ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




なるけ明治屋。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

馬橋駅(写真右)のすぐ前にあった呉服店。何十年と写真のままの状態にあったような感じだ。駐輪場の一角に建っているような感じだが、昔はそこに家が建並んでいたのだろう。失礼ながら真っ先に駐輪場になってよさそうに思える。
建物は平屋の店舗と、その後に平屋に2階を増築したような住居部分が付いている。昭和30年頃の建築に見える。「なるけ」は店主の名前なのだろうか。
2014年頃に取り壊されて、向かいのパチンコ店キングイーグルズの駐輪場になった。


なるけ明治屋。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

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信濃屋洋品店。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

常磐線馬橋駅東口から東へ行って、旧水戸街道にぶつかる交差点。角に大きな看板を構えた店があった。看板に「呉服洋品」とあるから老舗の呉服店だったような感じだ。撮影時では自転車預かり所になっていた。右の入母屋屋根の家が主屋で、その前に店舗を増築したのだろうか。主屋を見る限り、1960年頃の建築と見える。2022年6月に取り壊されてコインパーキングになってしまった。
駅前から写真の交差点まで、「馬橋駅前通商店会」の表示板がついた街灯があるから、馬橋駅前通り商店街だったのだろうが、今は組織は解散したようだ。旧水戸街道は「馬橋東口商店会」の表示板をつけた街灯があり、古くからの商店街だったわけだが、こちらも今は実体はないようだ。駅と旧水戸街道の間に、常磐線と平行に南北に「本通り商店会」がある。HPも持っている商店街である。



はりや電機、染谷時計店。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

信濃屋の旧水戸街道側の隣。はりや電機はエアコンの取り付け工事などを主な仕事にしているようだが、店頭でブラウン管テレビを売っている。値段がはっきり見えないのが残念。染谷時計店は後の主屋が古そうだ。「コンピューター視力測定」の宣伝文句がもはや古い。すでに閉店して感じもする。
この2軒は2014年に住宅に建て替わった。

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八百松菓子店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町790。2005(平成17)年12月13日

「通り町商店会」の通りは、八百松菓子店の辺りでは東西に通っているが、写真右(東)へ少し行くと北東の方向に曲がり、「祝町いささかりんりん通り」につながっている。八百松菓子店から西へ60mで信号のある交差点で、そこから西は「永町(ながちょう)商店街」になる。
八百松は(たぶん栗原時計店も)切妻造の家の平側に増築された店舗のようだ。ストリートビューを見ると2011年にはすでに廃業している。栗原時計店は2018年に閉店した。2020年頃に奥の建物と共に取り壊されて、今も駐車場のまま。
八百松の向かい側にも「太田屋」という和菓子屋あったようだが、2014年には住宅に建て替わっている。

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大場理容店
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町670
2005(平成17)年12月13日

曲がり松商店会の西端で、山戸呉服店の向かい側。写真右のビルが「通り町商店会」との交差点に面している。大場理容店はこの辺りではあまり見かけない洋風にした看板建築で、割と凝ったデザインで、「理髪」の看板が右から書きなので戦前に建てられたものと思ってしまうが、どうなのだろう。現在は2階の窓がアルミサッシのものに改修され、壁が少し明るく塗り直された。

ストリートビューでこの辺りを眺めると、1960年代に建てられたか改修されたと思われる店舗が幾つも見られる。「山戸呉服店(明治18年創業、洋品店)」「年宝菓子店(手作り飴、かるめ焼き)」「スルガヤ薬局(明治初期創業)」「江口又新堂(文具、書籍、薬)」など。
江口又新堂は蔵造りの家の前に店舗を増築したものらしい。スルガヤ薬局は2016年頃に建て直されてしまった。旧店舗は正面左四分の三の幅で狭いベランダを設け、ベランダの奥は6分割した、窓と店名を書いた壁、角に屋根の庇を支えるような細い柱。建物横の1階の上の梁のような部分には、黒い豆タイルが貼られていて、正面との角にはアールがとってあった。

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月の井酒造店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町161。2005(平成17)年12月13日

写真の通りは大洗町の「曲がり松商店会」の通り。大洗町役場の北の辺りになる。曲がり松商店会は、そのHPによると、「昔から町の中心機関が点在し、明治の終わり頃から昭和の中頃まであった「磯浜海水浴場」の発展と共に栄えた大洗を代表する商店街」だという。また「曲がり松」は江戸時代からの地名だという。
月の井酒造店」は1865(慶応元)年、酒蔵として創業。屋号は「松前屋」。立派な店舗の左右、駐車場から「ヘアーサロンさくま」の後一帯が醸造所と酒蔵らしい。建物のデータはネットではさがせなかった。



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コロンビア。横浜市中区野毛町2-94。2010(平成22)年4月10日

