あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍務局長室 (4) 橋本群大佐 「 扉を一寸開けて局長室を覗くと、軍刀の閃きが見えた 」

2018年05月13日 08時59分45秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

聴取書
陸軍省軍務局 軍事課長
陸軍砲兵大佐  橋本群
本月十二日永田軍務局長が遭難した際の状況を申しますと、
当日 午前九時三十分位頃 新任の徴募課長森田大佐が着任の挨拶に来ましたので暫く話しましたが、
森田大佐は局長に申告するのでありますが、当時局長には来客があったので、
其為 二、三分間位私と話して居りました。
客が帰ったので森田大佐は局長に申告を為し、又私の室に来まして話して居りました。
二、三分すると新見憲兵大佐と兵務課長山田大佐が来て、新見大佐は私の室の前を素通りし、
山田大佐は私の室に入り、私に今から憲兵隊長の報告があるから一緒に聞いて呉れと
歩きながら私に伝へて局長室との間の北の方の入口から局長室に入りました。
大体新見大佐と山田大佐は局長室の入口の辺で一緒になって局長の前に行った様であります。
私は山田大佐から右の様に云はれましたが、尚引続き徴募課長と話して居りました。
夫れは憲兵の報告は私の主任事項ではありませぬから、
少し位遅れても差支ないから徴募課長と話を続けて居たのであります。
山田大佐が局長室に入ってから二、三分すると何だか荒い様な音が聞へました。
夫れで私は憲兵隊長が局長から叱られて居るのではないかとも感じました。
引続き物音や足音がして何だか取組合ひでもして居るのではないかと思はれましたから、
局長室との間の南の方の扉を一寸開けて局長室を覗きました処、軍刀の閃きが見えました。
私は何心なく扉を閉ぢ 再び直ちに扉を開けて一、二歩局長室に入ると、人が室から出て行く気配がしました。
見へなかったので引き返へして前の扉の所から私の室を通して廊下の方を見ると、
背の高い軍人が軍刀を鞘に納める様な姿勢で西の方に向って行きました。
夫れに続いて能く覚へませぬが、五、六間後から新見大佐が同方向に行きましたから
其軍人が暴行して新見大佐が追跡したものと思ひました。
当時は未だ局長が斬られて居ることには気が附きませぬでした。
夫れで直に引返へして局長室に進みますと、円卓の南東に局長が血に染まって倒れて居りましたから、
其状況を見た上 直に自分の室に引返へして医師を呼ぶ為医事課で在ったか、
衛生課で在ったか何れかの課長に電話を掛けましたが、課長不在で電話が通じませず、
其内に軍事課員其他の者が来て、医師を呼べと云って居りましたから
私は電話を掛けるのを止めて再び局長室に行って見ましたが、
其時には既に課員属官等が来て居りました。
課員属官等が駈け付けて来たのは山田大佐が人を呼んだからだと思ひます。
又 新見大佐も歩きながら声を出して居る様に思ひます。
山田大佐が人を呼んだのは能く記憶しませぬが局長室の入口辺であって、
新見大佐が出て行く前後でありました。
尚 之は後に武藤中佐から聞いた事でありますが、新見大佐が課長室の前を通る時、
局長室が大変だと云ふ様な意味の事を云って行ったそうでありますから、
其様な関係で課員や属官等が駆けつけたものと思ひます。

私は犯人の逮捕に就ては別に処置しませぬでした。
夫れは新見大佐が追跡したものと思って居りましたからであります。
尚 課員等が局長室に来た時 別室で帽子を発見し、裏面に相澤と書いてあったので
犯人は、相澤と云ふことが判ったのであります。
事件が起こる前に山田大佐は再び貴官を迎へに来なかったか。
別書の通り 直に局長室に行かなかったのでありますが、山田大佐が再び私を呼びに来たとは思ひませぬ。
山田大佐は徴募課長と挨拶をしなかったか。
当時徴募課長は入口を背にして居りましたが、山田大佐に挨拶したか能く覚へませぬが、
多分挨拶しなかったのではないかと思ひます。
本件犯行の推定時刻は。
徴募課長が来た時刻、同課長と話して居た時間と
事件後最初私が時計を見た時の時刻が午前九時五十分で在った点から考へますと、
犯行は同九時四十分頃かと思ひます。
・・・昭和十年八月十四日

