ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




区立京華小学校。中央区八丁堀3-17。1987(昭和62)年4月29日

鍛冶橋通りと新大橋通りとの交差点が八丁堀駅前交差点。1990(平成2)年に京葉線の八丁堀駅ができる前は本八丁堀交差点といったらしい。その交差点の一つ西側の裏通りが「鈴らん通り」で、戦前は都内でも有数の繁華街だったという。京華小学校は鈴らん通りの入り口の角にあり、現在は「京華スクエア」という施設に転用されて建物は健在だ。
京華小学校は1901(明治34)年に開校し、1993(平成5)年に鉄砲洲小学校と合併して中央小学校となり、校舎は鉄砲洲小学校の校舎を改築して移転した。その間の沿革はネットでは調べられなかった。

『日本近代建築総覧』では「区立京華小学校(旧東京市京華尋常小学校)、建築年=昭和4年、構造=RC3階建て、設計=東京市、施工=銭高組、備考=「東京市教育施設設復興図集」による」。その『東京市教育施設設復興図集』(東京市役所編纂、昭和7年、2円70銭)には、「京橋区元島町二番地」の住所で、起工:昭和3年5月4日、竣工:昭和4年4月20日、請負者・本工事:銭高組、建設費:市費負担=436,906円・区費負担=34,430円、などとある。
外観を他の復興小学校と比べると、これという特徴に乏しい。規模が小さいためデザインに凝るような余裕がなかったのだろうか。





京華スクエア。2011(平成23)年11月7日

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蓬萊土地建物。文京区千駄木5-2
上:1990(平成2)年6月17日
左:2000(平成12)年5月3日

団子坂の団子坂上交差点から本郷保健所通りに入ってすぐのところ。二軒長屋の銅板張り看板建築風の家があった。「蓬萊土地建物」の看板だが、1986年の地図では写真右端の家から「コンドッティ、寿楽、フジサワ」。なんの店だったのか分からないが、1974年の地図では「中村工務店、マキ、藤沢洋服」で、藤沢洋服はテーラーだろうか? 左の写真では二軒長屋が写真左の2棟の家に建て替わっている。
左写真中央のコンドッティの右に古い民家が2棟写っている。現在はいずれもビル型の住宅に替わっている。もっと近寄ってきちんと撮っておくのだった。

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泉名アパート。文京区千駄木3-22。2007(平成19)年12月1日

不忍通りから本郷保健所通りへ上る坂道は何本もあるが、道灌山下交差点近くに「きつね坂」がある。正式に名前がある坂道かどうか分からない。きつね坂の南には「狸坂」があるから、こっちはきつね坂でいいだろうと、割と近年言うようになったように思われる。
写真の家はきつね坂の、南への横丁との角にある洋館付きの住宅。入母屋屋根の和風の家の前面に、奥行きがあまりない洋館がくっついている。洋間は1階の蔵の上にのった2階にあるのが珍しい。建物名は1986年の住宅地図による。



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穂積医院。文京区千駄木3-21
2007(平成19)年12月1日

不忍通りの道灌山下交差点の裏手にあった医院。閉院してからかなり経つ感じである。庭木で建物がどんなものなのかさっぱり分からないが、戦後に建てたものだ。グーグル古地図の昭和22年の航空写真を見ると、医院のある場所は空襲の被害を被ったように見える。
左の写真は門の中を覗いたもの。古い、医院の看板を目にして、塀の看板では分からない医院名を記録しようとして写したものだ。「穂積醫院」と旧字で書かれているが、住所は「文京區駒込林町九三番地」なので、昭和22年に文京区が成立した後に作られた看板だ。
現在はモダンな住宅に建て替えられて、塀も造り直されているのだが、門柱は残してある。位置も写真のままかもしれない。

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望月電機商会。文京区千駄木3-26。2007(平成19)年12月1日

不忍通りの道灌山下交差点のすぐ南。二階建て木造の家は今も残っている。写真右から、住宅、タクミ酒店、路地、望月電機商会、小西商会(建築金物・機械工具)。
写真左のビルは「野村ハイツ」というマンションだが、今は「グランプラス千駄木」(10階建56戸、2013.10築)に建て替わっている。1974年の地図では駐車場で、その奥の裏通りに面して野村さんの家がある。野村ハイツの「野村」だろうか? 



茂原帽子店。千駄木3-26。2007(平成19)年12月1日

1枚目写真の「野村ハイツ」の南の家並み。「タスキン ターミニックス」の看板の家は戦後まもなくの建築かと思える。その左に二軒長屋が残っていて右の家には「茂原帽子店」の看板を揚げている。現在、タスキン(以前は「三愛製版」)の家は普通の住宅に建て替わったが、二軒長屋は残っている。茂原帽子店の看板は塗りつぶされて、商売はやめたらしい。


茂原帽子店。千駄木3-26。2007(平成19)年12月1日

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昭和通り南側の入り口。江戸川区南小岩8-26。2018(平成30)年1月14日

「昭和通り商店街」の南側は柴又街道(写真右手)との交差点から始まる。すぐ南には千葉街道とも交差しているが、なにぶん小岩駅からは離れているから、そこからの人の流れはない。写真のように入り口付近には飲食店が立ち並んでいるが、その先へ行くと商店街とは言いにくくなる。
角の店は「ビニタ」というインド料理の店。昭和通り側の隣の出桁造りの家も同じ店が使っている。内部はつながっているらしい。出桁造りの家は戦前築だと思うが、角の家も昭和22年の航空写真に写っている家と思えるので、やはり戦前に建ったものらしい。



