あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

田中勝中尉 「 しっかりやって下さい、私はこれから陸相官邸に行きます 」

2019年10月06日 19時36分49秒 | 田中隊



鬼頭春樹 著 『 禁断 二・二六事件 』 
恰も再現ドラマの如く物語る


宮城の暗闇で非常ベルが鳴り続けた。

午前四時四十分、蹶起の最初の兆候が、こともあろうに宮城でキャッチされる。
近衛師団宮城守衛隊司令部では仮眠中の当番将校以下全員が飛び起きた。
常夜灯が申し訳程度に照らし出す暗がりでは、ベルはまるで暁の静寂を切り裂く悲鳴音のように聞こえたことだろう。
近歩三の二箇中隊二百四十名が騒然となった。控兵に上番していた中橋と同じ聯隊だ。
現場は二十メートルおきに外灯が並ぶ宮城前広場。
その玉砂利が敷かれた車輌進入禁止区域に軍用車輌五台がいきなり侵入したのだった。
乗用車一台、トラック三台、サイドカーが一台。
馬場先門から直進した車列は、二重橋 ( 正面鉄橋 ) に到る手前の正門石橋直下で停止した。
これを目撃した正門警備にあたる守衛隊歩哨が直ちに非常ボタンを押す。
平時では宮城の警備は宮内省警察部が主体だが、ボタンを押したのは近衛兵だった。
従って近衛師団の警備網に異常が伝達される。


田中 勝
陸士在学中 第44期 の五 ・一五への突出は、大きな刺激をうけた。
任官して市川野戦重七付となったが、
そこには維新革命を志す河野壽中尉があり、薫陶をうけ啓蒙される。
同郷の先輩 磯部とは特に親交をもっていた。

不法侵入した車輌部隊の指揮官は野重第七第四中隊、田中勝中尉 ( 25 )。
十三名の下士官兵を乗せた計五台は、夜間自動車行軍をかねて靖国神社に参拝 と称して、
市川の駐屯地を三時十五分に出る。
車列は途中、小岩にある田中宅に立寄った。
拳銃と軍刀、そしてキャラメル多数を夫人から受取る。夫人は身重だった。惜別の意味があったろう。
その遅れを意識して猛スピードで都心に向かったのだが、逆に早く着きすぎてしまう。
陸相官邸五時の待合せまで時間をつぶすため、まず靖国神社に詣で、
次に宮城前広場に参拝しようとして 立入禁止区域に乗り入れたのだった。
之には当然、S作戦 の下検分の意味もある。
非常ベルに驚いた仮眠中の近衛師団将校や皇宮警察警手が正門守衛所にあたふたと駆けつけた。
総勢十二名にも上ったと  『 皇宮警察史 』 は記す。
「 衛兵所まで同行願おうか・・・・」
近衛の守衛隊当直だった小坂少尉が、田中中尉の星が二つの階級章にチラリと目を遣りながら丁重に誘う。
行先は上道灌濠に近い正門儀仗衛兵所だった。
守衛隊司令部と同じ建物の一階に入っている。
「 いや 単に訓練中の宮城参拝です。地理に不案内でご迷惑をおかけしました 」
田中は所属を名乗った上で素直に詫びを入れて一件落着だった。
 宮城
この時刻 まだ宮城では雪が降りだしてはいない。
麻布の歩三、歩一では未明から粉雪が舞っていた。首相官邸でも同様だ。
田中は一段と高い土手堤に建てられた衛兵所にいた。
目の前に伏見櫓の白壁が黒々とシルエットで聳え、その向こうに御常御殿が見えた。

