あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

蹶起の目的は、昭和維新の端緒を開くにあった

2020年04月04日 17時50分54秒 | 池田俊彦

この事件はクーデターなのか。
それとも それ以外の何物なのか。
そこが判然としないために、各種の誤解が起こってくるものと思う。
我々の首脳部の人々は、
底辺の国民の声をきくこともなく、
民生をそのままにして

自己の勢力を確立しようとする反維新勢力を武力を以て排除し、
真の国体を顕現しようとした。
そして我々に理解を持つ軍中枢部の人々を動かし、
昭和維新を実現すべき維新内閣を組織する首相を陛下に奏請して、
その御裁下を得て
維新実現の一歩を踏み出すことにあったのである。

もしクーデターであるならば、
もっと大規模な行動が全国的になされねばならず、
或る論者の言う如く、
宮中府中を占拠し、全国の軍及警察網を握り、
完全に維新軍の独裁を確立しなければならなかった。
それには事前の工作はもっと徹底的に行われるべきであった。
民衆も動員されなければならなかった。
しかし あの時の情勢はそこまで切迫していなかったのである。
磯部さんは敗れてから このような考えを持ったかも知れないが、
蹶起の時はそのような計画ではなかった。
唯、奸を斬り、軍を被冒して、
天皇陛下の御稜威みいつの下に
維新政府を発足せしめるだけのものであった。

あれは クーデターなどではなく、
村中氏の丹心録にあるように、
昭和維新の端緒を開くにあったのである。

しかしながら、
武力を以て時の政権を倒し、新しい政権を樹立し、
社会制度の改革の企図を持つものをすべて クーデターと呼び 革命と呼ぶならば、
これも日本的一種のクーデターと言えるであろう。


池田俊彦
生きている二・二六   から


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