あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍務局長室 (3) 新見英夫大佐 「 抜刀を大上段に構へ局長と向ひ合っていた 」

2018年05月14日 09時08分27秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

証人訊問調書
東京憲兵隊隊長
陸軍憲兵大佐  新見英夫
証人は昭和十年八月十二日午前に陸軍省内軍務局長室に永田鉄山少将を訪ねた事があるか。
訪ねました
証人が軍務局長を訪ねたのは何時頃か。
十二日午前八時三十分頃、憲兵司令官に対し私の所管事務に付て報告を終り、
総務部長、警務部長と協議の上 軍務局長に報告の必要を認めて陸軍省に到り、
最初に兵務課長を訪ね軍務局長に報告するから兵務課長と軍事課長と二人立会って聞いて貰ひたい
と 述べて兵務課長と共に軍務局長室に到る途中、
軍事課長室に立寄り一寸挨拶をして兵務課長の後から続いて軍務局長室に行きましたから時間は午前九時半頃かと思ひます。
局長室に於ては如何なる位置に於て永田局長と対談したか。
私が入室しますと兵務課長は室内の衝立の処に立って私の来るのを待って居りました。
私は局長に対し
永らく御無沙汰をして申訳ありませぬ、本日は久し振りに報告に御伺ひ致しました
と 云ひましたら、局長は
君の仕事は忙しからう、こんなに怪文書が出ては やり切れない
と 云はれましたので、
私は困って居ります
と 答へますと、兵務課長は
あの怪文書は法律を改正しなければ根絶出来ない
と云ひますと、局長も
其通りだ
と 云はれ、其前に兵務課長が
同室内の入口に近い丸卓子の処で私の報告を聞きませう
と 局長に云はれましたが、局長は
其処はいかぬ、此処で
と 云って 局長私用の事務机の処で対談する事になり、
局長は常用の椅子に腰掛け机を隔てて局長に面し、一番右の椅子に私が腰掛け、
中央の椅子は軍事課長が腰掛ける予定で空けて、一番左に兵務課長が腰掛けて話を致しました。
対談中一軍人が抜刀して局長室に闖入し来たのを認めたのは如何なる場合なりしや。
報告に入らんとするに先立って軍事課長が来室しないので、同課長を呼びに出て行きましたので、
私は報告準備の為 持参して来た怪文書包を解き、文書を机上に置き、風呂敷を袴の物入れに入れ、
机上に置いた帽子と先客の湯呑を同室より軍事課長室に通ずるドアの傍の鉄製の書類箱の上に移して
机に戻らんとして振り向いた際、
色の黒い、顔の長い、背の高い歩兵の襟章を附けた軍服の一軍人が
抜刀を大上段に構へて局長と腰掛けの処で向ひ合って、
局長は確か手を上げて防ぐ形をして居りましたのを見ましたのが、犯人を見た初めであります。
其際 兵務課長は在室せざりし事は確か。
私が犯人を見る前に兵務課長は室を出て行った事は間違ひありませぬ。
証人は犯人の闖入を知って如何なる処置をしたか。
私は前述の如く犯人の闖入を知って直に之を取押ふべく、机の左側迄行きますと、
局長は私の方へ危難を避けて来り、犯人も局長の後から迫って来ましたので、
私は犯人の腰部に抱付き犯人が局長を背後より斬らんとするのを抑止しました。
其際振払はれて倒れましたので、更に起上って犯人を追はんとしました処、
起きる際 左手を切られて居る事を知り、直に起きて追跡が出来ませぬでした。
尚 私は犯人から振払はれるや犯人は局長を前述のドアの処に追詰めたのを見ましたが、
其後の状況に付ては記憶して居りませぬ。
私は倒れてから間もなく起上って犯人を見ましたが、最早室内に認めませぬので、
直ぐに隣の軍事課長に事故を知らせる考で廊下に出ましたが、
入口を間違へて事務室に行き、雇員に対し軍務局長の部屋が大変だから早く行けと云ひ、
更に課員室に行って変事を伝へ、廊下に出て通り掛かりの人に早く憲兵を呼んで呉れと云ひ置ひて、
自分は出血を止める為に医務課事務室附近に行った時に軍医に会ひ、
同課に連れられて手当を受けましたが、其後の事はよく覚えませぬ。
・・・昭和十年八月二十一日

