村中孝次
訊問調書
・・・前頁 村中孝次の四日間 2 の続き
二十七日午後十時
二月二十八日早朝、本日ノ行動ヲ考ヘ、
戒嚴司令官ニ會ヒ、我小藤支隊ヲナルベク長ク原位置ニ止リ得ル様工作シ、
又 軍事參議官ニ會見シ、昨日ノ提言ノ結果ヲ確メ鞭撻ヲ加ヘ様ト思ヒ、
先ヅ別紙ノ様ナ意見具申ヲ自分デ書キ、順序ヲ經テ提出シヤウト思ヒ執筆シマシタガ、
書キ終ツタ頃 栗原中尉ガ飛ンデ來テ、
近歩三ノ中橋中尉ニ、
「 勅令ニ依リ中橋中尉ノ部隊ハ小藤大佐ノ指揮下ニ入リ、原位置ヲ撤退シ、歩兵第一聯隊ニ到ルベシ 」
ト 云フ命令ガ來タト云フテ非常ニ憤慨シテ居リマシタ。
私ハ昨日 戒嚴司令官ニ面會シテ、
司令官幷ニ參謀長カラ行動隊ハ戒嚴ノ間 小藤大佐ノ指揮下ニ置クコトニ同意ヲ得テ居リ、
又 山口大尉ハ
司令官ノ花押ノアル同様ノ命令文ヲ貰ツタト云ツテ ・・・< 註 1 >
私ニ示シテ呉レマシタノデ、
ソンナ筈ハナイ、間違ヒナリト思ヒ、直グ陸相官邸ニ行キ小藤大佐ニ會ヒ、
「 此ノ命令ハ間違ヒト思フカラ修正スル様交渉ヲ願ヒ度ヒ 」
ト 申シマスト、
小藤大佐ハ稍ヤ當惑ノ色ヲシテ後刻話ヲスルカラト云フ事デアリマシタ。
小藤大佐ノ許ヲ出マスト
別室ニ居タ満井中佐、柴大尉等ガ私ヲ呼ビ
柴大尉カラ狀況急變シテ奉勅命令ガ出ソウナ形勢ニアリ、
山口大尉ガ今朝二時間ニ亘ツテ戒嚴司令官ヲ説キ、
軍事參議官ヲ説イテ涙聲共ニ下ルト云フ位ニ努力シタガ、
其結果ドウナルコトカ不明デアルトノ話ガアリ、私モ愕然トシタ譯デアリマス。・・・< 註 2 >
満井中佐ガ涙ヲタタヘナガラ、
私ニ對シテ奉勅命令ガ出タ場合ニハ、奉勅命令ニ從ツテ撤退スル様ニト懇願サレマシタガ、
私ハ各部隊將校以下兵ニ至ル迄、悲壮ナル意氣デアリ殺氣充満シテ居ル現狀ニ於テ、
現在地ヨリ移動スル事ハ必ズヤ各個ノ突出トナリ、如何ナル事態ヲマキ起スカ圖リ知レナイノデ、
暫ク現在地ニ置ク様ニ上部工作ヲ願ヒマスト、前述ノ意見具申ノ理由ト概ネ同様ノ事ヲ述ベ、
且 本蹶起ヲ契機トシテ御維新ニ轉入シ得ルカ否カハ
一ニコノ小藤部隊ヲ現位置ニアラシムルカ否カノ如何ニ存シ、
下士官兵ノ奮ヒ立ツタ志ニ報ユル爲、何トカ此ノ願望ハ出來ナイデシヨウカト切願シマシタ。
満井中佐ハ成否ハ請合ヒ兼ヌルガ、努力シテ見ヤウトノ事デ、
別ニ柴大尉ト同行シテ鐵道大臣官邸ニ歸リ、
柴大尉ニ前述ノ意見具申ヲ托シテ戒嚴司令官ニ傳達シテ貰フ事ニシマシタ。
尚私ハ小藤大佐ニ意見ヲ述ベヤウト思ヒ、陸相官邸ニ參リマスト、
香田、對馬、竹嶌モ來合セテ居リ、山口大尉モ居テ、
山口大尉ヨリ
「 濟マナカッタ。及バナカッタ。
今早朝ニ柴大尉カラ狀勢ガ急變惡化シタノヲ聞イテ 種々努力シタガ如何トモ致シ方モ無イ 」
ト申シマスカラ、
私ハ未ダ小藤大佐ヲ通ジテ師團長ヲ説ク方法ガアルト述ベ、