第二回聴取書
前回の陳述の際、自分が森田大佐と話して居った時 山田大佐が自分の室に入り来り、
今から憲兵隊長の報告があるから一緒に聞いて呉れ
と 自分に伝へて局長室との間の北の方の入口から山田大佐が局長室に這入り、
新見大佐は自分の室の前を素通りして局長室に行きたる様に述べましたが、
其際 山田大佐は廊下から自分の室に這入って来たのか、或は一時局長室に入り、
同室と自分の室との間の北の入口から自分の室に這入ったのか、只今では十分記憶がありません。
若し山田大佐が一時局長室に入り、北の入口から自分の室に来て前述の
一緒に報告を聞いて呉れ
と 云うたものとすれば、
其際新見大佐も其入口から山田大佐と一緒に一寸自分の室に這入り 顔を見合はせたかも知れませぬが、
山田大佐も新見大佐も自分に接近した様には思ひませぬから、新見大佐と挨拶したとは思ひませぬ。
顔を合はせたとすれば一寸会釈した程だと思ひます。

私が局長室の物音を聞き、南の入口に行き、
扉を開けて一寸内部を見て刀の閃きを見て一瞬間何心なく扉を閉じ、
更に直に扉を開けたることは前回の陳述の通りですが、
此間其入口の扉に物が、ぶつかる様な音や其入口を開かんとする様な物音は聞きませんでした。
刀の閃きがしたのは何れの辺であったか、咄嗟の場合でありまして能く記憶しませぬが、
二つ並んで居る衝立の東の端附近ではなかったかと思ひます。
刀の閃きを見た瞬間、局長の姿も犯人の姿も其他の人の姿も、自分の目には這入って居りません。
只、刀の閃きを見た丈であります。

自分が入口の扉を開き刀の閃きを見て一瞬間扉を閉ぢ、
更に扉を開きて 一 二歩局長室に入りたる時は 室内には何人の姿も認めず、
只、誰か人が出て行く気配がしたので 直に一 二歩引返し、
自分の室を通して廊下の方を見たのでありますから、
当時の局長室の状況は何等印象に残って居りませぬ。
局長室より出て行った人は誰であるかと云ふ様なことも考えませんでした。

自分が自分の室を通して廊下を課員室の方へ行く相沢中佐 ( 只今より考えて相澤中佐と思ふ )
及 新見大佐の姿を認めた際、
自分の室に山田大佐や森田大佐が居ったか、どうかは能く記憶がありませんが、
或は自分の室に居ったのではないかと思ひます。
若し両大佐等が私の室に居らず、局長室に入って居ったとすれば、
両大佐は少なくとも新見大佐の姿を局長室の入口付近で認めたハズでります。

自分が局長室に行くのが遅れたので山田大佐が私を呼ぶ為、
再び自分の自室に来たと云ふことについては 自分には只今十分記憶がありませんが、
山田大佐が確かに私を迎へに行って私の部屋に入ったに違ひないと申されますならば、
私は今日に於て既に記憶も薄弱になって居りますから、或はそうかも知れませぬ。
尤も前回の陳述は事件直後で記憶も十分であった際でありましたから、
大体自分が前回陳述したことは間違いないと思うて居ります。

自分が初めて局長の倒れて居る姿を見た時、局長の頭部が床にくっ付いて居ったか、
或は 頭部又は上半身が椅子等に凭り掛って居ったかは能く覚えありませぬ。

本然七月十九日 相沢中佐が永田局長に面会したことは、其数日後局長から聞きましたが、
如何なる機会に何処で聞いたか記憶がありません。
何んでも 其際は私一人ではなく他の人も居って、
主として其人に対し局長が話したのを私も傍から聞いたのではないかと思ひます。
相澤中佐との会談の内容は、
相澤中佐がえらい元気で遣って来たが 諄々と説き聞かせて遣ったら感服して帰った
と 言はれた様に思ひます。
又 相澤中佐が局長に辞職したら如何かと云ふ様な事を云うたと、局長も話して居った様にも思ひます。
・・・昭和十年九月二十五日

現代史資料23
国家主義運動3


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