あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍務局長室 (2) 山田長三郎大佐 「 軍事課長が来ないので、円卓の傍を通って軍事課長室に入る 」

2018年05月15日 09時27分16秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

聴取書
陸軍省軍務局 兵務課長
陸軍砲兵大佐  山田長三郎
本月十二日 永田軍務局長遭難当時の状況を申しますと、
同日午前九時二十分過頃、新見憲兵大佐が私の処に来て報告をするから軍事課長と共に聞いて貰ひたい
と 云ふことでありましたから、夫れでは局長にも一緒に聴いて貰った方が宜いと申しまして、
新見大佐を同道して軍務局長室に行きました。
そして局長室に入って直ぐ右側の扉を開いて軍事課長に対し
憲兵隊長が報告をするから一緒に聴いて呉れ
と 伝へて置いて新見大佐と共に局長の前に進み、局長と相対して、私は新見大佐の左に腰を掛けました。
新見大佐の右には尚一脚の空椅子がありました。
之に軍事課長を坐らせる筈で在ったのであります。
一、二分局長の前に居りましたが、軍事課長が来ないので私が迎へに行く為左の方に向って立上り
局長室の円卓の傍を通って廊下に近き方の軍事課長室との間の扉から同課長室に入りました処、
徴募課長が将に帰らんとする気配で私と顔を見合わせたので、
予ての知合でありますから 立ちながら一、二分間位話して居りました。
当時私の入って来た扉は閉めてありました。
又 私が軍事課長を迎へて来たのにも拘らず、徴募課長と話して居ったのは
局長の処には他に事務官や課員等が沢山判を貰ひに来るので、
私の不在中も誰かが判を貰ひに来て居ると思ったからであります。
夫れは私が軍事課長を迎へに行く為 左の方に向って立上った際、
私の後ろを誰か通った気配を感じたので、多分事務官か課員が判を貰ひに来たものと感じ気にも止めず、
左の方に向ひ 立上ったのであります。
そして其後ろを通った者は誰で在ったか姿は見えませんでした。
其後になって見ますと、当時私の後ろを通った気配の感じたのは 犯人が私の後ろを通ったものと思ひます。

私が前述の如く徴募課長と一、二分間位も話して居ると、
局長室で何か只ならぬ物音がして、何か事変が在った様な予感がしたので
急いで前の扉を開き 局長室に入りますと、
局長は円卓の東南に頭部を北にし脚を南にして 血に染まって倒れて居りました。
夫れから私は大声で人を呼んだ様に思ひます。
直に課員や属官等が駈付けたので、医師を呼び 又 犯人を逮捕する様に申しました。
一、二分間 局長室に居りましたが 課員の平野豊次少佐を呼寄せる必要があると思ふて自室に帰り、
憲兵司令部に電話を掛けて 平野少佐を呼び、直ぐ来いと申しました。
夫れから再び局長室に行って暫く居りましたが、
誰かが帽子を拾ふて其裏面に書いてある名前で犯人は相沢と云ふ者であると云ふことを知りました。
夫れから自室に帰りますと間もなく平野少佐が来ましたので犯人逮捕の手配を命じたのであります。

私が兇変を知って局長室に行った時、軍事課長も他の入口から局長室に入ったと思ひますが、
如何にして居ったか能く覚えて居りませぬが、多分人を呼んだと思ひます。
徴募課長も私に続いて局長室に入ったと思ひます。
どうして居ったか能く記憶ありませぬ。
課員や属官が駈付けて来てから軍事課長も私と同様 色々指図をして居りました。
・・・昭和十年八月十四日

証人訊問調書
八月十二日 午前に東京憲兵隊長 新見大佐が証人を訪ねた事は事実か。

事実であります。
当時私は陸軍省兵務課長を勤めて居りましたが、同日午前九時二十分頃かと思ひますが、
新見大佐が私の室へ来まして、
同官の所管事項に付 軍事課長と私とに報告を聞いて呉れと 云って来ました。

新見大佐の来意を聞いて証人は如何なる処置をしたか。
私は新見大佐の来た用件を聞いて、
夫れならば永田軍務局長にも一緒に聞いて貰はうじゃないかと 云ひ
同大佐も之を承知して呉れ 共に私の室を出ました。

