あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍務局長室 (5) 森田範正大佐 「 局長室で椅子を動かす様な音がした 」

2018年05月12日 08時45分50秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

聴取書
陸軍省 軍務局 徴募課長
陸軍歩兵大佐  森田範正
本月十二日 永田軍務局長が遭難せられた時の前後の状況を申しますと、
当日午前九時三十分頃、新任挨拶の為軍事課長室に行き 同課長と挨拶して、
次で局長に申告する積りでありました。
恰度来客がありましたので少しの間、軍事課長と話して居りました。
間も無く来客が去られたので局長に申告し、四、五分間執務上訓示を受けた後、
軍事課長の処に帰って同課長と二、三分間も話して居ると、
同課長の室に誰かが一寸入って軍事課長に対し、
局長の室に一緒に来て呉れ
と 云ふ様な意味の事を申し置いて局長室に行かれた様でありました。
当時私は軍事課長と相対して入口を背にして腰を掛けて居りましたので、
其入って来た人の顔は見ませぬでしたが、
山田大佐は予て知合でありまして特長のある声でありますから、
山田大佐ではないかと云ふ位の感じはして居りましたが、
確かに山田大佐だと思ふた訳ではありませぬ。
其人が局長室に入ってから、私は軍事課長は局長室に行かねばならぬことが判って居りましたから
直に返る考えではありましたが、話の続きもありましたので 尚 一、二分話をしている内、
局長室で椅子を動かす様な音、次で机を動かす様な音や机か何かが倒れる様な音を聞きましたので、
之は変だと思ひました処、軍事課長も同様に感じたらしく殆ど同時位に立上ったと思ひます。
それで私は廊下に近い方の入口の扉を開いて局長室を覗ひた処、山田大佐が居るのが一寸眼に付きました。
夫れに続いた瞬間、
廊下を憲兵将校らしい者が、左の腕の服が破れ血に染まって課員室の方に行くのを認めました。
私は何心なく一寸其位置に立止って居った処、
軍事課員武藤中佐、池田中佐が来て同人等と相前後して局長室に入りました処、
局長は円卓の向側に血に染まって倒れて居りました。
私が局長室に入った時には軍事課長、兵務課長、池田、武藤中佐が居った位で、
私は同室には早く入った方であります。
橋本軍事課長が何処から局長室に入ったか、私より先で在ったか後で在ったか、能く覚へませぬ。
尚私が負傷した憲兵らしい者を認めた際には、其憲兵が犯人でないかと云ふ様な感じを致しました。
兇行の直前 山田大佐は橋本大佐が直ぐ来ないので迎へに来なかったか。
来た様には思ひませぬ。
兇行直前貴官は山田大佐と挨拶をするとか話をするとかしたか。
兇行前は山田大佐に面接して居りませぬから、勿論挨拶も話もして居りませぬ。
・・・昭和十年八月十五日


第二回聴取書
私は去る十五日の取調に於て、私と橋本大佐が話し中、
局長室に於ける方の入口の扉を開いて軍務局長室を覗ひた処、
山田大佐が居るのが一寸眼に付いたと申しました。
又兇行直前に山田大佐には面接しない様に申しましたが、
十五日の午後 山田大佐が私の処に来て同人が云ふのには、
兇行の際 山田大佐は橋本大佐を呼びに来て軍事課長室に入って来た際、
私が前に申した入口の方に行くのと出会って私と挨拶したと申されますので、
私も能く考へて見ると或は軍事課長室と局長室との間の廊下に近い方の入口(前述の入口) の方向に行く際、
入口の近くで或は山田大佐に会ったのではないかと思ひます。
併し当時の私と局長室に何か異変が在った様に感じて立って行ったのでありますから、
山田大佐と挨拶する余裕は無い筈でありますから、挨拶はせずに黙礼した程度であったと思ひます。
夫れから直ぐ私は局長室に入ったのでありますが、山田大佐と私と何れが先に局長室に入ったか能く覚へませぬ。
・・・昭和十年八月十七日

現代史資料23
国家主義運動3


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