直ニ小藤大佐ニ右ノ意見ヲ具申シ、
香田、對馬、竹嶌中尉ト共ニ第一師團司令部ニ赴キマシタ。
第一師團ニ於テハ 奉勅命令ハ受ケテ居ナイ事ヲ知リ、
又 暫クシテ戒嚴司令部カラ第一師團ニ、
「 奉勅命令ハ今之ヲ實施スルノ時期ニ非ズ 」 ・・・< 註 3 >
ト 云フ通報ヲ得タ事ヲ知リ、
今朝以來ノ努力漸ク報ヒラレタ事ヲ喜ビ合ツテ陸相官邸ニ引揚ゲマシタ。
午後一、二時頃、逐次栗原中尉ガ、野中大尉、磯部等ガ集リ、
山下少將、鈴木大佐、山口大尉、柴大尉等ニモ集ツテ貰ヒ、
種々現狀打開ニツキ懇談シマシタガ、
最後ニ栗原中尉ガ一度統帥系統ニ從ツテ
「 私共ハ陛下ノ御命令ニ從ヒマス 」
ト 奏上シテ戴キタイ。
若シソレデ撤退セヨトノ御命令デアレバ潔ク撤退シ、
又 死ヲ賜ハルト云フ事デアレバ、
勅使ノ御差遣ヲ願ツテ將校ダケ自刃シヤウジヤアリマセンカ 」
ト 提言シ、
一同暗涙ヲノミ山下少將、鈴木大佐モ感激シテ別レマシタ。
其後第一師團長、小藤大佐ガ來ラレ、
一師團長カラ
「 先程 自分ハ簡単ニ考ヘテオ答ヘシテ置イタガ、 事實重大問題デ如何トモ致シ難イ事デアル 」
ト 申サレマシタノデ、
栗原中尉カラ前述ノ意見ヲ開陳シテ貰ヒマシタ。
夫レデ全將校ヲ集メテ此決心ヲ説明シ、同意ヲ得ヤウト思って居リマシタガ、中々集リマセンノデ、
幸楽ノ安藤大尉ノ許ニイキマスト、同中隊ガ出撃シヤウトスル形勢ガアレマシタノデ、
待ツ様ニ押シ留メ、陸相官邸ニ歸ツテ見マスト、
栗原中尉の意嚮モ、眞ニ奉勅命令デアルカ否カ不明デアリ、又我等ノ眞情ヲ無視サレテ居ルノデ、
今一度統帥系統ヲ踏ミ小藤大佐、堀師團長ヲ經テ大御心ヲ判然ト御伺シタ上デ
御命令ニ從ヒ度イト考ヘテイルト云ヒ、
我々ハ未ダ嘗テ一回モ奉勅命令ガ出タト云フ話ヲ聞カズ、又其内容ハ全然不明デアル。
「 出タラドウスルカ 」
トカ
「 出ソウナ形勢ニアル 」
トカデ脅カサレテ、
結局眞相不明ノ奉勅命令ヲ盾ニ我々ヲ鎭壓シヤウトスル意嚮極メテ明瞭デアリマスカラ、
愈々奉勅命令ガ下サレル迄ハ現位置ニ踏ミ留マラウ。
我々カラ皇軍相撃ツコトを避ケル爲、絶對ニ射撃セヌガ、
若し他ノ軍隊ガ第一師團長ノ隷下ニアル此ノ小藤部隊ヲ攻撃スルト云フナラバ、潔ク一戰ヲ交ヘヤウ、
只眞ニ攻撃サレ射撃サレル迄テハ我々ハ絶對ニ射撃シタリスルコトハ止メヤウ、
ト云フ相談ガ一決シ防禦ノ配置ニツキマシタ。
私ハ夜間ニ入リ野中部隊ト共ニ鐵道大臣官邸ニ居リマスト、
山下少將及歩兵第三聯隊長及森田大尉等ガ來ラレマシテ、
森田大尉カラ秩父宮殿下ニ拝謁シテ御言葉ヲ賜リ、
令旨ト云フ譯デハナイガ懇談的ニ御話ヲ賜リマシタカラ、
ソレニ就テ述ベマストテ殿下ノ御言葉ヲ傳達サレマシタガ、
ソノ内容ハ本事件ハ非常ニ遺憾ニ思召サレテ居ラレル様ニ拝察シマシタガ、
