ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




近江屋写真用品両国分室。墨田区両国3-19。1986(昭和61)年9月7日

写真左の通りは京葉道路(国道14号)で、両国橋東の両国橋交差点と緑一丁目交差点との中間辺り。現在は「文友社ビル」(1991年1月築、8階地下1階建)が建っている。
戦後まもなくの建築と思われる建物は「近江屋写真用品株式会社 両国分室」と「近江屋倉庫」。
倉庫は写真をよく見ると石積みのように見える。『上浅青果店、春日屋米店/両国2丁目』に載せた「昭和20年9月28日」の写真の、両国国技館の左に見える焼け跡に残る建物がそれではないか。

デジカメWatch>2016.01.26』の記事によると、近江屋写真用品株式会社は写真機材卸業者の大手で、HANZA(ハンザ)という写真用品のブランドでも知られていた。1915年の創業。デジカメなどの普及で業績が落ち込み、電子映像関連に携わるも2004年10月にはフジカラーイメージングサービスに営業譲渡して解散した。



1989(平成元)年6月25日

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純喫茶 白鳥。墨田区両国4-33。1986(昭和61)年9月7日

JR両国駅の南の京葉道路(国道14号)の両国三丁目交差点を北へ入ったところ。現在は「大衆酒蔵 日本海 両国店」が入っていて、外壁などが改修されている。玄関上部、2階の2連アーチ窓のステンドグラスは残っているがその右の六角形の窓は潰された。
1969(昭和44)年の住宅地図に「白鳥ビル」で出ているので、そのビルと思われる。1965年頃の建設になるのだろうか。
撮影した頃には白鳥のはす向かい(両国3-24)に「高砂部屋」があった。そこには「ヴィラロイヤル両国」(1980.08築、7階建21戸)というマンションがあるのだが、その1階が高砂部屋だったのだろうか。

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馬場精肉店、香取飯店。江東区亀戸3-59、58。2005(平成17)年4月23日

亀戸香取勝運商店街(香取大門通り)にあった商店。石川海苔店の北隣が「中沢つけもの店」があった駐車場、その隣が写真左の「馬場精肉店」。ストリートビューを見ると、2013年7月には建物が取り壊されていて駐車場になっている。2022年9月のSVでは後のビルと一緒にビルの工事中だ。
写真右の「香取飯店」2010年1月のSVで、すでに駐車場。『食べログ』に残っていた2005年の口コミには、「味はそれはもう絶品…店内には、この店を訪れた有名人の写真やら、雑誌の記事やらがベタベタ貼ってある…このお店のおじさんは台湾で修行をしてきた方で、…オーダーをとるおばさんと、厨房で頑張るおじさんと息子さん…お店を飾る満艦飾の飾りも、すべておじさんの手作り」だという。
2002年放送の『出没!アド街ック天国』で20位、その解説に「昭和39(1964)年開店。ご主人川畑さんは北海道松前町出身です。香港と台湾の料理学校を卒業しています」とあった。

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丸誠青果店。江東区亀戸3-59。2005(平成17)年4月23日

亀戸香取勝運商店街(香取大門通り)から西へ入る路地で、写真左の突き当たりに「スーパーサンケイ」がある。建物は左から「菅原硝子、丸誠青果店」、通りに出る角が「石川海苔店」。ストリートビューを見ると、石川海苔店になったのは2014年頃で、その前は「プレドール」というパン屋だ。撮影時もそのパン屋だったのかもしれない。石川海苔店の建物はレトロ商店街を目指した事業に乗って、2011年頃に看板建築に改装された。2022年のSVでは、再度改装されてごくあっさりした外観になっている。
丸誠青果店は2016年頃に建て直されて、住居の外観に替わった。ただし、「マルセイ」の袖看板が玄関の上に付いているのは、どこかに店舗があって事務所にしているのか、昔の看板を単に飾っているだけなのだろうか。
写真右奥の通りの向かい側は「川銀ビル」。2011年頃には「江戸まち茶屋」の看板を挙げて、甘酒や団子を出す甘味処になった。2017年のSVでは看板は外されているから廃業したのだろうか。