証人の室を出て軍務局長室に至る迄の経過如何。
私は新見大佐と共に自分の室を出て直に軍務局長室に入り、
局長に話す前に局長室より隣の軍事課長室に通ずる二つのドアーの内、
北のドアーを開けて軍事課長室に対し
憲兵隊長が報告に来られたから局長室に来て一緒に聞いて呉れ
と 云ひ置いて局長室の中央位に置いて在る衝立の辺で局長室に対し、
憲兵隊長が報告に参りました と 申しました。
新見大佐は私が軍事課長室に話した際、同課長に対して何か一寸挨拶した様に思ひますが
其点 確かな事は記憶しませぬが、兎に角 私が衝立の処で前述の如く局長に云った時に
新見大佐は私の傍に居たと思ひます。

局長室の衝立の位置如何。
同室の中央に一間位の衝立二箇が一列に西から東に向けて並べてありましたが、
ニ箇の衝立の内一つはぼんやり透視の出来る青い薄布張のもので、二箇の衝立の内東寄りに立ててありました。

局長室に於て如何なる位置で三人が対談せんとしたか。
私は前述の如く 局長に云って後、
同室東北の円卓の処で報告を聞きませうか
と 云ひますと、局長は
いや 此方で
と 自分の事務机を指されたので 同机の処へ行き、
局長は自己の廻転椅子に腰掛け 少し東寄りに居られた様に思ひます。
局長に面して私が一番左の机の東端に腰掛け、私の右隣りに新見大佐が腰掛け、
其の隣の空椅子に軍事課長に腰掛けて貰ふ考えでありました。

夫れから如何したか。
腰掛けてから主として局長と新見大佐との間に 二、三雑談がありましたが話の内容はよく記憶しませぬが、
怪文書に付ての話の様でありました。
夫れから新見大佐は一寸腰掛を離れて同室から軍事課長室に通ずる南のドアーの北側に在る金庫の処へ行き、
直ぐ戻って席に就き 携行して来た風呂敷包を開いて報告の準備をしました。

其後の証人の言動は如何。
新見大佐が風呂敷包を解いて報告準備を致しまするのに 尚 軍事課長は参りませぬので、
私は
同課長を呼んで来ませう
と 云って 腰掛から立上り、左を向いて衝立を曲り 軍事課長室に通ずる北口のドアーの方へ行き
ドアーを開けて 軍事課長室に入りますと、
同課長は自分の机の処で新徴募課長森田大佐と話をして居りました。
私は森田大佐と旧知の間柄で、同大佐が徴募課長になってからまだ挨拶をして居ない際でありましたので、
同課長の腰掛けて居る附近で互に挨拶を交しました。
そして尚一、二 何か話した様に思ひます。
左様な間に局長室に何か異変らしい音がしたので私は直に北のドアーを開けて局長室に入りますと
円卓の処に局長が倒れて居られるのを見ましたので、
犯人は何者かと室内を見廻しましたが最早誰も居りませぬでした。
証人が局長室から軍事課長室へ移る迄に一軍人が局長室に闖入したのを認めなかったのか。
私が腰掛から立って左へ向き 前述の如く軍事課長室へ行く前、
即ち 腰掛から立上る頃、私の背後を右へ誰か通って行く様な気配がしましたが、
局長室へは常に課員や事務官が参りますので、
当時私は夫れ等の者の誰かが局長に判を貰ふ為か何かで来たのだらうと直感して 何等気に止めずに
其方向を見ずに前述の如く軍事課長室の方へ行ったのであります。

其際軍事課長が来たものとは思はなかったか。
唯課員か事務官とのみ直感したのであります。

課員や事務官が局長室に入る時はドアーをノックするか 或は声を掛けて入室するのではないのか。
珍しい来客ならばノックするか又は声を掛けますが、課員や事務官は無断で入室する場合が多い様であります。

局長室から軍事課長室に通ずる南のドアーは平常使用しないのか。
平常使用しない訳ではありませぬが、私は多く北のドアーを使用して居りましたので
当日も北のドアーから軍事課長室に行ったのであります。

証人や新見大佐が局長室に入ったのは七時頃か
私の部屋へ新見大佐が来てから局長室へ行く迄は五分位経って居るかと思ひますが、
元来同大佐が私の室へ来た時の時間が確実ではありませぬから、
局長室へ行った時間が何時頃かと云ふ事は明かには申述べられませぬ。

