あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

澁川善助の四日間 『 二十八日 午前十時、幸樂ニ行キマシタ 』

2020年02月06日 06時39分15秒 | 赤子の微衷 2 蹶起した人達 (訊問調書)


澁川善助
第一回訊問調書
被告人  澁川善助
右者ニ對スル 内亂被告事件ニ附、昭和十一年三月一日、東京衛戍刑務所ニ於テ、
本職ハ右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
氏名、年齢、族称、本籍地、出生地、住所及職業ハ如何
氏名ハ澁川善助
年齢ハ三十二年
族称ハ福島県平民
本籍地は福島県若松氏七日町六十一番地
出生地ハ本籍地ニ同ジ
住所ハ東京市小石川区水道端町二丁目六十四番地
職業ハ無職
位記、勲章、記章、恩給、年金を有セザルヤ
アリマセン
刑罰ニ処セラレタルコトアリヤ
刑罰ニ処セラレタル事ハアリマセンガ、現在、鉄砲火薬類取締法施行規則違反被告事件ニ附、保釋中デアリマス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
二 ・二六事件

事件發生ヨリ終熄迄ノ行動ニツキ述ベヨ 

二月二十八日 午前十時頃、對ノ境地
初メテ同志ガ集ツテ居ルト聞キマシテ、
赤坂見附山王下料理店幸楽ニ行キマシタ。 ・・・< 註 1 >

夫迄ハ今回ノ事件ニハ直接関係スルコトナク、
外部ニ居テ外ノ同志ノ人々ニ事件ノ模様ヲ知ラシテ居リマシタガ、
事件ニ參加シテ居ル同志ノ模様ガ心配デアリマシタノデ云ツタノデアリマス。
私ハ幸楽ニ行キマシタ時ニハ、
同志歩三ノ安藤大尉、坂井中尉ト其部隊ガ居リマシタ。
同日ノ午後四時頃、
參謀本部ヲ占據スル爲ニ出發スル坂井部隊ト一緒ニ參謀本部ニ行キマシタガ、
同所ノ幕僚ノ方ガ明渡シテ呉レマセンノデ、
坂井部隊ト共ニ陸相官邸ニ行キマシタガ、時間ハ判リマセンガ暗クナツテ居リマシタ。
陸相官邸デハ、参謀本部副官ガ出テ參リ、自由ニ使ヘト言ツテ呉レマシタノデ、
玄關ヨリ這入ルトスグノ大広間及小室ヲ使用シマシタ。
夫レカラ時間モ、亦誰ガ言フタカモ判リマセンガ、
明朝早クヨリ攻撃サレルト言ツテ來マシタノデ、坂井ハ防禦ノ準備をシマシタ。
私ノ考デハ、多分、鉄道大臣官邸ニ居ル野中、村中、竹嶌、對馬ノ方カラ言ツテ來タモノト思ヒマス。
然シ私ハ攻撃サレル様ナ事ハナイト考ヘテ居マシタ。
多分、之ハ今迄ノ如ク嚇シノ手ダト思ツテ居リマシタガ、
夜中過ギ、愈々來ルト言フ事ガ決マリ、
眞實ラシクナリマシタノデ、部隊ハ防禦ノ準備ヲシテ居リマシタ。
陸相官邸ニアる色々ノ物ヲ持チ出シテ、防禦ノ爲ノ布團ヲ出ス時、
仕込杖及短刀ガアリマシタノデ之ヲ無斷デ使用シタコトヤ、
煙草等ヲ私ガ無斷デ下士官兵ニ迄分配シタコトニ就テハ陸相ニ申譯ナイト思ツテ居リマス。
其夜ハ官邸デ夜ヲ明シ、
二十九日 午前八時頃、戰車ノ音ガ聞エテ來マシタガ、
其折チョウド栗原ガ來テ
此ノ立派ナ下士官兵ヲ殺傷セシムルニ忍ビナイ。
我々ノ心ヲ此ノ忠勇ナル下士官兵ニ受繼セタイ。
我々ハドウナツテモ、此頼モシイ部下ダケヲ無事ニアル様交渉シヤウト云ツテ、
兵隊ヲ殺スコトヲ大分心配シテ居リマシタ。
程ナク歩四九ノ大隊長及中尉ノ方ガ見エ、
「 命令ハ出タガ我々ハトテモ射撃ハ出來ナイ 」
ト 言ヒマシタ。
坂井中尉ハソコデ、
「 我々ノ方ハ何等反撃スルモノデハアリマセン。
何卒當方ハ御心配ナク上ノカタニ御維新ノ翼賛ニ邁進セラレル様意見具申シテ頂キタイ 」
ト モウシマシタ。
表ヘ出タ大隊長ハ、近ク迄來タ戰車ヲ元ノ位置迄戻サレマシタ。
栗原ハ
「 安藤サンノ方ヘ行ツテ來ル。皆ハ陸相官邸ニイツテ居ルヨウニ 」
ト 申シテ去リマシタ。
ソコデ中橋、池田、中島、林等ガ先ヅ集リマシタ。
此ノ時午前九時頃ト思ヒマス。
坂井、高橋、麥屋ノ三人ガ別室デ同志以外ノ將校ニ説得サレテ居ルラシイノデ、
中橋、池田等ガ迎ヘニ行ツタガ歸ツテ來ナカツタノデ迎ヒニ行ッタガ、
夫レデモ歸ツテ來マセンデシタ。
今度ハ同志ガ 「 私ニ行ケ 」 ト 申シマスノデ行キマシテ、
「 生死一如ノ翼賛 」ヲ 説キ三人共漸ク諒解シテ呉レマシタ。
私ハ安心シテ皆ノ所ニ歸ロウトシマスト、
憲兵ガ 「 皆ノ処ニオ連レスルカラ 」 ト 欺イテ別室ニ拉致シ、施縄シマシタ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸楽ニ行ツタ時ノ氣持ヲ述ベヨ
私ハ幸楽ニ行ツタノハ
只事件ニ參加シテ居ル内部ノ同志ガドンナ心境デ居ルノカ心配デアッタカラデ、
維新翼賛ノ大義ノ儘ニ行動シタノデ、今後如何ニスベキヤ等ノ決心ヲ抱イテ行ツタ分ケデハリマセン。
安藤大尉以下ノ同志ハ、私カラ鼓舞サレテ其心ガ變化スル様ナ意思ノ薄弱ナ者デハアリマセン。
元來私共ガ心的結合スルニ至リマシタノハ維新ニツキ全ク相通ズルモノガアッタ爲デス。