私共ノ眞情ヲ未ダ充分ニ御酌ミ遊バサレテ居ナイ様ニ直感シマシタノデ、
森田大尉ニ私共ノ眞情を申上ゲテ戴き度イト御願シマシタ。
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< 註 1 >
戒作命第一号
命令
(二月二十七日午前四時四十分 於 三宅坂戒厳司令部)
一、今般昭和十一年
勅令第十八、第十九号ヲ以テ
東京市ニ戒厳令第九、第十四条ノ規定ヲ適用セラルルト同時ニ、
予ハ 戒厳司令官ヲ命ゼラレ
従来ノ東京警備司令官指揮部隊ヲ指揮セシメラル
二、予ハ 戒厳地域ヲ警備スルト共ニ、地方行政事務及司法事務ノ軍事ニ関係アルモノヲ管掌セントス、
適用スベキ戒厳令ノ規定ハ 第九条及第十四条第一、第三、第四ト定ム
三、近衛、第一師団ハ夫々概ネ現在ノ態勢ヲ以テ警備ニ任ズベシ
四、歩兵第二、第五十九聯隊ノ各一大隊及工兵十四大隊ノ一中隊
並陸軍自動車学校ノ自動車部隊ハ、依然現在地ニ在リテ後命ヲ待ツベシ
五、憲兵ハ前任務ヲ続行スルノ外、特ニ警察官ト協力シ
戒厳令第十四条第一、第三、第四の実施に任ズベシ
六、戒厳司令部ハ本二十七日午前六時九段軍人会館ニ移ル
戒厳司令官 香椎 浩平
軍隊区分
麹町地区警備隊
長 歩兵第一聯隊長 小藤大佐
二十六日朝来出動セル部隊
< 註 2 >
「 今、陸相官邸を出て陸軍省脇の坂を下り三宅坂下の寺内銅像の前にさしかかると、
バリケードがつくってあった。
半蔵門前からイギリス大使館の前にかけては部隊がたむろしている。
戦車も散見する。
あのバリケードは何のためのバリケードだろうか。
あの部隊は何のための部隊だろうか、
そして物かげにかくれている戦車はどんな意味なのだろうか。
聞くところによれば、
明日蹶起部隊の撤退を命じ 聞きいれなければこれを攻撃されるという。
蹶起部隊は腐敗せる日本に最後の止めをさした首相官邸を神聖な聖地と考えて、
ここを占拠しておるのである。
そうして昭和維新の大業につくことを心から願っているのに 彼らを分散せしめて
聖地と信じている場所から撤退せしめるというのはどういうわけであろうか。
しかも、彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一体どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が鉄砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起将校を処罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功労者ともいうべき皇道絶対の蹶起部隊を名づけて反乱軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の実施は無期延期としていただきたい 」
