ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



第一KSビル。千代田区神田淡路町2-3
1987(昭和62)年2月1日

第一KSビルは外堀通りの淡路町二丁目交差点の西南にあった小さなビルだが、2014年には写真右の末広ビル(丸善銘茶)とともに取り壊されて、今は「神田淡路町レジデンス」(1階はファミリーマート)というマンションに替わった。
写真では「…ナショナルプレス」の看板を出していて、玄関上の看板は「GNP…」。1986年の住宅地図では「GNPビル」。ちなみに同地図で写真左は「電気堂」。
千代田観光協会>第一KSビル』によると「第一KSビル(旧丸菱ビル)」は国登録有形文化財で、「大正14年(1925)に建設されたオフィスビル。鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建。正面は小口タイルを芋目地に張り、軒蛇腹、胴蛇腹、窓枠等を白く飾っている。玄関の部分が上の塔屋状の部分まで前に少し張り出している。白い帯状の飾り、塔状のデザインによるファサードの強調が、辰野式と呼ばれるクィーンアン様式をイメージしていると思われる」などと説明されている。
間口の小さなビルなのにかなり贅沢に造られたように思われる。『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年、2900円)には「設計はドイツ人とも」とある。

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冨士自動車鐘淵ガレージ。墨田区墨田5-2。上:昭和10年頃、下:現在(ストリートビューより)



1枚目の写真は竹ちゃんという方から、写真の冨士自動車のガレージが今も残っているのでブログの記事の材料としてどうか、ということで提供していただいたもの。昭和10年頃に撮影されたものという。撮影者は冨士自動車(当時の社名は「鐘淵自動車商会」)の社員で、戦死されている。2枚目の写真がその現況である。場所は墨堤通りの鐘ヶ淵陸橋交差点の北東角。
建物は2階は改装されているが、1階はほとんど変わっていない。ガレージの中を見ると柱と梁は鉄筋コンクリートのように見える。昭和になってからの建物らしい。玄関の前にある機械はガソリンの給油機だろうか。冨士自動車は創立時の建物ということで、保存しているのかもしれない。
冨士自動車は主にタクシー、観光バスなどを運用している会社で、冨士自動車のホームページによると、大正12年10月、「鐘淵自動車商会」として創業した。関東大震災の直後である。T型フォード2台から始めたという。乗用車とトラック1台ずつだったようだ。昭和10年12月、合名会社鐘淵自動車商会と組織を変更する。その頃の写真として、ガレージの前に保有車両を交えての集合写真が載っている。その写真では2階が写っていないので、1枚目の写真がいよいよ貴重なものになる。社名を「冨士自動車株式会社」と変更したのは昭和16年 1月。



昭和38年の航空写真に昭和44年の住宅地図の記載を重ねたもの。

戦後は昭和24年にタクシー事業を再開、昭和28年に観光バス事業を開始、と事業を拡張していく。昭和40年頃には事業所は最初のガレージの周辺にいくつも点在しているのが見て取れる。
墨堤通りの西、堤通2、3丁目は、現在では写真の面影は絶無である。ただ、榎本武揚像はほとんど動いていないようだ。

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秋葉原貨物駅。千代田区神田佐久間町1。1987(昭和62)年9月13日

JR秋葉原駅の前身は1890年(明治23年)に開設された「秋葉原貨物取扱所」である。上野駅(1884年開設)の貨客取扱量の増加に対応するためで、当時、江戸期の火除地で「秋葉の原」「秋葉っ原」(明治3年に鎮火神社がまつられ、それを秋葉神社と勘違いしたという)などと呼ばれていた空地に上野駅から線路を引き込んだ。また神田川から掘割を引いて船溜まりを造り水上輸送もおこなった。
東京-上野間の開通は1925(大正14)年11月で、高架線で結ばれた。貨物線を高架にする工事は、第1期工事(西側貨物積卸場)が1928年(昭和3年)4月、第2期工事(東側貨物積卸場)が1932年(昭和7年)7月に完成した。写真の高架ホームは「東側貨物積卸場」になると思われる。第2期工事の完成した同日に御茶ノ水 - 両国間の総武線が開通している。
1975年2月1日で当駅での貨物営業が廃止さて、西側の貨物駅は東北新幹線工事のために撤去され、東側は上野駅発着列車の留置線として使用された。この高架駅が解体されたのは1995年頃らしいが、写真はその20年間の中間になる頃の景観。
写真左奥への道路は貨物駅だった当時はトラックが出入りしていた構内で、通りとは門で区切られていた。1969(昭和44)年の住宅地図に「第三佐久間門」とある。写真右のビルは「ロケット本店」。

