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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




神戸住友ビル。兵庫県神戸市中央区栄町通(さかえまちどおり)1-1。1992(平成4)年8月5日

『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では、「神戸住友ビル、設計=住友合資会社工作部、施行=清水組、建設年=昭和9年(1934)、構造=鉄筋コンクリート造3階建」。住友銀行神戸支店として建設された。設計者は「長谷部竹腰建築事務所」が普通である。長谷部鋭吉(1885-1960)は「1933年:住友合資から5万円の出資と29名の移籍を得て(株)長谷部竹腰建築事務所を設立」(ウィキペディア>長谷部鋭吉)したから、神戸住友ビルが竣工したときには住友銀行から独立している。設計はそれ以前のことだったかもしれない。
外観は2階まで通しの半円アーチを3つ並べた、住友銀行共通のモチーフが使われている。玄関やアーチの縁などに細かい装飾も施されている。
2001年4月にさくら銀行と合併して三井住友銀行になったときは「三井住友銀行神戸中央支店」となったが、2002年10月には店舗としての営業は閉店した。
栄町通は金融街と言われたほど銀行が集まっていたが、阪神淡路大震災で戦前築の銀行建築の多くが失われた。神戸住友ビルはなんとか残ったと思っていたが、2014年に取り壊されてしまった。



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コニ・ビオラ。台東区三筋2-1。2008(平成20)年3月1日

写真の通りは蔵前小学校通りという東西の通りで、右の3階建のビルが「株式会社コニ・ビオラ」という会社の社屋で、新堀通りとの蔵前4西交差点角に建っていた。左の住居はコニ・ビオラの社長宅だったらしい。1969(昭和44)年の住宅地図では住宅の「小西」とコニ・ビオラの旧社名「古西商店」とが「=」で結んである。
コニ・ビオラのHP』によると、ねじなどの小さな金具を製造販売する会社で、創業は1872(明治5)年としている。関東大震災で事業は中断していたらしいが、1953(昭和28)年に「株式会社小西商店」を設立して再開したという。1992(平成4)年に「株式会社コニ・ビオラ」と改称した。
現在は「クリオラベルディ蔵前」(2021年7月築、12階建39戸)というマンションに建替えられて、その1・2階に入っている。

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難波(なんば)仏具店。台東区寿2-8
2008(平成20)年4月2日

浅草通りの菊屋橋交差点(かっぱ橋道具街入口)の一つ東の横丁との角にある仏具店。浅草通りの南側に沿って、上野駅交差点から寿4交差点まで、点々と建つ仏具店の1軒。なんともユニークな外観で人目を引いている。
『日本近代建築総覧』によると、「建築年=1929(昭和4)年、構造=RC造、設計=榎本徳蔵、施行=戸田組、戦後内装数回改築、塔屋付」。
文化庁>国指定文化財等DB>難波商店店舗兼主屋』には、「RC造3階地下1階。昭和43(1968)年増築、昭和52(1977)年改修」「一階を店舗、地下一階と二階を倉庫、三階を居室とする。外壁は色モルタル塗で、縦長窓と丸窓を開き、緑色の瓦や高欄を廻し意匠性に富む。塔屋は反りの強い屋根を二重に架け、独創的な外観を形成している」とある。設計者の榎本徳蔵という人のデザインなのだろうが、この人がどういう人なのか、ネットでは分らない。建物は隣の寿ビルの後ろに回り込んでいて、L字形平面をしている。寿ビルの裏は増築部分なのだろうか。

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リボン、戸谷プランニング。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

写真の大通りは清洲橋通りで、右(北)へ少し行くと浅草通りとの稲荷町交差点。写真左の看板建築の二軒長屋の左は成就院(じょうじゅいん)の山門。その二軒長屋の右の「リボン」は婦人用品店。出桁造りの家が2棟あり、その右が「戸谷プランニング」という不動産屋。その右の看板建築は何の商売だか分らないが「E.N.J」の看板。写真右端は日よけに「(有)ウチヤマ・フラワー」の字が残っている「内山生花店」だった家。
現在は出桁造りの2棟が、2019年に竣工した10階建のマンションのようなビルに替わった。Googleマップでは「エヴァーグリーンホテル上野」。