幸楽ニ於テ同志ト面接シテヨリ共ニ行動スベキ決心ヲ爲シタルヤ
前ニ申上ゲタ様ニ私ノ氣持ハ絶對デアリマスカラ、今後如何ニ行動スベキヤ等 特別ノ決心ハイリマセン。
平素持ツテ居ル維新翼賛ノ心ノ儘ニ行動シタ丈デアリマス。

今回同志ガ蹶起スル爲の準備行動ニ就イテ述ベヨ
今迄凡テノ行ヒハ御維新翼賛ノ爲メデアリマシテ蹶起モ同ジク翼賛ノ一部デアリマス。
取立テテ何カ準備ト申スモノハアリマセン。

二十六日行動ヲ起コス以前同志ト面接シタルハ何時ナリヤ 又如何ナル話ヲ爲シタリヤ
何時カ克ク覺ヘテ居リマセンガ 相澤中佐ノ第六回位ノ公開公判デ、
檢察官ガ法文ノ末節ニ拘泥シタ補充訊問ヲ行ツタ日ノ晩、麻布歩三前竜土軒デ同志二、三十名ニ報告シマシタ。

其ノ席上デ蹶起ノコトニツキ話ヲナサザリシヤ
ソンナ話ハ何モアリマセンデシタ。

今回ノ蹶起ニ就キ同志ヨリ通知ヲ受ケタルヤ
全然アリマセン。
今回ノ行動間 同志ト會合或ハ協議シタルコトアルヤ
私ハ幸楽ニ半日居リ 其後ハ陸相官邸ニ翌朝迄居リマシタガ、
別ニ會合シタル事も、特ニ協議シタルコトモアリマセン。