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文唱堂倉庫。千代田区神田佐久間町3-14。1989(平成元)年10月8日

神田川の和泉橋から東の美倉橋までの北の沿岸は「神田佐久間河岸」という町名で、その河岸と総武線の高架の間の通りが写真の右手前から左への道路。
「レンガ倉庫」は文唱堂印刷という会社が倉庫として使っている。文唱堂は近くに本社ビルがあり、1927(昭和2)年に創業された歴史のある会社。写真では壁がレンガ色ではないので、塗装されているのかと思っていたが、『雅万歩>秋葉原』に「外側は煉瓦を積んだ土が滲みだし、赤い煉瓦が黄色くなっている」とある。写真では全面が滲みだした土で覆われた状態なのかもしれない。レンガ倉庫といえば普通は明治期の建物か、と想像がいくのだが、どんなものだろう?
倉庫は2017年に取り壊されて、2018年6月に「The akiba mix r+s」という5階建てのビルに替わった。つい最近まで残っていたわけだ。そのビルの1階のホームベース型の窓とアーチの出入り口はレンガ倉庫の記憶なのだろうか。

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和泉町ポンプ所。千代田区神田和泉町2。1989(平成元)年10月8日

和泉町ポンプ所は東京都下水道局の施設。三河島処理区のポンプ所の一つなので、ここを通る下水は三河島水再生センターへ流れていくのだろう。「下水処理場」という名前で憶えていたが、今は「水再生センター」というようになったらしい。都での呼び方かもしれない。下水管は自然に水を流すために傾斜がついている。ただ地下に埋めればいいというものではなく、その深さを計算して設置しているわけだ。ある程度の深さになったら水を地表近くまで汲み上げて、その先の下水管を引く工事を容易にする。それがポンプ所だ。
和泉町ポンプ所は1922(大正11)年8月に開設した。ビルはRC造、2階建地下1階。今ではすっかり珍しくなった大正期の建物だ。ビルの後ろに寄棟屋根の平屋が付いている。そこが機械室と思われる。
大正11年3月には「三河島汚水処分場」が完成している。工事は大正3年から始められているから、和泉町ポンプ所と三河島をつなぐ下水管の工事も並行して進めたとすれば、ポンプ所開設とともに下水を三河島に送り出したと思われる。
写真では壁にひび割れのような白い線が見える。壁はレンガのように見えるタイル貼りで、その傷んだ部分にペンキで線を入れたものらしい。撮影後、いつの頃(2003年以前)か知らないがタイルは貼り直されて、だいぶ明るい色に変わった。



和泉町ポンプ所。1988(昭和63)年4月10日

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松淵たばこ店、正起屋建具店。葛飾区立石7-24。2008(平成20)年12月11日

立石西町商店街の中ほどに信号のある交差点がある。写真はそこの南から通りの東を撮ったもの。古い店舗の商店が並んでいる。手前から「松淵たばこ店」「正起屋建具店」「太田神仏具店」、横丁があって「永井靴店」。いずれも戦前に建てられたと言えるほど古くは見えないが、戦後に改修されてのことかもしれない。
通りの拡幅事業によって今は4軒とも取り壊された。解体された時期はそれぞれ異なり、松淵たばこ店が2009年、永井靴店は今年(2019年)になってから。




永井靴店、洋風の平屋。立石7-23
2008(平成20)年12月11日

信号の横丁側も街灯に「ふれあいの町 立石西町商栄会」の旗が下がっている。そこを東に入ると古い建物が何軒か残っている。特に、昭和2年に建ったという平屋の洋風の家( Kai-Wai 散策>小さな町の精)があって見逃せないスポットだった。それも今は「レジーナ立石」(2019年1月築、3階建て12戸?)というマンションに建て替えられた。

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理容スズキ。葛飾区立石7-24。2008(平成20)年12月11日

京成立石駅から東へ2つ目の踏切り。この踏切りから北(写真左奥)へ、「ふれあいの町 立石西町商栄会」の幟が外灯から下がっている。「立石西町商店街」になるのだろうが、商店が立ち並んでいるというわけではないので、商店街という感じは希薄である。
線路際に建つ写真の建物は1階を店舗にした四軒長屋で、戦前からあるもののようだ。写真では「理容スズキ」と料理屋の「菊八」が営業している。現在は立石駅の線路を高架にする工事が進んでいて、長屋はその高架線路が引かれる敷地に入ってしまった。また、立石西町商店街の通りは、東側に拡幅する計画も進んでいて、長屋はその敷地でもある。ということで、2012年頃ではないかと思うが、長屋は取り壊された。


菊八。2010(平成22)年11月21日

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呑んべ横丁。葛飾区立石7-1。2008(平成20)年12月11日(5枚とも)