・・・山口大尉、戒厳司令部にて
< 註 3 > 奉勅命令 < 註 4 > ビラ
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二十九日午前五時
二月二十九日は午前一、二時頃、
外囲ノ部隊ガ愈々攻撃態勢ヲ採り出シタコトヲ知ツテ、之ヲ各部隊ニ傳ヘ、
夜襲ニ備ヘテ接戰格闘ノ覺悟ヲ決メマシタ。
其後攻撃開始ハ払暁以降ニナルト云フ情報ヲ得マシタノデ、
野中部隊ハ、豫備隊トシテ最後ノ負郭トシテ新議事堂ヲ占領シヤウト、
午前三時三十分カ四時頃カラ同所ニ移り、新議事堂内ヲ占領シテ家屋防禦ノ配備ヲ採リマシタ。
當時全般ノ配備トシテハ、
幸楽ニ居タ安藤部隊ハ山王ホテルノ丹生部隊ニ合シ、之ニ立籠リ、
栗原部隊ハ首相官邸、
坂井部隊、清原部隊ハ參謀本部、陸軍省ノ一廓、
常盤部隊ハ平河町附近ヲ固守スル
最後ノ負郭ヲ新議事堂ニスル考デ死戰スル覺悟デアリマシタ。
然ルニ夜中カラ外囲ニアル歩一、歩三ノ將校ガ シキリニ 第一線ニ在ル歩哨等ヲ口説キ落シ、
逆賊ト云フ名分ト武力トデ威壓シテ聯レ歸リ、
或ハ 「 ラヂオ 」 デ 宣傳シ、
或ハ飛行機カラ 「 ビラ 」 ヲ 撒布スル等、 ・・・< 註 4 >
我々ノ無抵抗ニ乗ジテ各種ノ手段ヲ盡シテ下士官兵ノ説得ニ努メ、
多少ハ動揺モアツタ様デアリマシタガ、
一旦ラジオニヨリ奉勅命令ガ下ツタ事ガ明確ニナツタ以上、
之ニ抗シテ長ク踏ミ止マルコトハ勿論絶對的ニ不可デアリマスカラ、
奉勅命令ニ從ヒ、改メテ小藤大佐ノ區署ヲ仰ギテ我々ノ行動ヲ律シヤウ、
御上ノ宸襟ヲ悩マシ奉リタル事ハ懼レ多イ次第デアルガ、
我々ノ信念ト現在迄ノ行動ニ於テ
些カモ盡忠報國ノ大義カラ踏ミ外シテ居ナイ確信ノ上ニ立ツテ、
自ラ決スルト云フガ如キ事無ク、飽ク迄陛下ノ御命令通リ動カウ、
ト 云フ大部ノ者ノ意見ガ一致シマシタノデ 其ノ行動ニ移ツタノデアリマス。
然ルニ 小藤大佐ノ區署ニ依ツテ動クコトモ出來ズ、
部隊ハ武装ヲ解除セラレ、逆ニ逆賊トシテノ審判ヲ受ケルニ至リマシタコトハ、
蹶起ノ同志一同トシテモ死スルトモ忘ルルコトノ出來ナイ恨事デアリ、
國家ノ爲遺憾ノ極ミデアリマス。
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奉勅命令ニ對スル所感如何
我々臣民トシテ絶對服從デアリマス。
夫レデハ何故撤退セザリシヤ
前述ノ通り奉勅命令ノ傳達ハ全クアリマセンノデ、其ノ内容等モ知リマセン。
唯二月二十九日早朝 「 ラヂオ 」 ニテ奉勅命令ガ下ツタト云フ事ヲ聽イタノミデアリマス。
本事件ガ皇軍ノ本質竝威信上ニ及ボシタル影響ニ就イテ如何ナル認識ヲ有スルヤ