被告ノ關係シテ居ル人ニ就イテ述ベヨ
申立テモ無駄ナ事デアリ
又 調査セラレタ結果其ノ人ニ迷惑ヲ及ボスコトガアリマスカラ、
今回事件ニ關係シタ人位ニ就イテ簡單ニ申上マスガ、
之等ノ人々ハ面識ノ淺深ヲ問ハズ、共ニ肝胆相照ス同志デアリマス。
一、歩兵第三聯隊中隊長安藤大尉ハ私ト同ジ仙台幼年学校出身デ私ノ一期上デアリマシタ。
 満洲事變以後ハ時々面談致シマシタガ軍隊敎育ノ熱心ナ人デアリマシタ。
二、歩兵一旅団副官香田大尉ハ満洲事變ノ後カ 五 ・一五事件頃知己ニナツタト思ヒマス。
 時々面接シタ居ル程デアリマス。
三、歩兵第一聯隊附栗原中尉トハ香田大尉ト同頃知合ニナリマシタ。
四、歩兵第一聯隊附丹生中尉ハ最近ニ知合ニナッタノデ 二、三回會ツテ居ルト思ヒマスガ、
 特別ノ要件デ附合ツタ様ナ事ハアリマセン。
五、歩兵第三聯隊中隊長野中大尉ノ名前ハ大尉ガ仙台ノ敎導學校ニ居ラレタ當時ヨリ知ツテ居リマシタガ、
 面會シタノハ相澤中佐ノ公判ガ開カレテ後ノ事デ 一、二回會ツタ位デス。
六、歩兵第三聯隊附 坂井中尉  野戦重砲兵第七聯隊附  田中中尉  等ハ五 ・一五事件後知合ニナリマシタ。
七、其外
 歩兵第一聯隊附 林少尉    同 池田少尉   
歩兵第三聯隊附 麥屋少尉    同 高橋少尉    同 清原少尉    同 鈴木少尉
等ハ 何レモ 前申シマシタ相澤中佐公判ノ報告ノ時ダト思ヒマスガ、
顔ヲ見タ丈デヨク記憶ニアリマセン。

政党關係者ニシテ同志アリヤ
アリマセン。
左翼方面ニ關係者アリヤ
左翼關係者ニモ知人ハアリマセン。
最近左翼ヨリ右翼ニ轉向シタ者モ大分アル様デスガ之等ノ轉向者ニハ眞ニ尊皇絶對ノ判ル者ハアリマセン、
只 中村義明ハ尊皇絶對ハ判ツテ居リマスガ、少々観念的ニ硬化シテ居ル様ニ思ワレマス。

事件運動中ニ於ケル資金ハ如何ニシタルヤ
私ニハ判リマセン。
唯今回ノ事件ニハ同志ニハ斷じて不純ナ關係ナイト固ク信ジテ居リマス。

今回ノ行動ニ出デタル原因如何
宇宙ノ進化、日本國體ノ進化ハ、
悠久ノ昔ヨリ永遠ノ將來ニ向ツテ不斷ニ進化發展スルモノデアリマス。
所謂、急激ノ變化ト同ジ漸進的改革トカ稱スルコトハ、人間ノ別妄想デアリマス。
絶對必然ノ進化ナノデアリマシテ、恰モ水ノ流レノ如キモノデアリマス。
今度ノ事デモ、其遠因近因トカ言ツテ分ケテ考ヘルベキモノデハアリマセン。
斯クノ如ク分ケテ考ヘルノハ、第三者タル歴史家ノ態度デアリマシテ、
當時者タル私ニハ説明ノ出來ナイモノデアリマス。
相澤中佐ガ永田中將ヲ刺殺シテ後、臺灣ニ行クト云ツタノハ全クコレト同ジデ 絶對ノ境地デアリマス。
之ヲ不思議ニ思ツタリ、刑事上ノ責任ヲ知ラナイ等ト 言フノハ、
凡夫ノ自己流ノ考へ方デアリマス。
又 之ヲ以テ相澤中佐ノ境地ニ当嵌あてはメルノハ間違ヒデアリマス。
今回ノ事件ハ、多少大キイ事件デアリマスカラ問題ニサレル様デアリマスガ、
私ノ気持チデハ當然ノ事ト思ツテ居リマス。