第二回聴取書
証人は前回犯人が局長室に闖入したのを認めたのは、
同室より軍事課長室に通ずる南の入口の傍の鉄製書類箱の処より自己の椅子に戻らんとして振り向いた際、
初めて気付いたと述べておるが此の点間違ひないか。
前回作用に供述しましたが、其後よく当時の状況を思ひました処、
間違って居りましたから茲に訂正を致します。
先づ最初、局長室に行ってから局長の机の前の椅子に腰掛けました際は、
前回述べた如く私が局長に向って一番右に、一番左に兵務課長が腰掛け、中の椅子は空けてありました。
夫れから私は報告準備の為風呂敷を解いて怪文書を机上に置き、
風呂敷を袴の物入れに入れて自分の帽子と机上に在った湯呑を鉄製の書類箱の上に移して、
今度腰掛ける時は軍事課長が来室する際は右書類箱の傍のドアーから来るものと思ひましたので、
一番近い右の椅子に腰掛けて貰ふのが都合よいと思って、私は椅子を代へて中の椅子に移り、
兵務課長と隣合せに腰掛けました処、軍事課長が一向来ないので、
兵務課長が呼んで来ると云って椅子を立って後方、即ち初めに入って来た方向に出て行きました。
其処で私は怪文書以外に上衣の内物入に入れて居った二、三の書類を出して
報告の順序要領等を考へ乍ら 見んとしました刹那、
何か音がした様に感じて顔を上げましたら、
局長が自己の廻転椅子から東南約二、散歩の処で西に向って手を上げて防ぐ形をして立って居られ、
夫れに向って前回述べた如き容貌服装の一軍人が、
局長と一、二歩を隔てて軍刀を振上げて居るのを見ましたのが、初めて犯人を見た時であります。
其の際の処置に付ては証人の前回の供述と相違の点はないか。
大体相違ありませぬが、一、二補充しますと、
私は犯人の闖入して居るのを知るや 直に無意識に
 こらっ と叫びながら、
手にした書類を元の物入に納めつつ、机の左側へ進みますと、
局長は私の方向に向って遁れ来り、犯人は之を追ひ迫って来ました。
東の窓辺りに局長を追詰めんとするを、私は犯人の左背後から犯人の腰部に抱付き抑止しましたが、
犯人は非常な勢で私を振払ひました為、私は机の左側に頭を北の方に向けて伏せ倒れました。
其処で私は起上らんとしましたが、左手に痛みを感じ
ああ 斬られたな
と 思って左方を見ますると、
軍事課長室に通ずるドアーの方に向って局長が倒れた様に見受けましたから、
局長は同所で殺された様に思って居りました。
夫れから後の事は前回申述べた通りであります。
兵務課長が軍事課長を呼びに行く為椅子を立上ってから、証人が犯人の闖入を認めた迄の間の時間はどの位と推定し得るや。
其間の時間に付てはどれ丈と云ふ事は確実に云へませぬが、
兵務課長が軍事課長を呼んで参りますと云って椅子を離れてから間もない事でありまして、
私が犯人の闖入を知って机の左側に行く際に、兵務課長が机の附近に居なかったの事は確であります。
証人は犯人から振払はれた際 斬られた事を認識したか。
起き上らんとする際、左腕に痛みを感じたので之は犯人から斬られたなと知りました。
犯人が相沢三郎である事を何時承知したか。
負傷の翌日であったと思ひます。
何か他に申述べる事はないか。
私は彼の場合、憲兵として其の威信を遺憾なく発揮すべき絶好の機会であったと思ひまするに拘らず、
何の周章狼狽注意の周密を欠いた為に、局長閣下を死に至らしめ、
又 前途有為の相澤中佐をして犯人の汚名を蒙らしめたと云ふ事は
軍人、殊に憲兵隊長たるの職責に鑑み 誠に恐縮且慚愧に堪へざる処でありまして、
深く其の責任を感じ、局長閣下の遺族に対しては早速妻をして御断りに参らしめ、
相澤中佐に対しては渋谷の刑務所長を通じて其意を伝へて貰ひました。
又 私の傷害に付ては相澤が当初より私に対しては私情は元より公務上に付ても
含む処があってやった行為とは思ひませぬ。
・・・昭和十年八月二十三日

現代史資料23
国家主義運動3


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