証人等が局長室に入室後証人が同室を立って隣の課長室へ行く迄にはどの位時間があったか。
五分以内と思ひます。

相澤が予審に於て次の如く述べて居るが如何。
被告人が前述する処に依れば、軍務局長室に於て永田局長以外に二人の軍人を認めたとの事であるが、
室内の何れの地点から之を認めたるや。
私が局長室に入るや直ぐに、室の真中辺に立てて在った薄布張の衝立の布を通して、
局長と之に面して机の左方部に腰掛けて居る二人の軍人を認めました。

被告人の前述する処に依れば、永田局長が被告人の刃を遁れる為 他の二人の軍人の処に行って
三人一緒になった様に思ったとの事であるが、此点に付ての認識は誤りなきや。
確かに永田が二人の処に逃げて、机の左側で三人一緒になった様に記憶して居ります。

被告人が局長の机の右側に行った頃に、他の二人の軍人は尚元の席に居たと記憶して居るか。
居た様に思ひます。
更に前述の如く机の左側で局長と三人一緒になった様に思ひますが、
其の後二人の軍人は如何になったか覚へませぬ。
御読聞けの内、
最初の相澤が入室当時局長に面し二軍人が腰掛けて居るのを認めた
と 云ふのは事実かも知れませぬが、其他の机の右側で尚 二軍人を認めたと思ふと云ふ点、
局長と三人一緒になったと思ふと云ふ点は相澤の錯覚であると思ひます。

相澤が局長室に行った当時 局長以外二軍人の居るのを認め、
証人が軍事課長を呼びに行く為局長室を去ったとしても、其の途中に於て相沢と行き合ひさうなものと思ふが如何。
其点は前述しました如く、私が腰掛を立つ瞬間、誰かが背後を通った気配がすると思ったのが、
後から考へますと相澤であったのでありまして、
当時は斯様な変事が起きる事は夢にも思ひませぬでしたから、
当時は前述の如く課員か事務官が来たもの位に直感して 其の方向を見なかった様な次第であります。
夫れ故に或瞬時は相澤と同室に居たのに拘らず、顔を見ずして 即ち同人の入室を知らずして
私が課長室へ移った訳であります。

被告人相澤が予審に於て 永田局長を殺害後 同室を出て廊下を西に行く際、
隣りの部屋付近で相澤相澤と云って居るのを聞いたが、夫れは山田兵務課長の声だとの
趣旨を述べて居るが、当時証人は相澤相澤と発言したことありや。
左様な事は断じて云った事はありませぬ。
私は軍事課の課員であったと思ひますが、某者が局長室内在った在った軍帽を取り上げて
裏に相澤と書いてあると云ったので、初めて犯人は相澤である事を知ったのでありまして、
其時は既に沢山の人が局長室へ来た時でありまして、
私や軍事課長が兇変を知ってから大分時間が経ってからであります。

橋本軍事課長は検察官の取調べに対して供述して居る処は次の如くであるが如何。
事件が起る前に山田大佐は再び貴官を迎へに来なかったか。
別書の通り 直に局長室に行かなかったのでありますが、山田大佐が再び私を呼びに来たとは思ひませぬ。

山田大佐は徴募課長と挨拶をしなかったか。
当時徴募課長は入口を背にして居りましたが、山田大佐に挨拶したか能く覚へませぬが、
多分挨拶しなかったのではないかと思ひます。

私が軍事課長室に入り徴募課長と話をしたのは事実であります。

森田大佐が検察官の取調べに対して次の如く述べて居るが之に対して意見があるか。
此時予審官は検察官の森田範正に対する聴取書を読聞けたり。
私が前述した通りで、軍事課長室に於て徴募課長と話した事は間違ひありませぬ。
唯話をした位置に付ては徴募課長も席を立って居た様に思ひますから軍事課長の机の前だと明言出来ませぬ。

兇変を知って如何なる処置をしたか。
兇変を知って私は同室に於て大声で大変な事が起きたと叫び、人を呼びました処、
漸次人が来ましたので、
早く医者を呼べと命じ、次で犯人逮捕の為 自室に戻って憲兵に電話を掛けた後、
亦 局長室に行きましたら既に軍医等が来て居りました。

証人は局長室に於て新見大佐が負傷して居る事を知らざりしや。
局長室に於て新見大佐が負傷して居るのを見ませぬでした。
私が軍事課長室から局長室に戻った時には最早局長が倒れて居る以外に、
誰も居らなかった様に思ひます。
・・・昭和十年八月二十九日

現代史資料23
国家主義運動3


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