私共ハ前述シタ如ク、兵馬大權干犯ニ對シテ無限ノ怒リヲ感ジ、
斯クノ如キ御稜威ヲ遮リ侵ス者ノ存在ガ
我ガ日本ノ躍々タル生命ノ伸張發展ヲ阻害シツツアルノデアルコトヲ知ツテ、
皇軍ノ本質タル大元帥陛下御親率ノ軍隊デアル點ヲ、
曲ゲ歪メ來ツタ不純ナル君側ノ奸臣ヲ討タウトシテ立チ上ツタノデアリマス。
從ツテ此一擧ニ依ツテ皇軍ノ本質ヲ最モ端的ニ闡明せんめいシ、
御稜威ノ尊嚴ヲ知ラシメ得ルモノト信ジタノデアリマス。
從ツテ此一擧ニ對スル爾後ノ指導利用ニ當ヲ得タナラバ、
昭和維新ニ直チニ入ルコトガ出來マシタデシヨウシ、而モ陸軍ヲ中心ニ之レガ行ハレ、
軍ノ本質ヲ闡明ニシた上、其威信モ一段ト高メタコトト思ヒマス。
然ルニ事志ト違ヒ、
尊皇ノ爲、維新ノ爲ノ義軍デアルベキモノニ賊名ヲ冠シテ
討伐スルノ逆轉シタ方策ヲ軍當局ガ取ツタ爲ニ、
コノ關係ハ全ク一轉シテ
軍自體ガコノ決行ニ關連スル責任ヲ負ハザルヲ得ナイ結果トナリ、
軍ノ威信ハ全ク地ニ墜チ、
今後軍ノ進ムベキ道ハ非常ニ荊棘險難ナモノトナラザルヲ得マセン。
此ノ點陸軍ニ二人無シト言フベキガ甚ダ遺憾至極ト思ヒマス。
次ニ私共ノ行動ヲ目シテ統帥權干犯ヲ討ツニ、
統帥權干犯ヲ自ラ敢テシタノデハナイカト云フ疑問デ、
コレヲ以テ私共ノ行動ヲ非難シ、不義化シ、逆賊化サセヤウトスルデアリマセウ。
私共今回ノ行動ハ、決シテ統帥權ヲ私シテ下士官兵ヲ鞏制的ニ引率シテ出タノデハナク、
何レノ日ニカ今日ガアラウト思ヒ、
二、三年來、此ノ君側ノ奸臣ヲ討滅スルコトノ必要ナル所以 及 昭和維新翼賛ノ爲、
軍人ノ任務トシテ爲スベキコトハ實ニ今回ノ擧ニアルコトヲ徹底シテ敎育シテ來テ、
重臣閥ニ對スル憤激ハ一般ノ常識化スル所マデ進ミ、
下士官兵ノ中ニモ多數ノ同志ヲ獲ルニ至ツテ居リマシタ。
今次ノ決行ハ之等同志ト同志ノ部下ノ生死ヲ共ニスル考ヘニ至ラシテ來タ者ガ、
一團トナツテ同時ニ蹶起シタノデアリマス。
精神ニ於テ一人一殺主義デアリ、
ソノ一人一殺ノ同志ヲ集團シテ行ッタノデアツテ、
決シテ最初カラ統帥権ヲ私ニオ借リシタノデハアリマセン。
コノ景況ヲ事實ニ即シテ申シマスト、
歩一第十一中隊デ二十六日午前一、二時頃
下士官兵ヲ集メテ丹生中尉ガ蹶起ノ決意ヲ示シマスト、全員非常ナ意氣込ミデアリマシタ。
ソレデ之レニ参畫シ得ナカッタ他隊ノ某下士官、見習医官ガ丹生中尉ノ下ニ來テ、
是非共、同行サセテ戴キタイト云フ様ナ有様デ、コレデ此間ノ事情ノ一端ヲ知ル事ガ出來マス。
尚二十九日朝最後迄戰フ決心デ來タ安藤部隊ノ攸ヘ私ガ行キ、
磯部、香田等ト共ニ安藤ノ決心ヲ翻ス事ニ努力シ、幸イニシテ其目的ヲ達シタトキ
安藤大尉ガ自決シヤウトシテ、漸ク之ヲ押止メテ居リマスト、
中隊ノ下士官ガ安藤大尉ト共ニ自害スルト言ヒ出シ、
終リニハ一下士官ガ安藤大尉ニ、