ビニタ、さくら、わたでん。南小岩8-26。2018(平成30)年1月14日

出桁造りのビニタの南は看板建築風の家が並ぶ。居酒屋の「さくら」、家電と携帯電話の「わたでん」、鶏肉・焼き鳥の「鳥七」、中華料理の「萬石」。
「わたでん」は昭和3年の創業、小岩店は昭和23年に開店したという。この店は柴又街道側の、間口一杯にケータイを吊り下げて、タイル壁のようにしている異様な光景が有名である。

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篠田屋酒店。江戸川区南小岩8-4。2018(平成30)年1月14日

小岩駅南口から南西方向に柴又通りまで一直線に通っている「昭和通り商店街」は、その真ん中あたりで「小岩中央通り五番街」と交わる。その先は商店街という感じではなくなり、閉店してしまった店が多い。外灯も駅側とは違ってしまう。
ビルに替わっていないところは、上の写真のような具合で、古い家も看板建築風に造った戦後のものだ。中に戦前の建物かと思える酒屋があった。「篠田屋酒店」で、平屋に見えるが、後ろは二階建てになっているのかもしれない。

下の写真は柴又街道との交差点で、南側の昭和通り商店街の入り口。左角の家は戦後に建てたものらしいが、正面を看板建築のように造っている。店名は読めないが、横の字は「野菜/果物」なので八百屋だった家だ。


昭和通り南側の入り口。南小岩8-3。2018(平成30)年1月14日

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ABCファミリー衣料店。江戸川区南小岩7-29。2018(平成30)年1月14日

小岩駅南口から南西方向に千葉街道までまっすぐに通じている「昭和通り商店街」には格安の衣料品店が多いそうだ。ABCファミリーはその一つで、建物は平屋なので戦後すぐに建てられたバラックのようにも見えるが右の二階建て部分もあって、戦前築の建物なのかもしれない。
ABCファミリーの右は空き家になっているらしい看板建築風の店舗。その家の裏には、モルタル壁に「定食居酒屋さがの」と書かれているが、通りの表側は居酒屋だったようには見えない。



リシャール。南小岩7-29。2018(平成30)年1月14日

リシャールは「Gal’s Bar」と看板にあるが女の子向けの店ではなくギャルが接待する店らしい。建物は戦後に建てられたモルタル壁のアパート風のもの。裏から見るとまるで廃屋だが、今もその状態のままで使用しているようだ。夏は隣の家と共に蔦で覆われる。


リシャールの裏側。南小岩7-29。2005(平成17)年3月15日


マルキ屋寝具店。南小岩7-29
2018(平成30)年1月14日

リシャールの右(南)は空き地で、続いてふとんの「マルキ屋」とカメラの「もりかわ」の看板建築風の店舗、そして小さな看板建築風の空き店舗(2013年のストリートビューでは「越後屋」)、と戦後まもなく建てられたと思われる古い建物が並ぶ。


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What'z up?、ミヤザキ花店。江戸川区南小岩7-23。2005(平成17)年3月15日

JR総武線の小岩駅南口から「昭和通り商店街」に入って「小岩中央通り五番街」との交差点まで250mほどだが、その間の商店街の西側にある古い建物を紹介する。駅側入り口からすぐのマルイ漬物店は当ブログ前回で取り上げた。
次はマルイ漬物店から5・6軒南の並び。看板建築の二軒長屋で、「What’z up?」という古着屋の小岩店と「花の店 ミヤザキ」。ワッツアップは2000年頃の開店で、その前は袖看板がそのまま付いているように「ぜにや菓子店」。建物は戦後に建てたように見える。

下の写真はミヤザキ花店から横丁を2本通り過ぎたところにある二軒長屋。2軒とも空家ではないかと思う。裏の駐車場から建物の裏側を見ることができるが、2005年の写真から13年経った今では、どうみても廃屋である。


小岩ラジオ商会。小岩7-30。左:2018(平成30)年1月14日、右2005(平成17)年3月15日



オオタニ家庭金物店。小岩7-31。2005(平成17)年3月15日

随分と間口が広い店だが奥行きはそれほどでもない。正面の看板建築風の造りは戦後の改修のようだが、本体は昭和22年の航空写真に写っている建物かもしれない。

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ヤマグチ時計店、竿辰。江戸川区南小岩7-27。2005(平成17)年3月15日

JR総武線の小岩駅南口から南へ、千葉街道までの一直線の道路が「昭和通り商店街」。駅に近い方は「南小岩昭和通り商店街」で、千葉街道に近い方が「小岩昭和通り商店会」、と組織はふたつある。なぜか北にある方が「南小岩昭和通り」。
ヤマグチ時計店は駅から昭和通り商店街に入ってすぐのところにある古い三軒長屋。衣料品店(丸正傘店?)、ヤマグチ、釣具の竿辰が入っている。昔は五軒長屋くらいあったらしい。竿辰の二階の壁は銅板だかトタンを石積み風に見せたもので、あるいはオリジナルのファサードか? 竿辰は昭和16年開業の老舗。平成23年9月にすぐ近くだが昭和通りの裏手へ移った。


石渡文具店、マルイ漬物店
南小岩7-23。2005(平成17)年3月15日

ヤマグチ時計店の向かい側の二軒長屋。こちらは二軒とも石積み風の二階の壁が見られる。写真左奥の居酒屋「つるや」はストリートビューを見ると建物がなくなっていた。

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