あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

相澤三郎 『 仕へはたして今かへるわれ 』 (二)

2017年09月14日 13時32分16秒 | 相澤三郎


相澤三郎

六月二十五日 ( 封書 )
宛名  参謀本部  石原莞爾

冠省。私考左に申上度御座候。
一、人生意義の確立 神を信仰。
二、人生目的の統一神への奉仕。
三、尊皇絶対が人生活動の根源。
四、尊皇学の無窮向上の創造確立、宗教、哲学、倫理、道徳、其他化学進化の根底、確立と実践。
五、天御中主大神を祭り奉る昭和大神宮を御造営遊ばさること。
六、御完成大祭と同時に、世界人類に宣布せらるる如き大詔御渙発を仰ぎ奉りたきこと。
七、世界人類に活動の根底を明に御示し下さるべき憲法、法律の御発動を仰ぎ奉りたきこと。
昭和の大業御完成に、世界人類のあらゆる叡智を絞つて翼賛し奉る如く、
殊に輔弼の重責にあらるる御方は、高邁こうまい絶大なる努力を捧ささげらるゝ如く、
即時強力決心なされ度く御進言をなし下され度く存候。
勿論一私見に過ぎざるものに御座候も、奉公の微衷のみに御座候間、御了承被下度奉悃願候。
拝具

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渋川令夫人様へ
相澤三郎
六月三十日認む
誰にも見せないで下さい
一、
昨日二十九日、皆々様の写されました御姿によつて初めて御会ひ致すことが出来ました。
二、
大君の御為とは申しながら、渋川善助様の御事を想像し、
且つ 現に貴女様の御心境を思へ浮べる時は、実に残念であります。
実に悲しくあります。
唯々胸一ぱいな物があります。
三、
善助尊兄様には、拙生生前無二の親しき友でありました。
否私の此の世の中で第一尊敬し、なつかしい。
将来に希望を抱いて、
大君の御為め日夜念じて来たのでありまして、考ふれば唯涙であります。
挫折の悲惨は極であります。
偉大にして誠忠無二なる善助尊兄様を、最後まで、
尚死しても罪は転た一日も早く明くならるゝことを祈つて居ります。
四、
貴女様の今後の御方針には、一言も申し上げ兼ねます。
唯拙生の遺族は、子供等が成人する迄は現在の所に居られますから、
若し御郷里を常任とせられましても永久に姉妹として下さい。
五、
私は茲に最後をとげるのは勿体ないのでありますが、
霊魂は鷺の宮にありて一家を守り、
永久に大君の御為め、
善助尊兄と力を合せ、
皆様と一所になつて御奉公致します。

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六月三十日    相澤三郎
村中孝次尊兄様の奥様へ
一、
何の為めかわかりませんが、
賊と認められて茲に最後を遂げるに当りまして、
拙生、生前殊の外御世話になりました奥様に一言申上げます。
二、
今後 孝次様と同じ所に離れて居ります。
同じく大君の御為と志しましたが、
遂に私は一足先に自由脱落の身となつてしまいます。
然し私は鷺の宮にありて家を護り、悠久に大君の御為め御奉公致します。
三、
孝次様の御子様は、御伺ひすることが出来ませんが、
再び明い日が到来して喜々として、
大君の御為め御尽し遊ばさるゝ様になることを祈願致します。
四、
希は、奥様や御嬢様御一同御落胆なさるゝことなく、最後まで元気を出して、
御健康に御尊家を御護り遊ばさるゝ様御祈り申上げます。
五、
拙生の遺族は、事の外御世話になります。
子供等の成長する迄は今の処に住んで居ります。
どうか、悠久に姉妹としてやつて下さい。

二・二六事件秘録 (一)
死刑相澤三郎中佐に関する記録  から


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