若シ自決サレルナラ中隊ノ前ニ來テクダサイ、下士官兵全員御供スル用意ヲシテ居マス
ト云フ悲痛ナ場面ガアリマシタ。
コレデ私共ノ同志將校ガ統帥權ヲ私ニオ借ヲシタノデハナク、
下士官兵ニ至ル迄ガ同志デアツテ
同志ノ集團ガ今回ノコレヲ決行ヲシタノデアルコトハ理解シ得ルモノト思ヒマス。
只部隊ニ依ッテハ、夫レ程迄ニ同志的訓練敎育ガ出來テ居ナカツタ所モアリマセウガ、
精神ニ於テ決シテ兵ヲ無理強イニ率ヒテ行ッタノデハアリマセン。
最後ノ日ニ、同志將校ノ許ヲ離レ去ツタ兵ガ多少アリマシタガ、
奉勅命令ヲ楯ニシテ説破サレタ時、コレニ従フノハ當然デアリマシテ、
同志的關係ガ無カッタカラト云フ譯デハアリマセン。
天下ノ不義ニ怒レル同志的義憤ナシニ、
アノ様ナ行動ヲ共ニスルコトハ出來ルモノデハアリマセン。
中ニハ私共ヨリ一層熾烈しれつナ鞏固ナ決意ヲ持ツテ居ルモノガ多々アリマシテ、
アノ行動間、如實ニソレヲ見セラレテ非常ニ有難ク心強ク感ジタ次第デアリマス。
本事件ガ國内的ニ如何ナル影響を及ボシタリト思料スルヤ
成功スレバコレヲ契機トスル昭和維新ヘノ轉入デアリ、
國内ニ對シテ非常ナ影響デアリマシタガ、
碍失敗ニ終ツタ爲 當座大ナル影響ガナイモノト思ヒマス。
而シ 維新阻碍ノ中樞勢力ヲ破壊シタノデアリマスカラ、今後維新回天ノ方向ニ多少ナリ向ヒ得ルデアリマセウシ、
又、此ノ一擧ノ精神ガ全國的氣運ニ迄 昂ルモノト信ジマス。
而シ 何レニシテモ今後ニ於テ人物ガ出テ 時局ヲ担当スルカ否カニ依ツテ決スル問題デアリ、
人ヲ得ナカッタナラバ凡テガ無駄デアリ、何等得ル所ガ無イカモ知レマセン。
コレモ最初カラ求むる所ナキモ 氣持チデ一意國家ノ不義ニ怒ツテ起上ガッタノデアリマスカラ、
コノ國體ニ對スル私共ノ信仰ガ一般國民ノ信仰ニナリサヘスレバ十分デ、
又 コレガ出來タナラバ形ノ上ノ事ハ兎モ角、昭和維新ノ精神基調ガ確立サレル譯デアリマスカラ、
以テ満足スルノミデアリマス。
本事件ガ國際的ニ如何ナル影響ヲ及ボシタリト思料スルヤ
昭和維新ニ迄 進ミ得タ場合、
世界ノ全局面ニ及ボス影響、特ニ英米露支ノ感受スル脅威ハ絶大デアリ、
我國ニ於ケル昭和維新ハ同時ニ又 世界維新ノ發端トナルデアラウト信念シテ居リマシタガ、
今度ノ如キ結果ニ立チ 到ツテ些いささカ諸外國ノ輕侮ヲ招イタコトト思ヒマス。
特ニ日本に人ナシノ感ヲ強ク諸外國ニ与ヘル結果ニナリハシナイカト恐レル次第デアリマス。
而シテ反面我國體ニ維新ノ氣運充満シテ居ルコトヲ外ニ示シタノデアリマスカラ、
眞ニ大局ヲ見ルノ明ヲ備ヘタ者ハ日本ノ近キ將來ニ對シテ畏怖ノ念 禁ジ得ナイモノガアルト思ヒマス。
皇室ノ敬虔上ニ及ボシタル影響ニ對スル認識如何
前後四日間ニ亙リテ昼夜陛下ノ御宸襟ヲ痛ク悩シ奉ッタコトニ就イテハ恐懼措ク能ハヌ所デ、
