あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

歩哨 「 守則ですから通しません 」

2019年06月08日 17時31分06秒 | 野中部隊

営門を出て歩一の裏門にくると、
一時停止し 数分後再び行進に移った。
この停止が何だったのか、
恐らく 指揮官野中大尉と歩一側の同志将校との出動確認のとりかわしであったのだろう。
雪がまた降ってきたが気のせいかあまり寒さを感じなかった。
やがて一時間も行進した頃 警視庁の裏門附近に到着。

すると配属された重機関銃が各所に散って庁舎を包囲、同時に各分隊が校内に入っていった。
ここで私は初めて出動の目的が警視庁の占領であることを知った。
私の堀口分隊は裏門から庁舎内に進入するとすぐ二階にかけあがり電話交換室に飛込んだ。
そこには交換手が十名ほど忙しく交信していた。
私たちはすぐ各交換手の背後に立ち通信している内容を調査した。
彼女たちは兵隊の進入に驚きながらも
そのままの姿勢で作業を続けていたが緊張気味で幾分手先が震えている者もあった。

約十分後 小隊は正面玄関の内側に小哨の位置を設け、
そこから桜田門前に歩哨を出し道路の交通遮断の任に転じた。
私は六時過ぎ交代して立哨についた。
雪が益々激しくなり軍帽や外套が忽ち白くなってゆく。
そうした中に立哨していると霞ヶ関方面から一台の乗用車が走ってきたので、早速 銃を構え停止を命じた。
停車した車の運転手は憲兵で助手席に憲兵曹長、後ろの座席にも一人乗っていたが暗くてよく判らない。
「 ここは交通禁止ですから先には行かれません 」
「 急いでいるんだ、通してくれ 」
「 ダメです 」
「 解らん歩哨だな、どうしても通さんか !
曹長は急に高飛車になって一喝した。
私も負けずに、
「 守則ですから通しません 」
そういって徐に銃の安全装置をはずして引鉄にゆびをかけた。
それを見た曹長はさすがにびっくりして車からおりた。
「 それでは後ろに乗っておられる方を見ろ 」
と 私を車に近づけて窓からのぞかせた。
見るとベタ金で陸軍大将だ。
よく見ると写真で見覚えのある真崎甚三郎閣下ではないか。
私が ハッと驚くのを見てとった曹長は、
「 どうだ解っただろう、それでは安全装置をしてくれ 」
と 頼んだ。
「 よく判りました。しかし歩哨の任務は絶対です。小哨長に聞いて下さい 」
と 警視庁の玄関前の小哨控所を指で示した。
その結果許可が出て車はそのまま陸軍省の方向へ走っていったが
大変な一幕だっただけに今でも鮮明に覚えている。

歩哨を交代し玄関前に戻ってきて約二十分休憩したとき、
私は常盤少尉から随行を命ぜられ 「 美松 」 に行った。
店内に入ると少尉は何が好きかと聞き 私が戸迷っているとすぐ注文して、
『 しるこ 』 を ごちそうしてくれた。
どうして私だけに食べさせてくれたのか、
思うに先刻の歩哨勤務の精勤ぶりに対する ごほうびかとも思われたが 遠慮して一杯に止めた。
食べおわると また警視庁に戻り以後分隊は待機となり私は車庫の中で休憩した。

その日は庁内で泊り
翌二十七日午前、中隊は新国会議事堂に移った。
しかしここはまだ工事未了で建築資材が散乱していた。
早速材木を集め焚火をして暖をとった。
だがこのままでは中隊としての給養がとれないので夕刻内相官邸と鉄相官邸に分宿した。
その夜は酒の配給があって寒さのがれを理由に飲んだ。
この時 白襷を十字にかけた常盤少尉がきて我々に訓示をした。
「 我々の行動は全国から絶大な支持を寄せられている。
目下各地においては続々と共鳴者が蹶起中であるからお前たちも全力を尽くして頑張ってくれ
若し撃合いになっても相手が撃ってくるまで発砲してはならない 」
しかし事態は訓示とはうらはらに、鎮圧軍が刻々と包囲しつつあった。
そこで我々は雪で顔を洗い酔をさました上で戦闘準備に入った。

二・二六事件と郷土兵
歩兵第三聯隊第7七中隊 二等兵 滝島 淳 「 鎮圧軍兵士と泣く 」 から


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