《 二月二十八日 》
午後九時頃、
俄然ただならぬ報告が急達されてきた。
「 歩三の新井中尉の指揮する一箇中隊が、寝返りを打って、
勝手に包囲戦列を離脱し、目下靖国神社方向に転進中 」
というのである。
当時、靖国神社のすぐ近くにある陸軍の偕行社から軍人会館付近一帯には、
戒厳司令部を始め、陸軍省、参謀本部、憲兵司令部等の中枢機関が集団配置されていたのであるから、
さては 中心部を攻撃するためら進撃してくるのだというわけで、
司令部は俄かに緊張し始めた。
参謀や伝令などが慌しく駆け回り、やがて緊急命令によって、
司令部の直接警備に当たっていた部隊が、ただちに周辺の防禦配備につけられることとなった。
だが、その警備隊というのが、ついその日の日暮れ方、宇都宮方面から到着したばかりの田舎兵士の集団で、
付近の様子もわからねば、市内の状況等も全く知らない連中であるから、ただマゴマゴするばかりである。
叱咤の号令に従って、剣付鉄砲や機関銃を携えて、右往左往はするが、
暗闇の中では、同士撃ちでもしかねないばかりの状況である。
しかもこれらの部隊とても、若い指揮官の気持ち一つで、いつ寝返りを打たないとも限らない。
このような場合、直接部下の兵隊を持たない司令部の連中は、心細いものである。
今まで 「 断固反徒を討伐すべし 」 と 主張していた強硬分子も、
あるいは百万の兵隊を縦横に動かす作戦計画を立てることなど、お手のものの参謀連も、
こうなればいつロシア革命の時のような目に遭いやせぬかと、妙な不安に襲われてくる。
いざという時は、反乱兵と格闘して果てるんだといっているものもあるが、
しかしよく見ると、平時のままの服装で来ているから、身辺には軍刀もなければ、拳銃も用意されていない。
そこで、中には慌てて、これらの武器を家庭に取りにやっている者もあったようである。
革命前夜の情景とは、こんなところをいうのであろうか。
こんな時、もし反徒が足もとから蜂起して、司令部内になだれ込んで来たならば、
さだめし大混乱の修羅場を展開したことであろうと思う。
だがしかし、そのようなことはなくすんだ。
そしてその間においても、一方では依然として反乱将校の直属上官たる連隊長や大隊長、
あるいは一般青年将校の信頼と尊敬の的になっていた山下将軍や石原大佐らは、
最後まで敵中に乗り込んで、極力説得や勧告に当り、
何とかして火蓋を切らないで事件を解決しようと、つとめていたのである。
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・・・突然司令部がざわめいて、何事かあったようだ。
出て見ると、憲兵が数人、反乱軍の捕虜三名を後手に縛り上げて、司令部につれて来たところである。
何でも赤坂見附辺りで捕えたものだとかで、
曹長一、上等兵一、一等兵一の三名で、いずれも大分疲れている様子であった。
直ちに三名の参謀将校が、これを尋問調査することになって、
地階の一室につれて行った。
私はちょうど、これら下士官兵の気持ちや真情などを、知りたいと思っていたところなので、
さっそくその尋問に立ち合うこととなった。
尋問は、専任の中佐参謀によって始められた。
曹長は問われるままに、悪びれもせず、厳然たる態度で、堂々と蹶起の趣旨や、革命の必要性等について述べ、
異常の興奮に眼を血走らせていた。
単純ながら、だいたい反乱将校と同じような、思想と信念を堅持しているように見える。
なぜ捕えられたかというと、
もう 叛乱部隊には糧食が尽きてしまって、今夜の夕食もまだ食べていない。
そこで食糧徴発のために、二名の兵をつれて、赤坂見附方面へ出かけたのであるが、
どこにも売店や、人影を見出すことができないで、ウロウロしているところを捕えられたのだという。
そこで次は、兵士の方を調べてみると、これは全く意外であった。
彼等は革命だの反乱だのということは、全く知らない。
ただ出動する時に、警視庁方面に暴動が起きたから、それを鎮圧するために行くのだと聞かされて、
上官の指揮するままに服従して来たに過ぎないのだという。
朴訥、純情そうな兵士らの言うことに、うそ偽りなどの姿は全く見られない。
