ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




宮川商店。中央区築地1-4。1987(昭和62)年12月27日

平成通り沿いにあった戦前築の木造家屋は今や絶滅寸前だが、築地二丁目交差点の角で、「宮川食鳥鶏卵商」の銅板貼り看板建築の建物は、一人でがんばっている。回りがビルに替わっていく中で、いたって存在感を増している。店主が忙しくて建替えている暇がないのかもしれない。2011年に東京都選定歴史的建造物に認定されたので、当分はこの建物でやっていくつもりのようである。
建物は1929(昭和4)年に建ったものという。見たところ総3階建てのようで、3階は屋根裏部屋ということでもないようだ。1階はほぼ全面的に改装していると思うが、2・3階は元のままと思える文字が残っていて、原形を保っているのだろう。
「宮川食鳥鶏卵株式会社」の創業は1901(明治35)年である。創業の地がどこだったか知らないが、関東大震災後に魚市場が築地に移ったので、現在地に店を普請したということはありそうだ。平成通りは今では新大橋通りの裏通りのような感じになっているが、昭和初期では新大橋通りは震災復興事業で新設されたばかりであり、市電の走る平成通り(当時の通りの名称は知らない。新富座通りなら分かりやすかったかもしれない)のほうがメインストリートだった。その角地に店を構えたのだから、すでに商売で成功していた、ということだろうか。


1987(昭和62)年10月4日

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一九堂印刷所。中央区築地1-9。1987(昭和62)年12月27日

平成通りの築地二丁目交差点角の宮川鶏肉店は銅板貼りの看板建築として有名だが、その店からすぐ南に一九堂のビルがある。写真のビルは建て替えになる前の旧ビル。 「株式会社一九堂印刷所」のHPによると、1910(明治43)年創業して、すでに創業100周年を過ぎた会社だ。沿革にある、1936(昭和11)年に新築したのが写真のビル。外見は割と地味なビルだが印刷所にしてはけっこう贅沢に造っているという感じもする。現在のビルは1989(平成1)年の完成。
下の写真では一九堂の左に料亭の米田中が写っている。現在は「アロア築地ビル」(2002年11月築)に替わり、その1階は「築地寿し鮮総本店」。米田中という料亭がどういうものだったのかは、ネットからではなにも判らなかった。



1985(昭和60)年6月2日

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上:萬成社(不動産屋)の三軒長屋
左:蒲信食品
中央区築地1-12。1987(昭和62)年12月27日

平成通りの築地小学校(現・京橋築地小学校)の向かいにあった日本家屋の商店建築である。かつては単に電車通りといっていたこの通り沿いでは、昭和末には、出桁造りの家や外見が和風の長屋は写真の2棟しか残っていなかったと思う。
蒲信食品は昭和25年頃の火保図には「石田魚や」となっている。その右のビルの建築工事中のさらに右はもう上写真の三軒長屋である。真ん中の店は昭和25年頃の火保図に「ラジヲ川崎」とある川崎電機店だった店。写真右端のビルは清華ビルで、清華園という中華料理屋があったところだ。
三軒長屋の左に竹でも植わっているように見えるのは、三軒長屋の裏にある芳蘭亭への入り口である。昔の航空写真で見ると芳蘭亭は立派な日本家屋のようで、戦前の地図にも載っているので、中華の料亭ではないかと思う。現在は三軒長屋、芳蘭亭、清華ビルなどが「築地えとビル」になった。ネットで調べると芳蘭亭は大衆的な中華レストランのようだ。想像だが、築地えとビルができると芳蘭亭はそこの地下で店を再開、2012年9月に銀座2丁目の昭和通り沿いのビルに移転した、ということらしい。

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高野商事。墨田区東向島2-24。1989(平成1)年6月25日

水戸街道の東向島三丁目交差点から南にいく道路が曳舟たから通りで、すぐに東武伊勢崎線(東武スカイツリーライイン)のガードである。写真の看板建築の長屋はその手前にあった。現在は「ベルメゾン東向島弐番館」(2003年9月築、8階建42戸)というマンションに替わった。
上写真右から、福島自転車(看板の字が消されているようなので廃業したらしい)、高野商事(1968年の地図では「スミダ菓子」)、カトウ看板店、第二豊(居酒屋)、関澤商店(下写真左の関澤商店の事務所で、裏手には作業場があったようだ)、サンエス商会(D.P.E.)、鮒源(佃煮)。鮒源は今のマンションの1階で盛業中だ。



1枚目写真と同じ範囲を東武電車のガードの下から。1989(平成1)年6月25日

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ヒツジヤ手芸店。墨田区東向島2-23。1989(平成1)年6月25日

水戸街道の東向島三丁目交差点のすぐ南。写真左から、ナシモト洋服店、岩井タイル工業所、ヒツジヤ(ボタンと洋裁付属)、トノムラ釣具店。木造の商店は戦前の建物と言っていいのかもしれないが、前面の造作は戦後のものらしい。現在では岩井工業とヒツジヤがなくなって、その後方に大きなマンションが建った。ナシモトは作業服の専門店として同じ建物で商売が続いている。



向島魚大。2013(平成25)年3月17日

東向島三丁目交差点の角に魚大、その右にナシモト、後方は「コスモ向島ロイヤルフォルム」(2001年11月築、13階建85戸)。魚大の建物は一見戦後の建築のようにも思えるが、昭和22年の航空写真には同じような建物が写っている。 「向島魚大」では、創業して70年だというから、そのときに建てたのかもしれない。
写真左奥は曳舟たから通りで、この交差点が起点だ。その反対側に伸びるのが地蔵坂通りで、あまり賑わっているようには見えないが、商店街には違いない。その通りが墨堤通りに出る手前に「地蔵坂魚大」という魚屋がある。向島魚大とはなにか関係があるのだろうか?