蹶起の目的如何
今般 同志一同ノ行動ハ、大御心ヲ上下ニ徹底し、上下民其所ヲ得テ尊皇絶對ニ邁進シ、
皇威ヲ八紘ニ輝ラシ 皇恩ヲ四海ニ浴シ乍ラ、皇謨翼賛ノ重責ヲ盡サズ、
却ツテ大御心ヲ歪曲シ奉リツツアル奸臣ヲ除カントシタルモノデアリマシテ、
蹶起趣意書ノ通リデアリマス。

今回ノ事件ニ起ツニ至リタル直接ノ動機如何。
今回ノ事件ヲ決行シマシタ動機ノ直接トカ間接トカ言フ様ナモノハ、
絶對ノ境地デ行ハレタモノデアリ、説明ハ出來ルモノデハアリマセン。
然シ 強イテ申セバ、相澤中佐ガ公判廷ニ於テ、アレ丈言ハレタルニ拘ラズ
國家ノ上層部、軍上層部、軍幕僚、官僚、財閥、政党等ガ
何等反省ノ跡ヲ見受ケル事ノ出來ナイ事ガ 直接ノ原因動機デアリマスト申サレマセウ。

既往及現在ニ於テハ心境ニ變易アリヤ
別ニアリマセヌ。

本件ニツキ他ニ陳述スベキコトアリヤ
軍首脳部ヲシテ御上ガ如此反對ニ御宸襟ヲ悩マセラルル様ナ御補導ヲ申上ゲシメタ事ハ、
私共ノ至誠至ラズ、努力足ラザリシ所以ト 洵ニ相濟マナク思ヒマス。

渋川善助
右讀聞ケタル所、相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年三月一日
東京憲兵隊本部勤務
陸軍司法警察官  陸軍憲兵少佐  加藤利喜松
筆記者  陸軍憲兵軍曹  青木敬儀
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 註 1 >
二月二十八日の早朝、
特高がやって参りました。
「 西田はいるか。家宅捜索する 」
「 ちょっと待って下さい 」
わたくしは泊りこんでいた渋川さんを呼びました。
「 家宅捜索などすると住居不法侵入になるぞ 」
と 渋川さんは特高を追い返し、
首相官邸へ連絡の電話をかけていましたが、埒がかなかったのでしょう。
「 奥さん、警察がこんなことを言ってくるというのはどうも形勢がおかしい。 様子を見てきます 」
と 言って三宅坂へ向かいました。
渋川さんは初めて事件の渦中へ去ったのです。・・・西田はつ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

澁川善助
第二回訊問調書

被告人  渋川善助
右者ニ對スル 叛乱被告事件ニ附、昭和十一年三月六日、東京衛戍刑務所内弁護人接見所ニ於テ、
本職ハ右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
二月二十三日 湯河原ニ旅行シタルヤ

二月二十三日午後五時半頃ノ汽車デ妻 ( キヌ ) ト共ニ東京駅發湯河原ヘ行キマシタ。
湯河原デハ前カラ牧野伯ガ滞在シテ居ルト云ふ話ヲ聞イテ居マシタ。
駅ヲ降リルト伊藤屋ト云フ宿屋ノ客引ガ來マシタカラ ソレト一緒ニ伊籐屋ニ行ツテ泊ルコトニシマシタ。

二十四日カラ歸京迄ノ行動如何。
二十四日ハ朝食後 妻と共ニ伊藤屋ヲ出テ
一時間餘リ附近ヲ散歩シマシタ外ハ特ニ申立ツルコトハアリマセン。
二十五日ハ昼食前 自分一人デ約三十分程外出シテ菓子、絵葉書等若干買ツテ歸リマシタ。
ソレカラ夕食ヲ濟マシテ終列車デ夜半道場ニ歸ツテ就寝シマシタ。

湯河原ヘ旅行シタ目的ハ何カ
主トシテ保養ノ目的デアリマスガ牧野ガ湯河原ニ居ルト云フコトヲ聞イテイマシタノデ、
ソレヲ確メル考ヘナドモアリマシタ。

牧野ノ居所ヲ如何ニシテ確メタルヤ
伊藤屋ヘ着イテカラ家人ニ偉イ人ガ泊ツテ居ルソウダガト尋ネタラ、
牧野サント徳大寺家厚サントガ泊ツテ居ルト言ヒマシタノデ、牧野ノ居ルコトハ確實ニ解リマシタガ、
別ニ其ノ行動ヲツケネラツタリ 探ツタリスル様ナコトハ出來マセンデシタ。

