あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

相澤三郎 『 仕へはたして今かへるわれ 』 (一)

2017年09月15日 13時38分30秒 | 相澤三郎


相澤三郎

昭和十一年六月三十日

接見人
弁護士 角岡知良
同  菅原 裕
角岡
本日は誠に御気の毒な御報告を致さねばなりません。
残念乍ら上告は理由なしとして棄却されました。
私達も相当に人事を尽してやつた積りですが、学問の足らざる為か、
貴殿の御考へ通り充分に行かなかつたかもしれませんが悪しからず。
被告
色々と有難う御座いました。
私は両先生の御力に依りまして上告致し、
此の間に凡てをやらして戴きましたことは誠に何とも言ふ事の出来ぬ喜びを感じて居ります。
之は私が長い間 両先生に御世話になりました御礼の意味で申上げますが、
それは色々と考へたことで、今後御国を良くする案で御座います。
一、人生の意義を確立すること。
二、人生の目的統一と言ふこと。
三、尊皇絶対が人生生活の根源なること。
四、尊皇学の設定と之れが徹底を図ること。
五、日本の真の御先祖様は天の御中主大神なり、之を昭和大神宮とおたてすること。
六、官制を世界的に確立すること。
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昭和十一年六月三十日
接見人  妻 相澤米子
被告
石原様に最後の手紙を出した。
又 此際告発は取下げる方が良いと思つて取下した。

そうですか。
此処で不要の物は皆 返して下さい。
書いたものや手紙等を。
被告
明日でも返すやうにするかなあ。

今日でも其準備をしたなら如何ですか。
被告
今日はやれない。

荒木閣下には手紙など出さない方が良いでせう。
今迄の事で大概 分つて居るでせうから。
被告
菅波でも外に居れば、荒木様と連絡を取れるがそれも不可なり。
最後にお前に言ふて置くが、
書いたもの 四、五冊ある。
其内私物に書いたものは持つていけるが、御上のものに書いた日記は持つて行かれぬ。
昭和維新の事に就て書いたものもある。

今日書いたものを返して呉れたら如何ですか。
被告
私の書いたものは百年でも二百年でも他人に見せてはいけないよ。
日本の神髄、人生の目的、昭和の大事業等世界を統一するに昭和維新が必要だ。
子供に今日半日掛つて手紙を書いた。
又寺には早晩お別れをせねばならぬ。
法名を頼む。
今度は極簡単 ( 葬儀意 ) にする故、来なくてもよいと手紙を出した。
明日来るとき 実印を持つて来い。
それから遺訓は書いてあるよ。

それは私に下さればよいのです。
それから遺言状は人の扱ひ様に依つては変るものですから、
あの人 ( 義弟を意味す ) は神様のやうな人とは思ひますが、
色々の事情でどうなるか解らないと思ひます。
被告
私はあの時 ( 事件当時か? 、第一審終結時か?) にと 思つたが、
やつぱり命の長き方が良かつた。

それは無論 長い方が良いでせう。
それから貴方の書いたものを見れば大変参考になると思ひますから取纏めて置いて下さい。
被告
遺言状は簡単に書くことにする。

私が勝手にやる様に書いて下さい。
被告
勝手でない。一任するのだ。

あの人 ( 義弟 ) 一人ならまだ良いのですが、近親者が相当付いて居るのですから。
被告
お前の思った通りにやればよいのだ。

明日 子供を連れて来させて下さい。
小四郎も一緒ではいけないですか。
被告
一緒でも良い。

小四郎様は貴方が何も頼まないと言ふて居ます。
被告
そうか 今度は何か頼んでやらうかな。

頼まないと言ふのは子供の事でも言ふのか解りませんよ。
十年位経つたなら子供を見てやると言つて居ますが、そんな事なら御断りします。
真に誠意があるなら今の内に見て呉れる筈です。
被告
家の事は面倒だなあ。

子供達はお父さんは呑気だと言つて居ます。
被告
私は万事お前に任せる故、何とも思つて居ないよ。
然し お前の苦労は大変だよ。

私より貴方の方が余程幸福です。
被告
俺は幸福だよ。
さあ何日になるか解らないが、子供達を連れて来た方が良い。

他人を相手にせず 一人でどしどしやる積りです。
他人から指図されるのが一番嫌です。
被告
もう時間だから帰れ。

子供丈は確つかり育てます。
それでは。
以上
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遺言
一、第十二代 相澤三郎は、
第十三代を三郎長男正彦に御譲り致します。
父三郎は、
身命を達し、今茲に
陛下の御使として
神の御側に参ります。
御使の後は矢張り、陛下の赤子として、忠魂となりて万世相沢家にあつて、
陛下の御側に御仕へするのであります。
篤と御承知下さい。
二、正彦は予てより 父の訓に従ひ、臣節を全ふして下さい。
和以は三郎と一体であります。
御前の考へ通り凡てを処理奉仕せよ。
宣子、静子、道子も皆 正彦と同様父の訓を守り、忠義の臣として全して下さい。
和以とは米子のことなり。
昭和十一年七月二日
相澤三郎 ( 拇印 )
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昭和十一年七月二日
午後十時半、総てを了へました。
今から御前と話をします。
夫婦は二世と言ふが、お前とは万世だ。
これは神様の御仕になつて出来ました。
お前と私は最大の幸福ですよ。
私は明日は此の世の中の束縛から脱しまして、 「 ぢき 」 に お前のところに参りますよ。
お前の情に抱かれて此の度は一層の勇猛心を以てお前と一所に子供をそだてるばかりでなく、
立派に一層忠義を御尽し得ますよ。
早く帰りたい。
決して離れないから。
お前の信仰は誠にうれしい。
過去を考へるとおかしいねー。
そこで趾始末等は お前はやるもよいが、十分睡眠を例の通りやつて身体を元気にしないといけないよ。
勿論私の持つて居るはちきれ相な精神は、皆 お前に譲るから、
明日からは お前の大事な心臓は今度は非常に丈夫になるよ。
信仰よ、ほんとうだよ。
笑ふ顔が見えるねー。
そつき歌とか言はれたが、書きよーがないが、さー、なにか書こーか。
  まもるらし 此の三郎の魂は
  まもるそなたと千代よろづよに
  まごゝろによりて そうたるかえあつて
  仕へ果して 今かへるなり
もう午後十一時になりますよ。
  かぎりなき 思はそちの情にて
  たのしかるべき末の末まで
中々歌はむづかしいね。  木曜日。    三郎
和以様御許江
寝ますよ。
午前四時再読訂正しましたよ。
いまから墨をすつて又書きますよ。
三郎
 なつかしき
 和以様
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昨晩は御馳走でありました。
有難く頂戴致しました。
どうぞ尊い善助様と一体となる奥様に、しつかり御仕へ下されと申上候。
さようなら
三日朝  三郎
渋川さんの奥様
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昨晩は御馳走様でした。
有難く頂きました。しつかり御仕へして下さい。
三日朝  三郎
村中さんの奥様御許へ
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三日朝
只今から御使して参ります。
相澤三郎
菅原先生
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御使してすぐ還つて参ります。
三郎
相澤正彦様
母上、姉上、妹によろしく。
午前四時半

二・二六事件秘録 (一)
死刑相澤三郎中佐に関する記録  から


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