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百花堂薬局。墨田区東向島2-22。1989(平成1)年6月25日

水戸街道の東向島二丁目交差点。角が百花堂薬局、その左が宮尾たばこ店。百花堂は営業しているのかどうか微妙な感じだ。店名は向島百花園に因むのだろう。現在は下の写真のように取り壊されて隣や裏の家の横側が観察できる。宮尾たばこ店も今は廃業したように見える。
百花堂の横を入ると東武曳舟駅がすぐである。百花堂の裏の飯田歯科は外壁を改装して上の写真の家を使い続けている。



近影。2013(平成25)年3月17日

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リハツ松床。墨田区東向島2-20。1989(平成1)年6月25日

約25年前の水戸街道の家並み。東向島2丁目交差点の少し南で、「萬屋糸店」の3枚目の写真の左に続く家並みである。リハツ松床とスナック・ロビーは撮影時は営業していたようだが、いつのまにか空き家になって二軒長屋の建物が残っていた。つい最近、ついに取り壊されたようだ。ロビーは昔からスナックとして使われてきたらしく、1968年の地図では「バーボン」、1985年の地図では「真知子」となっている。ファサードが微妙にレトロで味がある。
貸駐車場には「ハーモニーレジデンス東京イーストコア」(2011年2月築、11階建50戸)というマンションが建った。その右の看板建築の家は建て替わって「しゃんぷう」というペットサロンになっている。その右の茶色の家は1985年の地図では「パーマかなめ」。壁が改装されたが残っている。



近影。2013(平成25)年3月17日

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剣馬商店。墨田区東向島2-19。2008(平成20)年12月3日

水戸街道から 萬屋糸店の横を入ると、ほぼ南に続いていて曳舟川通りに出る。途中で東へ折れれば東武曳舟駅だ。明治の地図にあるから古道と言っていいだろう。写真の長屋はその道沿いの水戸街道の近くにあった二軒長屋。ごく最近取り壊されて、一戸建て住宅が2棟建つらしい。写真では左の家は何年も空き家になっている様子だ。コカコーラの看板が残っていて、駄菓子屋かパン屋だったように思える。




相馬食料品店。東向島2-19
2013(平成25)年3月17日

1枚目写真の長屋の前を右へ行ったすぐのところ。三軒長屋だと思う。真ん中の家が「相馬食料品店」の看板をあげているが自販機のみの営業なのだろうか? その右は1985年の地図では「加藤商店」だが廃業したように見える。残っている看板から雑貨屋だったのかもしれない。
左写真奥のマンションは「サンパレス東向島」(1981年1月築、5階建て38戸)。1968年の地図では「昭和造機株式会社」で、その跡地に建ったものだ。昔の航空写真を見ると敷地内に何棟もの切り妻屋根の建物がくっついて建っていて、工場だったように見える。

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萬屋糸店。墨田区東向島2-20。1989(平成1)年6月25日

萬屋糸店は水戸街道の鳩の街商店街入り口のすぐ北の向かい側で、今も健在だ。タバコも売っていて、「深谷たばこ店」と併記した地図もある。深谷商店の屋号が萬屋なのだろう。
その左も同じ出桁造りの商家で、木の枠のガラス戸が並ぶ1階の正面などは建築時からのものらしい。すでに商売は廃業したように見える。現在はマンションの敷地になって消滅した。



萬屋の裏側。2008(平成20)年12月3日



上村理髪店。東向島2-20。1989(平成1)年6月25日

現在、「ラ・シェーナ曳舟アクアーリナ」(2004年5月築、41戸)というマンションになったが、マンションが建つ前の家並み。左から、「JAPAN COMMERCE CO」、住宅、ヘアーサロン・カミムラ(上村)、住宅、パール商会、住宅、萬屋糸店。

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ゆもと酒店。墨田区京島3-63。2009(平成21)年1月19日

十間橋通りの文花三丁目バス停付近には看板建築にした商店長屋が今も何棟か見られる。戦前の木造長屋だから貴重な遺構のはずだが、この辺りでは数が多いからだろうか、なんとなく普通の感じがしてくる。
上の写真はゆもと(湯本)酒店が入っている四軒長屋。ゆもと酒店のベランダは路上にはみ出してはいないか? 写真左の横丁が「二軒長屋+貸家」が並ぶ横丁だ。



狸小路。京島3-63。2009(平成21)年1月19日

1枚目写真の四軒長屋に続く家並み。1戸建ての狸小路と洗光舎とその隣が二軒長屋になるのだろうか。1968年の地図では「白木屋、洗光舎支店、平井商店」、1985年では「狸小路、洗光舎、シミズ洋菓子店」。その先は区立第四吾嬬小学校の西の横丁が入っていて、その一方の角の白い家は三貴工業所。

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