湯河原ヘ冩眞機ヲ携行シタルヤ
妻ガ冩眞機ヲ持ツテ行ク様ナ話ヲシテ居リマシタガ、
アチラヘ着イテカラ一回モ使用シタコトガアリマセンノデ、
持ツテ行ツタノカドウカ確實デハアリマセン。

二月二十六日 中橋照夫ト會ヒタルヤ
私ハ二十六日道場ニ於テ事件突發ヲ知リマシタカラ、
午前中東京駅、日比谷、虎ノ門附近ヲ一巡シテ、
午後ハ歩一、歩三、半蔵門附近ノ狀態ヲ見テ歩キ、
ソレカラ夜ハ新宿宝亭デ柴大尉ト面會シ、時局問題ニ關シテ語リ
午後九時か十時頃道場ヘ歸ツテ居リマスト中橋カラ會ヒタイト云フ電話ガカカリ、
ソレカラ間モナク本人ガ參リマシタ。

中橋ヨリ拳銃入手ニ關シ何カ話ガアリタルヤ
中橋ガ道場ヘ來まシテ色々話シテ居ル中ニ
「 拳銃ガホシイナ 」 ト 云フコトガアリマシタノデ私ハ
「 コウイフ風ナ狀態ダカラ何トカナリソウナモノダガナ 」 ト言ヒマシタ。

君ハ拳銃入手ニ關シ何カ処置ヲ講ジタルヤ
別ニ何モ処置ヲ採リマセン。
又其ノ後中橋ニ對シテモ何ニモ返事ヲ致シマセンデシタ。
私ガ中橋ニ對シ
「 何トカナリソウモノダナー 」 ト 云ツタノハ別ニ目當テガアツタ譯デハアリマセン。

中橋カラ拳銃ガ手ニ入ッタトノ話ヲ聞カザリシヤ
何モ聞キマセン。
中橋ガ二月二十八日頃 何処かヘ旅行スル様ナ話ハナカッタカ。
二十六日夜面會シタ時 田舎ノ方ヘ旅行シタイト云ツテ居リマシタ様デスガ、
私ハ中橋ガ山形ノ方ニ仲間ガ居ルト云フコトヲ聞いテイマシタカラ
或ハ同地方ニデモ行クノデハナイカト直感シマシタケレドモ、
本人カラハ聞イタカドウカ其ノ邊ハハッキリシマセン。

旅行ノ目的ハ何カ
御維新翼賛ノ気勢ヲ擧ゲルト云フ様ナ話ヲシテ居リマシタカラ、
私モシッカリヤッテ呉レト云ヒマシタ。

歩兵第三十二聯隊ノ浦野孝次大尉ト云フ人ヲ知ッテイルカ
知リマセン。
三十二聯隊ニハ特ニ知ツテ居ル人ハ誰も居リマセン。

中橋が旅行ノ目的ハ御維新翼賛ノ気勢ヲ擧ゲルタメトノコトナルガ 何カ計畫ヲ聞カザリシヤ
中橋ガ山形方面デ相當仲間ガアルラシイノデスガ別ニ具體的ナ計畫ニ就イテハ本人モ話サズ、
私モ何等指示モシマセンデシタ。
而シ文書ヤ演説位デ気勢ヲ擧
ゲル位ノコトハスルダロウト思ヒマシタ。

其他申立ツルコトナキヤ
アリマス。
同志ガ大御心ヲ上下ニ徹底センガ爲ニ發シタル行動信念ガ
全ク歪メラレテ天聽ラ達セラレタラシク
斯ノ如ク被告扱イサレタコトハ誠ニ遺憾ニ存ジマス。

澁川善助
右讀聞ケタル処、相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年三月六日
渋谷憲兵分隊
陸軍司法警察官  陸軍憲兵少尉 石森松太郎
筆記者  陸軍憲兵軍曹  熊山忠二

・・・目次頁 赤子の微衷 (一) 蹶起した人達 に 戻る
二・二六事件秘録 ( 一 )  から