飾っているだけなのだろうか。
写真右奥の通りの向かい側は「川銀ビル」。2011年頃には「江戸まち茶屋」の看板を挙げて、甘酒や団子を出す甘味処になった。2017年のSVでは看板は外されているから廃業したのだろうか。


石川海苔店。左:ストリートビュー(2010年1月)、右:同(2014年6月)より。

「スーパーサンケイ」は地元では有名なスーパーマーケットだったらしい。紹介しているサイトがいくつかあって、それによるととにかく商品が安かったという。賞味期限間近のものを格安で販売するのはテレビでよく見るが、ここでは社長の保証で賞味期限切れのものも販売したようだ。
会社情報サイトに、設立は1986(昭和61)年12月とあった。2016年11月に閉店。『東京Deep案内>亀戸「サンケイスーパー」のモッタイナイ商品棚』によると、建物の老巧化が廃業の理由の一つで、築70年というから戦後まもなくに建てられたものだったらしい。

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坂本青物店。江東区亀戸3-60。2005(平成17)年4月23日

蔵前橋通り(都道315号)と明治通り(都道306号)が交差するのが「亀戸4丁目交差点」。そこから南へ450mで総武線亀戸駅である。その交差点から蔵前橋通りの1本西の、北へ向かう横町の入り口に鳥居が立っている。亀戸香取神社の参道で、「香取大門通り」の商店街である。近年は「亀戸香取勝運(かちうん)商店街」を名乗っている。『江東おでかけ情報局>亀戸香取勝運商店街』によると、「江東区で最も古い歴史を持つ商店街で、元々は香取神社の境内だったという参道に端を発し、明治の頃から発展してきた」という。
スカイツリー(2012年開業)の観光客を呼び込もうと、商店を看板建築にして、昭和30年代の商店街を再現して観光地化する事業を始めた。香取大門通り会会長の発案で、江東区も後押ししたようである。2011(平成23)年春に一応の完成をみた。レトロな商店街が注目される時勢だから、悪くない発想とは思うが、買いたくなる商品が必要だろう。亀戸天神からの客が回ってくればいい、というところかもしれない。
上の写真は看板建築に改装するまえの商店の並び。右から、「坂本商店(八百屋)、丸定(味噌)、カトリ美容室、すみれ緑花園」



看板建築化した商店。ストリートビュー(2022.02)より。

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丸枡染色。葛飾区柴又4ー27。2006(平成18)年5月5日

柴又街道(都道307号)の柴又6丁目バス停の西側に、現在はスーパーのOlympicがあるが、その裏手に「丸枡(まるます)染色」の本社と工場がある。写真は敷地の北側にあった工場で(倉庫かもしれないが)、右奥のビルが事務所棟(1989年完成)。左の白い壁が新しい工場で、現在は切妻屋根の工場は取り壊されて時間貸し駐車場になっている。
丸枡』によると、丸枡染色は1901(明治34)年「丸桝友禅工業」として城東区亀戸に創業した。友禅とは布に模様を染める日本の代表的な技法。1939(昭和14)年に現在地に移転。事業の拡大で広い工房が必要になったのかと想像される。1969(昭和44)年「丸枡染色株式会社」に組織変更。この頃から対象を和服から洋服への転換を図ったらしい。以後、積極的に自動化、コンピュータの導入を進めていって現在の隆盛がある、ということらしい。今では小物、ストールなどの自社ブランドも持っている。



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模型くらぶ。葛飾区柴又4-7。2006(平成18)年5月5日

柴又駅前の広場から南へ、「柴又親商会」という商店街がある。逆に北へいけば帝釈天参道につながっている。親商会商店街は京成金町線の踏切までの間の200mと東の2本の横丁。この道路は踏切の先はそのまま京成の線路に沿うようにゆるくS字型にカーブしながら南西に延びて「さくらみち」(旧佐倉街道)にぶつかる。佐倉街道から柴又帝釈天へ向かう「帝釈道」の古道である。この古道はさらに南西に延びて「諏訪野の渡し」で中川を渡り、葛飾区立石8-38の「帝釋天王/文政三庚辰歳四月」の道標に至る。

柴又親商会の中程に「模型くらぶ」という模型店がある。HPを持っていて、そこには「昔ながらの模型屋です、古くて小っちゃいです宜しく」とある。『Bizloop>模型くらぶ』によれば創業は1976年という。店内を探せば古いストックがありそうな感じだが、店主は自分でも模型を作る人らしく、完成品の販売もしているということで、店の在庫品くらいは頭に入っている様子だ。

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三軒長屋。葛飾区柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

当ブログ前回の「アパート」の裏手といったところにあった平屋の三軒長屋。長屋とは言え3軒にそれぞれ門と玄関がついている。玄関の上の漆喰塗りの壁に空いている飾り窓が、それぞれ形が異なるのが面白い。まん中の家に「有限会社 ニッタ」の看板が出ている。
ストリートビューを見ると、2009年7月ではすでに更地で、2013年7月では現在の住宅が建っている。


長屋の前の道路は、水戸街道(国道6号線)の亀有警察署前交差点(葛飾区新宿4)と柴又帝釈天を結ぶ古道で、警察署裏手の旧水戸街道からの分岐点には「帝釈道」の道標が立っている。この古道を「国分道」ともいい、市川市の国分寺と結びつけられるらしい(『柴又七福神めぐり』)。「帝釈道」でもいいのだろうが、その名前の道は南から帝釈天へくるものもあって、区別するために「国分道」を使っているのかと思う。今は住宅街を通っているなんということもない道路だが、明治期までは帝釈天への往き来に結構人が歩いていたような感じの道筋だ。戦前まではこの道路の北側は水田が広がっていたようだ。



民家。柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

三軒長屋の西の角を南へ入った路地。写真左奥に三軒長屋が写っている。現在は、なにかの商店だったらしい手前の家と、その左、三軒長屋との間にあった、やはり長屋と思われる家が、それぞれ同じような住宅に建て替わっている。

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