石川海苔店。左:ストリートビュー(2010年1月)、右:同(2014年6月)より。

「スーパーサンケイ」は地元では有名なスーパーマーケットだったらしい。紹介しているサイトがいくつかあって、それによるととにかく商品が安かったという。賞味期限間近のものを格安で販売するのはテレビでよく見るが、ここでは社長の保証で賞味期限切れのものも販売したようだ。
会社情報サイトに、設立は1986(昭和61)年12月とあった。2016年11月に閉店。『東京Deep案内>亀戸「サンケイスーパー」のモッタイナイ商品棚』によると、建物の老巧化が廃業の理由の一つで、築70年というから戦後まもなくに建てられたものだったらしい。

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坂本青物店。江東区亀戸3-60。2005(平成17)年4月23日

蔵前橋通り(都道315号)と明治通り(都道306号)が交差するのが「亀戸4丁目交差点」。そこから南へ450mで総武線亀戸駅である。その交差点から蔵前橋通りの1本西の、北へ向かう横町の入り口に鳥居が立っている。亀戸香取神社の参道で、「香取大門通り」の商店街である。近年は「亀戸香取勝運(かちうん)商店街」を名乗っている。『江東おでかけ情報局>亀戸香取勝運商店街』によると、「江東区で最も古い歴史を持つ商店街で、元々は香取神社の境内だったという参道に端を発し、明治の頃から発展してきた」という。
スカイツリー(2012年開業)の観光客を呼び込もうと、商店を看板建築にして、昭和30年代の商店街を再現して観光地化する事業を始めた。香取大門通り会会長の発案で、江東区も後押ししたようである。2011(平成23)年春に一応の完成をみた。レトロな商店街が注目される時勢だから、悪くない発想とは思うが、買いたくなる商品が必要だろう。亀戸天神からの客が回ってくればいい、というところかもしれない。
上の写真は看板建築に改装するまえの商店の並び。右から、「坂本商店(八百屋)、丸定(味噌)、カトリ美容室、すみれ緑花園」



看板建築化した商店。ストリートビュー(2022.02)より。

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丸枡染色。葛飾区柴又4ー27。2006(平成18)年5月5日

柴又街道(都道307号)の柴又6丁目バス停の西側に、現在はスーパーのOlympicがあるが、その裏手に「丸枡(まるます)染色」の本社と工場がある。写真は敷地の北側にあった工場で(倉庫かもしれないが)、右奥のビルが事務所棟(1989年完成)。左の白い壁が新しい工場で、現在は切妻屋根の工場は取り壊されて時間貸し駐車場になっている。
丸枡』によると、丸枡染色は1901(明治34)年「丸桝友禅工業」として城東区亀戸に創業した。友禅とは布に模様を染める日本の代表的な技法。1939(昭和14)年に現在地に移転。事業の拡大で広い工房が必要になったのかと想像される。1969(昭和44)年「丸枡染色株式会社」に組織変更。この頃から対象を和服から洋服への転換を図ったらしい。以後、積極的に自動化、コンピュータの導入を進めていって現在の隆盛がある、ということらしい。今では小物、ストールなどの自社ブランドも持っている。



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模型くらぶ。葛飾区柴又4-7。2006(平成18)年5月5日

柴又駅前の広場から南へ、「柴又親商会」という商店街がある。逆に北へいけば帝釈天参道につながっている。親商会商店街は京成金町線の踏切までの間の200mと東の2本の横丁。この道路は踏切の先はそのまま京成の線路に沿うようにゆるくS字型にカーブしながら南西に延びて「さくらみち」(旧佐倉街道)にぶつかる。佐倉街道から柴又帝釈天へ向かう「帝釈道」の古道である。この古道はさらに南西に延びて「諏訪野の渡し」で中川を渡り、葛飾区立石8-38の「帝釋天王/文政三庚辰歳四月」の道標に至る。