京成立石駅のすぐ西、線路の南から見た呑んべ横丁(2階建ての長屋風の建物)。右のビルは石井ビル(中華・海華)。とりあえず写真の面を正面とすると(例の「呑んべ横丁」の看板がある反対側が正面なのかもしれないが)二つの入口があって、それが北の裏側まで通っていて建物は南北に3列に並んでいる。中央の棟は二つに分かれていて、その間は南北の通路を結ぶ東西の通路だ。東(右)の棟は航空写真で見ると4棟の長屋からなるようだが、西の棟は細長い1棟に見える。通路は屋根が架かっていてアーケードになっている。各長屋の壁はモルタル塗りが基本のようだ。二階はいずれも通路の側に少し張り出していて、一階との段差は看板にするためだろう、斜めの壁にしてある。あの「アカカンバン洋服店」の看板はその部分に書かれている。



戦前は住宅地だったと思われるが、それが強制疎開で取り払われ、1954(昭和29)年(1953年とも)に長屋式の商店が建てられた。日用品を扱う店が多く入ったようだが飲食店もあったらしい(知の冒険>開発が迫る立石の…)。「立石デパート」と称した。しだいに普通の店は居酒屋にとって代わっていく。「ションベン横丁」と言われるようになって困った「立石デパート商店会」の何人かが「呑んべ横丁」の看板を作ったそうだが、いつのことなのだろう? 共同トイレは店にある鍵で開けるのだという(ラブ・ユー立石>おでんや)。「知花子」と「伯爵」には店内にトイレがあるそうだ。



立石駅北口の再開発がいよいよ工事に入ったようだ。今は建物を壊している段階で、呑んべ横丁の南側半分が取り壊された。36階建ての高層ビルを建てる計画らしい。人口減少の時代に入ってしまった今、資金の回収は大丈夫なのだろうか?

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安達太良、奴、わか葉。葛飾区立石4-26。2008(平成20)年12月11日(5枚とも)

京成立石駅の北、住所で立石4-26には居酒屋・スナックが集中している。勿論その周辺にもあるが、26番地の特徴は戦前からある建物がかなり残っていることだ。戦後、それらが赤線のカフェーとして営業し、売春防止法施行以降は飲み屋に転向して今に至ったのである。
上の写真は26番地の西の通りで、右奥が駅。写真の家並みの向かい側はマンションなどがあって店は少ないが、居酒屋安達太良の角を左に入ると「立石すずらん通り」で、両側に飲食店などが並ぶ。



居酒屋さつき、スナック竹馬、小料理さくら。スナックつかさ、居酒屋安芸

26番地には東西にY字型に路地が入っていて、そこが飲み屋街の中心である。写真の看板の店で今も続いているのは半分ほどだろうか?

立石の赤線跡についてはネットでも取り上げられていて、それらをまとめると以下のようになりそうだ。
昭和10年代、「立石新地」という家数40軒ほどの住宅地ができる(♪ラブ・ユー立石>写真で辿る立石北口)。そこに1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で焼けだされた亀戸駅付近にあった花街(銘酒屋?)の業者が移ってきた。「6月に民家を改装して営業が開始されたという」(『赤線跡を歩く』木村聡著、2002年、ちくま文庫)。戦後は進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定された。進駐軍が要求したわけではなく、日本政府が犯罪防止の防波堤が必要だと考えたのである。進駐軍の方では、半年後の1946年3月にはそんなところに行くと病気になるからと、立入禁止にしてしまった。替わって警視庁が営業を許可して「赤線」になる。
「スナックつかさ」と「居酒屋スナック安芸」の建物がカフェー建築の特徴をよく残している。モルタルで塗りつぶしてしまっているが豆タイル貼りの円柱、建物角のアールの庇が見られる。



スナッククリスタル、スナックポポ、パブブリっ子、創作酒菜厨、立石居酒屋関処

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山大第二分室。中央区日本橋堀留町1-4。1985(昭和60)年4月29日

建物名は1986(昭和61)年の住宅地図による。写真の前の通り(椙森神社のある裏通りの1本西の裏通り)を左(北)に行くと「株式会社山大」があり、写真の建物はその会社が倉庫に使っていたのだろうか? スクラッチタイル貼りの看板建築なので関東大震災復興期のものかと思う。昭和30年頃の火保図では「日本絹毛商店」、昭和10年頃のそれでは「松ヤ商店」となっている。
現在は「日本橋ノーススクエア」(1993年3月築、9階建)というオフィスビルに建て替わっている。そのビルの向かい側には、銅板貼りの中村商店と喫茶店だった看板建築が今も残っている。

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