「ジャズ喫茶ちぐさ」は2007(平成19)年1月に、野毛町1-23にあった店がビル建設のため閉店していたが、2012(平成24)年3月に写真のコロンビアの建物で再開した。建物は築70年というから1950(昭和25)年頃に建てられたものらしい。現在は「ジャズミュージアム・ちぐさ」として建直しの最中。
ちぐさの創業は1933(昭和8)年で、当時20歳だった吉田衛による。吉田氏がジャズとどのようにて結びついたのか気になる。『 CHIGUSA Records>「ちぐさ」の親父 吉田衛 横浜昔ばなし』によると、吉田氏は1913(大正2)年生まれ、山下町の生まれ育ちで父親は輸出物の荷造業。社交ダンスに魅了されて、まずはチャブ屋、ダンスホールが出来るとそこに通い、そこで演奏される音楽が好きになった。ぼくには昭和10年頃に、日本ではジャズがどれほど一般的になっていたのか、さっぱり分からない。ルイ・アームストロングやデューク・エリントンなら日本でも知られていたのかもしれない。じきに、「敵性音楽」になって聞くことはまかりならん、となってしまう。最近の中国も同じようなことをしている。他人のことと笑っていらないと思う。
吉田氏は兵役から戻ると、1947(昭和23)年にちぐさを再開する。日本でもベニー・グッドマンが人気になるが、吉田氏はなにを聴いていたのだろう。とにかくジャズの歴史をリアルタイムで体験してきた人ではないだろうか。

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古川酒造店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町363。2005(平成17)年12月13日

東町商店街の古関屋前バス停から東へ50mほどのところ。ここから海側へ出れば「めんたいパーク大洗」がある。めんたいパークの開業は2009年なので、撮影時にはまだない。
古川酒造店』には、「慶応年間(1865~1868年)に天狗党の乱からも残った古い「蔵」を利用して酒造りを始めました」とある。天狗党の乱とは、幕末に起こった水戸藩の内乱で、ぼくは、吉村昭著『天狗争乱』(新潮文庫、平成9年、667円+税)を読んだが、ネットでは『天狗党の乱』が分かりやすくまとめている。とにかく1864(元治元年)に那珂湊や磯浜村(現大洗町)が戦場になって民家も焼かれた。「天狗党の乱からも残った古い蔵」とは、その当時から建っていた、という意味だろう。

写真は通りに面した店舗だが、この横と裏に主屋、離れ、窯場、作業員宿舎に蔵が6棟、ぎっしりと建ち並んでいる。「松籟(しょうらい)」という銘柄で永い間やってきたようだ。茨城、関東の品評会で何度も優等賞を獲得している。1999(平成11)年、廃業。細々と酒を造っていくだけでは、続けるのは困難なのだろうか。
2019(平成31)年、「株式会社古川酒造店」として新たに起業した。古い酒造場を生かしたロケーション撮影やイベント開催、カフェなどを計画しているようだ。めんたいパークなどに行くよりよほど面白そうである。

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銭湯。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町238。2005(平成17)年12月13日

写真の銭湯も東町商店街の沼屋バス停のところで、「カドヌマ薬局」の向かい側。2010年以前に普通の民家に建て替わっている。銭湯の名称が不明なのが残念だ。営業中とかの表示がなく、引き戸の中も暗いので、すでに廃業しているようにも見える。15時半という時間なので営業前だったかもしれない。建物全体は和風だが、正面の腰壁に洋風の装飾が施されていて目を引く。
漁師が漁から戻ってくると、ここに駆け込むのかとも想像できる。まだ港ができていなかった時代なら前の海で海水浴をする客が利用したのかもしれない。



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うすや肉店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町221。2005(平成17)年12月13日

当ブログ前回と同じ、東町商店街の沼屋バス停のところ。写真左のモルタル壁が「カドヌマ薬局」で、「たばこ店」とは四つ角に対して点対称の位置。出桁造りの家は商店だったのだろうがだいぶ以前に閉店したようだ。「うすや肉店」には「ウスヤ明神町店」の袖看板がついている。今は高崎ハムの看板とともに無くなっている。明神町とは旧住所だろうか? ここから220m東に「明神町」バス停がある。
撮影時、うすや肉店の右には平屋の四軒長屋があった。民宿だったのだろうか。ストリートビューで見ると、長屋には「大洗町 寄贈 磯浜 旭町3-222/毛糸なら何でも揃う 野口毛糸店」の住所プレートがついていた。当時から廃屋だったと思うが2016年頃取り壊されて、今はウスヤ駐車場で、休憩場とトイレが置かれている。うすや肉店で串カツを買えばガルパンの缶バッチがもらえるとか。ガルパンがなんなのかぼくは知らないが、とにかく聖地として盛況らしく、ちょっとうれしくなる現況だ。

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たばこ店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町161。2005(平成17)年12月13日

大洗港を通る主要道路は県道2号で、その辺りでは「サンビーチ通り」といっている。その内陸側に県道2号の旧道と思われる「東町(ひがしちょう)商店会」の商店街の通りがある。商店街は「大洗鳥居下」交差点から西の三叉路までの800mと思われる。すでに閉店した店も多いが、写真のような出桁造りの商店が点々とあって、かつての県道の面影を伝えている。
写真は商店街のまん中辺り、茨城交通バスの「沼屋前」バス停がある四つ角にある昔ながらの商店。バス停の「沼屋」は商店名だろうか。写真のたばこ店は、今は販売機もなく閉店したようだ。「塩小売所」と「たばこ小賣所」のホーロー看板が右の柱に掛かっていたから食料品店か酒屋だったのかも知れない。

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