すでに蹶起部隊は非常呼集を終え、歩三、歩一、近歩三の各営門を出ていた。
「 ようし 三宅坂だ、いよいよ五時の蹶起だ、陸相官邸に行くぞ 」

≪ 高橋是清大蔵大臣私邸 ≫
赤坂区赤坂表町は瀟洒しょうさいな屋敷町だ。
午前四時四十五分。
近衛歩兵第三聯隊第七中隊、中橋中尉は
百二十三名を率いて表町三丁目の高橋蔵相私邸附近に到着する。
静かに粉雪が舞っていた。
渋谷から青山、赤坂見附を経て築地に到る市電通りの 「 赤坂表町 」電停の南側に、
この高い黒塀で囲まれた広大な敷地の邸宅があった。
北側には貞明皇太后が居住する大宮御所がある。
一ツ木町の近歩三の営門から歩いて五分とかからない。
憲兵隊訊問調書と判決文では営門を出た時期が五分違うが誤差の範囲内であろう。
中橋中隊の行動は敏速だった。
軽機関銃を警戒のため市電通りに配置したあと、
五時十分、第一小隊、砲工学校の中島莞爾少尉が容易した縄梯子で高橋邸の高い塀を乗り越える。
表門と東の塀の二ヶ所から突入隊が敷地になだれ込む。
服装は行動しやすい演習服。
まず内玄関を破壊し、直ちに室内に二十名の兵が乱入。
ところが広い屋敷内で勝手が判らず、二階に上る階段がどこをどう探しても見つからない。
各所で兵と家人が衝突し、右往左往混乱の極みを迎えてしまう。
中橋が 恐怖の念を起さしめ手出しをせざる如く するため、
拳銃で三発 廊下に向けて威嚇発射し、ようやく収まるのだった。
同時に二階への階段も見つかり駆け上がる。二階奥の寝室までまっしぐら。
高橋蔵相は寝ていたと謂う説と 起きていたと謂う説がある。
判決文は前者、松本清張 『 昭和史発掘 』 での家人の証言は後者である。
庶民にもダルマの愛称で親しまれた高橋是清蔵相 ( 81 ) は蒲団の上に座り大きな目を向く。
「 無礼者、なにしにきたか 」
「 天誅 」
と 唯一言 叫んだ中橋が拳銃を即座に四発発射する。
同時に中島が軍刀で右肩に切り込み、返す刀で胸を突き刺す。
蔵相は何か唸ったように中島には聞こえたが静かに倒れた。
アッという間の出来事だった。
蔵相の次女、真喜子 ( 26 ) が階下にいた。
二階からドヤドヤと軍人が降りて来る。
指揮官の中橋は真喜子を肉親と認めると、立ち止まり無言で最敬礼する。
と 見るや 赤マントを翻し風の如く去って行った。
突入から引揚げ迄襲撃は十五分足らずで終わる。

中橋は撤退の際、門前に催涙弾を投げ捨てて行く。
煙と叫び声が交錯するなかを、
口と鼻をハンカチで押さえた警官の手で非常線が張られた。
 

中橋は呼子笛を鳴らし、
第一小隊六十名の蔵相襲撃隊を門前に集結させると、
中島少尉に小隊を率いて首相官邸の栗原隊に一旦合流するよう命じる。
肩で息をしていた中橋は上着のボタンを外す。
一息つくと暗闇のなか少し離れたシャム公使館脇へと急ぐ。
そこには第二小隊長、今泉義道少尉以下の六十二名が待機中だ。
蔵相を襲撃する間、小休止を命じてある。
その際、空包しか渡さず、目的は明治神宮への参拝だと称した。服装は第二軍装。
この場所では蔵相邸内からの射撃音は聞こえないはずだった。
つまり第二小隊の兵士たちには襲撃蹶起は伏せられる。
中橋は第二小隊にこう云い渡すのだった。
「 非常事件が起きたから参拝は取止め、宮城へ控兵として行く 」
さあ、次は半蔵門だ。

「 非常 」
トラックの荷台から田中勝中尉が大きな声で叫ぶ。

五時二十分だった。
「 取り込み手が空いていないので敬礼ができないが、失礼する 」
という軍隊用語だ。
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・・・挿入・・・
高橋邸襲撃を終えた中橋は、
突入隊を中島少尉、大江曹長、箕輪、宗形 両軍曹に託して首相官邸に向かわし、

こんどは赴援隊の第二小隊を今泉、斎藤と共に率いて青山通りに出、半蔵門に向かうのだが、
すぐに田中の自動車隊に遭遇する。
「 ・・・蔵相邸表に出ると、陸軍砲兵中尉田中勝が自動車四台を率いて通り抜け、
私に 『 しっかりやって下さい、私はこれから陸相官邸に行きます 』 と 云い、
田中中尉が 『 非常!』 と 叫んでいたという事で、
突発事態に遭遇したと認め 第七中隊は直ちに宮城に赴く 」 ・・・3月15日 中橋調書
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市電通りで追い越して行く野重七のトラック部隊を見送った中橋中尉。
「 あれだ。あのトラックに明治神宮参拝から帰る途中に遭遇して、
非常事態が発生したことを初めて知った事にすればいい 」
中橋は六十二名の第二小隊と共に半蔵門をめざしている、その途上で遭遇したのだ。
田中は宮城参拝からすぐ陸相官邸に回ったが五分早く到着。
一方の歩一第十一中隊、丹生中尉指揮の占拠部隊が五分遅れたため、落ち合うことが出来なかった。
異変が生じたのではないかと危惧した田中は、確認の為麻布六本木の歩一に急行する。
山口週番指令から、既に第十一中隊が出撃したことを聞くと、
すぐさま陸相官邸にとって返した、まさにその途中だった。


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