コバヤシ、エンゼル工芸社。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

成就院の山門の左(南)にあった看板建築にした三軒長屋。コバヤシは看板に「ハンカチーフ/タオル製品/製造卸」としているが見たところ小売店に見える。
ストリートビューを見ると2012年頃に取り壊されて駐車場(三井のリパーク)になってしまった。

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フレンド。台東区東上野3-33。2006(平成18)年11月29日

写真の通りは清洲橋通りで、右(北)へいくとすぐ浅草通りとの稲荷町交差点。地下鉄銀座線の稲荷町駅があるから「稲荷町」というのが分りやすいだろうか。
横丁との角の家は、「プレミアム稲荷町」(2014年12月築、4階建)という集合住宅に建替えられて、2軒の店もそれに伴って廃業したようだ。左のほうの店は写真では定食屋のようだが店名が分らない。右の「コーヒー・軽食」のフレンドはレトロな喫茶店ということでいまだにネットで見かける。そのなかに1975年頃の開店という記事があった。1969(昭和44)年の住宅地図では「大森、コーヒー章」、1986(昭和61)年では「久乃園、フレンド」。フレンドの前も喫茶店だったらしい。

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森田商会。台東区東上野3-5。2013(平成25)年7月14日

下谷神社の裏側の通りに残る出桁造りの二軒長屋と看板建築の家並み。下谷神社の周辺は空襲の被害を免れた地域で、戦後80年が経っても戦前に建てられた商店・家内工業所・住宅がけっこう残っている。写真の家並みは今も変っていない。
写真左の二軒長屋は「中柳建設株式会社」と、テントや看板などの工事の「森田商会」が入っている。その右(西)は看板建築が5棟並ぶ。戦前の建物には見えないが、改修されているのだろう。中華料理の「福寿」はいつ頃の開業だか分らないが、2019年9月で閉店した。その告知の張り紙には「老巧化のため」「先代の頃より」とあり、あるいは建物が建替えになるのだろうか。

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海岸ビルヂング。兵庫県神戸市中央区海岸通3-1。1992(平成4)年8月5日

海岸通りのメリケン波止場前交差点から西へ250m程のところに、正面を海岸通りに向けた明治末に建てられたビルが残っている。貿易会社兼松商店(現・兼松)の本店として1911(明治44)年に建設された。「日豪館」という名称だった。「日豪会館」という資料もある。兼松商店(兼松房治郎)の貿易業がオーストラリアからの羊毛の輸入を主としたところからの命名。
設計は河合浩蔵で、海岸通り沿いの「海岸ビル」(現・神戸メリケンビル)と同じ建築家だ。名称は「海岸ビルヂング」と「海岸ビル」で区別できる。正面は花崗岩とタイル貼りなのでRC造のように見えるが構造はレンガ造3階建。横の奥と裏側はレンガがそのまま見えている。正面のデザインについて『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「正面玄関両脇の装飾は直線化、幾何学化された、ややセセッション風であるが、2階と3階との間の装飾は様式主義的な名残が見られる。大正7年の海岸ビル(三井物産神戸支店)よりも重くドロクサイ感がある。毎日新聞社と三つ並べてみると、一貫してセセッション風のモチーフを追求していることがうかがえる」としている。
1945年の空襲で内部が焼け、屋根も焼失した。竣工時の姿は『兼松房次郎の伝記』で見ることができる。戦後、兼松は日豪館を現在のオーナーに売って東京へ移る。改修が施されたのは昭和25年で、『建築紹介・建築探訪録>海岸ビルヂング』のコメントによると、「日建設計工務の設計管理で耐震補強を含む改修が実施」「駒形断面のスレート葺屋根からコンクリート造陸屋根に改造」「一部階段通路を廃するなどした上で耐震壁を追加」したという。その効果があって、1995(平成7)年の阪神淡路大震災では被害は軽くて済んだ。それにしても、レンガ造の3階建のビルが倒壊せずに残ったのは素晴らしい。



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