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そこで参謀は、
「 お前らは今や反乱軍の兵士として、このように捕えられているのだが、
それに対してどんな気持ちを持っているか 」
と 尋ねると、
「 全く何のことだかわかりません 」
という。
そこで取り調べの参謀も気の毒に感じてか、いとも懇切に、
「 お前らは何も知らないようだが、実はお前らの上官は間違ったかんがえから、
おそろしい反乱を起こして、今や逆賊として討伐されようとしているのだ。
それでもお前らは その上官の命令に従い、どこまでも反逆行為を続けるつもりでいるのか 」
と 尋ねると、
「 ハイ、どうしてよいかわかりません 」
と、泣き出しそうな顔をしている。
これが真相なのである。
兵隊たちは何も知らないのだ。
そしてしかも、今 間違っているといわれた反乱将校たちは、いずれも軍隊においては、
日夜苦楽を共にしつつ、懇切な指導と教育とを受け、心から信頼と、尊敬とを捧げている上官である。
しかもこの上官と共になら、いつでも命を投げ出すというほどの情義と覚悟とほ持っているのである。
そこで参謀は重ねて厳重にさとした。
「 どうしてよいかわからないではない。
わかりきったことではないか。
お前らの上官は明らかに軍紀を破って反乱を起こしているのだ。
それでわれわれは、天皇陛下の御命令によって、これを討伐するために、
このように夜も寝ずに戦闘態勢を整えているのだ。
お前らはその反乱軍の捕虜として、ここに引きすえられてきているのだ。
このような事情が判っても、お前らはどうしてよいかわからぬというのか 」
と 鋭くつめ寄った。
曹長は何もいわずに黙っていたが、
突然、上等兵が悲壮な声で、
「 中隊長殿は、自分らが正しいので まわりに包囲している部隊が反乱軍だから、
これに対抗して現在地を死守せよといわれました。 だから中隊長殿の命令に従って行動します 」
と キッパリ といいきった。
すると同時に もう一人の一等兵も、
「 はい、自分は中隊長殿や小隊長殿と一緒に死んでゆきます。
あの立派な中隊長殿の命令に背くことはできません 」
といって、ワッとばかりに泣き出した。
上等兵も泣いた。
これが可憐な兵士たちの心情である。
並みいる参謀らの眼にも光るものが見えた。
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・・・蹶起将校一同は、若いだけに浅見短慮のそしりを免れないが、しかしその憂国の至情と、
純真熱烈の意気を始め、その人となりや 平素の生活態度等には、感服すべきものがあった。
それだけに、直属上官も軍首脳部のものも、あるいは直接これが説得に当たった先輩たちも、
一概に峻烈な態度だけをもって臨むことができなくて、
終始至誠を傾け、あるいは武士の情けをもって対処する等、最善を尽くすために、
意外に多くの時間を費やしたのである。
わずか二千や三千の反乱軍を、ただ武力をもって鎮圧するとなれば、まさに鎧袖一触、
何の手間ひまも要しないわけであるが、全軍の首脳があれほど苦慮し、精魂を傾けざるを得なかったのは、
一に皇軍同士が撃ち合う戦火を避けたかったからである。
反乱軍の将兵が、いかに堅く結ばれていたかということは、前にも述べた捕虜尋問のところでもよく現れているが、
さらに最後まで帰順を肯がえんじなかった安藤中隊のうえに最もいちじるしく現れている。
安藤中隊長は、そのくらい部下全員の信頼と尊敬の的になっていて、
全中隊が逆賊の汚名を着ても この中隊長と共に死ぬ、というまでの決心をさしていたのである。
このような尊い情義と固い団結力とは、外国の軍隊などではとうてい見られないところであって、
これが実に皇軍の精強の本源をなしていたのである。
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兵に告ぐ! 歴史的大放送のうら
当時陸軍少佐陸軍省新聞班員 大久保弘一
目撃者が語る昭和史
2・26事件 から