ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




月の井酒造店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町161。2005(平成17)年12月13日

写真の通りは大洗町の「曲がり松商店会」の通り。大洗町役場の北の辺りになる。曲がり松商店会は、そのHPによると、「昔から町の中心機関が点在し、明治の終わり頃から昭和の中頃まであった「磯浜海水浴場」の発展と共に栄えた大洗を代表する商店街」だという。また「曲がり松」は江戸時代からの地名だという。
月の井酒造店」は1865(慶応元)年、酒蔵として創業。屋号は「松前屋」。立派な店舗の左右、駐車場から「ヘアーサロンさくま」の後一帯が醸造所と酒蔵らしい。建物のデータはネットではさがせなかった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





手の字屋染張店。台東区東上野5-5。1991(平成3)年6月30日

鮒忠東上野店の交差点から東へ行った通りで、写真右奥は浅草通りの下谷神社前交差点に出る。1986(昭和61)年の住宅地図(セイコー社)では、右角から左へ「手の字屋/染谷、梅村、沼津屋、ウエストインパート14上野」。1966(昭和41)年の地図では角の家が「染張/召手の字屋」。2018年に取り壊される前は、建物右のショーウインドーが取り外され、欄間に「シャンテール サロン・ド・ベア」の看板がついていた。
現在は、写真の木造の3棟が「Brillia上野プレイス」(2020年9月築、14階建39戸)というマンションに建て替わった。

写真左のマンションの隣には「下谷税務署」があった。ストリートビューの2010.01に見られる3階建のビルがそれらしい。2013.07では更地になっている。1991(平成3)年7月に「東京上野税務署」に名称変更しているから、そのときに東上野から池之端に移ったのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






町田本院。台東区東上野5-6
上:2008(平成20)年9月5日
左:1989(平成元)年7月23日

鮒忠東上野店の交差点を東へ行った南側。空襲の被害を受けなかった地域なので、古い木造家屋は戦前からある建物だ。1986(昭和61)年の住宅地図では上の写真右から「光電舎(右の駐車場)、森設備、中田アパート、町田本院、荒川ビル(1階に長寿庵)」。手元にある1966(昭和41)年の地図では「KK光電舎東京営業所、山室商店、町田医院、立川/花島、やぶそば」。
ストリートビューで見ると、2019年5月には町田本院と荒川ビルが解体されたところで、2020年3月では町田本院の右の建物がなくなって駐車場になっている。現在は跡地に建物が建つこともなく、駐車場と自転車置き場になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





陰山美容室。台東区東上野5-13。1991(平成3)年6月30日

鮒忠東上野店」の北の裏通り。「陰山美容室」は美容室の看板も床屋のポールも出ていないので、窓は開いているがすでに廃業していたのかも知れない。現在は半分は空き地、半分は3階建の住宅になっている。ということは、1階の軒(のき、庇)が共有しているので、二軒長屋だろうか。
写真左の家はモルタル壁の看板建築で、トタン張りの横を見ると出桁造りかと見える。その家の左は「小松屋・馬橋豆腐店」で、正面は看板建築。この2軒は戦前からある家だろう。看板建築の部分がそう古そうに見えないので、戦後の改修なのかも知れない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





芳屋印刷第一工場。台東区東上野5-22。2008(平成20)年3月2日

清洲橋通りの裏通りで、手前の路地を右(東)へ抜けると清洲橋通りの上野小学校(旧清島小学校)のすぐ北に出る。路地との角の看板建築は住居になっているようだ。外壁がきれいで戦後の建築のようにも見えるが、改修してのものかも知れない。
写真奥は2階が後退した三軒長屋。建物左が平屋になっているが、元は四軒長屋だったのだろうか。2013年のストリートビューではガラス戸に「芳屋印刷第一工場」と読め、その一社で使っていたようだ。2015年頃取り壊され、2020年8月に「minn東上野」というアパート型ホテル(8階建8室)が建って開業した。


北から撮影。2013年8月3日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





丸共寝具店。横浜市中区野毛町2-89。2010(平成22)年4月10日

県道218号(桜木東戸塚線・平戸桜木道路)の野毛二交差点。写真左に野毛中央通り、写真右に行くと柳通りの入り口で、その間に1950年頃に建てられたと思われる店舗の建物が並んで残っていた。今は丸共が「クラスミライ横浜」(2023年4月築。6階建)という貸事務所、濱や地所はそのままで、その右は「イニシア横浜桜木町」(2020年2月築。10階建119戸)というマンションに替わっている。
写真の店は左から、「丸共寝具店、濱や地所、茶所しんり、一京屋たばこ店、中華 三幸苑、かめや寿司店」。
「丸共寝具店(スリープショップ丸共)」は、『タウンニュース>野毛の寝具店「丸共」95年の歴史に幕2018.05.17』によると、1923(大正12)年11月、「かさぶろう」という商人が野毛で布団店を開いたのが始まり。「その後、行商から貸布団や打ち返しの全盛の時代をへて、高級羽毛布団などを扱う寝具専門店として今日に至る」という。2018年7月末に野毛店は閉店した。鶴ヶ峰本店が営業している。
建物が残ってしまった「濱や地所」は、『はまれぽ>野毛で篭城…2019.01.21』によると、2007年頃に入居してきた。それ以前も30年ほど不動産屋だったという。さらにその前は、建物の壁の上部に「疊」の字のレリーフがあることから畳屋だったと思われる。
「しんり」と「一京屋」は建て替わったマンションの1階に移った。
1963年(昭和38年)創業という「三幸苑」は野毛3丁目に移っている。
「かめや」は食べログの投稿記事によると、1935(昭和30)頃に居酒屋として開店、昭和25年に鮨屋になったという老舗。再開発を機に廃業したのかも知れない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )