三米(さんよね)商店
静岡県浜松市中区肴町(さかなまち)314
2019(令和元)10月8日
写真の通りは浜松市街を南北に通っている大手通り(国道257号)の東の裏通りで、肴町通りという商店街。肴町は『ウィキペディア』には「徳川家康が浜松城に在籍していた頃、六人の魚商が浜松城南側の榎門筋(現在の紺屋町通り)において棚を出し魚を販売すると共に浜松城の御用をつとめるようになると、魚屋の便を考えて家康の家臣、本多重次らによって大手門近くの東海道の裏通り(現在の本通り、肴町通り)に魚河岸を設置し魚屋だけの町を構えさせたのが始まりとされる。」とあって、歴史を誇る町名、地域である。戦前まで「三星魚市場」という魚市場があったという。今は飲食店の多い繁華街。
海産物問屋三米商店のビルを見たときは、戦前のビルが残っているのかと疑った。浜松市は「浜松地域遺産」を認定して顕彰・活用していく事業を始めた。三米商店のビルは令和2年に認定された。「三米商店主屋」の名称で「昭和 31 年建造の鉄筋コンクリート 3 階建てビル」である。前面上部のアーチと両端の柱の装飾、2・3階の窓の上下の装飾など、1956年建築とは思えない外観だ。1階は木の枠のガラス戸でRC造のビルではまず見られない造り。大正8年創業という。
右の3階建のビルは「丸喜屋商店」。店のHPによると、昭和27年に三米商店の小売り部門として独立した乾物屋。
| Trackback ( 0 )
|
|