何トモ申譯ナイ次第デアリマス。
又 陛下御親任ノ重臣ヲ討ツタノデアリマスカラ コレ亦罪万死ニ値スル所デアリマスガ、
一方私共ノ信念トシテハ天日ヲ蔽フデ居ル此ノ妖雲ヲ排除シナイ限リ、
國民滔天ノ恨ハ遂ニ至尊ニマデ累ヲ及ボシ奉リ、
結局共産党ノ天皇制否認ガ國民大衆ノ考ヘトナル懼レガ多分ニアリマスシ、
若シ 斯クノ如キ事態ニ立チ到ツタナラバ、ソレコソ祖宗遺垂ノコノ神國ヲ全ク破滅ニ導ク結果トナリマスノデ、
私共ノ蹶起ニヨリ コノ妖雲丈ケデモ取リ払ヒ、
以テ天日ノ赫赫タル光を萬民ノ上ニ直接光被均霑セシメタイト思ツテノ決行デアリマシタ。
一時宸襟ヲ悩シ奉リ 恐懼ニ堪ヘマセンガ コノ結果皇室ニ對スル國民的敬虔ガ必ズヤ嚮上シ、
國體精神ニ徹シタ自覺國民ノ奮起ニヨッテ昭和維新ガ逐次ニ完成サレテ行クモノト信ジマス。
現在ノ心境如何
奉勅命令ニ從ハナカッタト言フ事デ 私共ノ行動ヲ逆賊ノ行爲デアル様ニサレマシタコトハ、
事志ト全ク違ヒ 忠魂ヲ抱イテ奮起シタ多數ノ同志ニ對シテ寔ニ申譯ナイ次第デアリマス。
而シ 私共ハ嘗テ奉勅命令ニマデ逆ハウトシタ意志ハ毛頭ナク、
奉勅命令ヲ戴イテ現位置ヲ撤退セザルト言フ戒厳司令部ノ意嚮デアルコトヲ知ツテ、
ソンナ事ニナラヌ様ニ ソノ様ナ奉勅命令ヲ下シニナラヌ様ニト、
色々折衝シタ丈ケデアリマシテ、
決シテ逆賊ニナッテ迄 奉勅命令ニ逆フ様ナ意志ハ毛頭アリマセンデシタ。
事實今日ニ至ル迄 如何ナル奉勅命令ガ下サレタノカ其ノ命令内容ニ關シテハ、全然知ラナイノデアリマス。
逆賊ノ汚名ヲ受ケマシタガ、
絶對尊皇ノ精神カラ出發シテ 絶對臣道ヲ歩ンデ臣子ノ分ヲ盡シタト確信シテ、自ラ安ンジテ居リマスガ、
下士官兵ニ至ル迄ノ同志全員ノ至誠盡忠ガ、
賊名ヲ受ケテ葬リ去ラレル様ナ結果ヲ招來シマシタコトニ關シテハ、
一ニ私ノ指導宜シキヲ得ナカッタモノト深ク自責ニ堪ヘナイ次第デアリマス。
將來ニ對スル覺悟如何
宸襟ヲ痛ク悩マシ奉ルコトモ 直後ニ來ル昭和維新ニ依ツテ
從來山積シタ御苦悩ノ原因ヲ一擧ニ拂ヒ去ルコトガ出來テ直ニ償ヒ奉ルコトガ出來ルモノト思ヒマシタガ、
志ハ全ク達セラレズ宸襟ヲ悩マシ奉ル結果ニノミ終リマシタ。
至誠盡忠ノ忠義ヲ抱イテ尊皇討奸ノ目的ヲ達成シテクレタ全同志ニ賊名ヲ着セル様ナ結果ニ終リマシタ。
コノ責ハ一ニ私共トシテ畫策ニ當リマシタ者ノ負フベキ所デアリマス。
私共ハ飽ク迄 自己ノ信念ニ生キ 之ヲ貫徹スル事ニ依ッテコノ責ヲ償ヒ度イノデアリマス。
若シ 政ラバ凡ユル努力ヲ傾ケテ、
一日モ速カニ昭和維新ヲ實現スル様 飽ク迄モ翼賛コレ努メタイト思ヒマス。
其他申立ルコトナキヤ
アリマセン
陳述人 村中孝次
昭和十一年三月二日
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