柴又親商会の中程に「模型くらぶ」という模型店がある。HPを持っていて、そこには「昔ながらの模型屋です、古くて小っちゃいです宜しく」とある。『Bizloop>模型くらぶ』によれば創業は1976年という。店内を探せば古いストックがありそうな感じだが、店主は自分でも模型を作る人らしく、完成品の販売もしているということで、店の在庫品くらいは頭に入っている様子だ。

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三軒長屋。葛飾区柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

当ブログ前回の「アパート」の裏手といったところにあった平屋の三軒長屋。長屋とは言え3軒にそれぞれ門と玄関がついている。玄関の上の漆喰塗りの壁に空いている飾り窓が、それぞれ形が異なるのが面白い。まん中の家に「有限会社 ニッタ」の看板が出ている。
ストリートビューを見ると、2009年7月ではすでに更地で、2013年7月では現在の住宅が建っている。


長屋の前の道路は、水戸街道(国道6号線)の亀有警察署前交差点(葛飾区新宿4)と柴又帝釈天を結ぶ古道で、警察署裏手の旧水戸街道からの分岐点には「帝釈道」の道標が立っている。この古道を「国分道」ともいい、市川市の国分寺と結びつけられるらしい(『柴又七福神めぐり』)。「帝釈道」でもいいのだろうが、その名前の道は南から帝釈天へくるものもあって、区別するために「国分道」を使っているのかと思う。今は住宅街を通っているなんということもない道路だが、明治期までは帝釈天への往き来に結構人が歩いていたような感じの道筋だ。戦前まではこの道路の北側は水田が広がっていたようだ。



民家。柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

三軒長屋の西の角を南へ入った路地。写真左奥に三軒長屋が写っている。現在は、なにかの商店だったらしい手前の家と、その左、三軒長屋との間にあった、やはり長屋と思われる家が、それぞれ同じような住宅に建て替わっている。

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アパート。葛飾区柴又1-46。2006(平成18)年5月5日

写真左の通りは、柴又駅と京成高砂駅を結んでいる通りで、京成金町線の西側を平行に走っている。ヤフー地図には「都道307号」の表示があるが、都道307号は普通は柴又街道を指すわけで、ここではその「支線」ということにしておく。写真のアパートは支線の柴又駅のすぐ北で、右へいくと柴又八幡神社。
特に珍しい建物でも無いが、ストリートビューで見ると2009~2013年の間に取り壊され、2015年に現在の新しい店舗付きアパート、「ともよし荘」が建ったので、記録として出しておく。
写真のアパートの店舗は、奥から「婦人服の店 サクラヤ、不明、はり・きゅう・指圧 草間マッサージ院、メガネのまつざわ」。



ストリートビュー、2009年7月より

1枚目写真の左奥は五叉路の交差点。その方からの、ストリートビュー(2009年7月)の画像。歩道の内側に信号がある。「支線」の左側の車に向いているのだが、その車に「注意して進め」と指示しているようだ。支線に侵入してくる他の道路は一時停止になっているので、ほとんど意味が無いと判断されたのか、2015年に撤去されたようだ。

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ETCダンススクール。葛飾区東金町1-17。2005(平成17)年3月20日

JR金町駅から西へすぐの「金町一番街通り」の一つ西の横丁で、その北端。写真右方向が南で駅のほう。周辺は3・4階の小さなビルが多いが、木造2階建てのアパートが残っている。昭和30年代のものだろうか。改修されてはいるが現存していて「さいとう食堂」という東南アジアの料理店になっている。2020年7月の開店という。写真左の駐車場には2014年に3階建の小さなビルが建った。
「金町GINZA」の街灯が立っている。「金町駅前通商店会」のメインの通りは金町駅北口から西へ、イトーヨーカドーへの通りだが、そこから北への横丁も含む。イトーヨーカドーの西にあった三菱製紙の工場跡地に東京理科大学が移ってきたので、2013(平成25)年6月に銀座商店会を「金町理科大商店会」に名称変更した。街灯はそれ以前に現在のものに替えられていたようだが、改めて「金町理科大商店会」の表示の看板に替えられた。
イトーヨーカドー金町店の開業は1973(昭和48)年。「金町自動車教習所」があった場所に建ち、教習所は店舗の屋上に移った。

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