あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

牧野伸顕襲撃 1 「 デンポウ ! デンポウ ! 」

2019年02月07日 20時26分49秒 | 牧野伸顕襲撃 河野隊


機関銃下に牧野邸炎上
二月二十日ごろにやるのではないかと、わたしは考えていた。
それを、二十五日の昼ごろになってから、
「 今晩やるから・・・・」
と 栗原中尉に言われた時は、ドキッとした。
当時 一等兵であったわたしは、
朝に素早く仕事をすませ、あとはぶらぶらしているような、態度だけ上等兵、
といった 生活をしていた。
二月二十六日は、ちょうど除隊日に当っていたし、
その二、三日前に歩兵砲隊に変っていたので、わりとのんきな数日を過ごしていたのである。
それでも、二十五日には、歩兵砲隊の夜間演習があった。
それと蹶起とが何か関係があったかは知らない。

二十五日 夜八時。
わたしは自分の隊の新兵のベッドに餞別として買って来た大福をしのばせ、
身のまわりを整理して、栗原中尉の機関銃隊へ行った。
もう 二六年式のピストルがずらりと置いてある。
この二六式というのは、大変性能が悪く、引き金がちょっとでも重いと すぐ弾が右へそれてしまう。
その 一つ一つをたしかめて、一番引き金の軽いものをとった。
宮田晃、中島清治も一緒だった。
そのあと、六中隊へ宇治野時三軍曹を呼びに行き、次に、歩兵中隊の尾島健次郎を呼びに行った。
彼の部屋のカーテンはしまっていたが、中に人影がみえた。
ちょっとまずいと思い、窓をコツコツとたたいてめくばせした。
彼だけ、真っ暗な将校室へつれこんで、だまってピストルをみせてやった。
「 今夜 やるよ 」
と 言うと、
ひどく とまどった顔をした。
この人は、参加しないな、
と 直感的に感じて別れた。
中隊に帰って来ると、宇治野が、すべり止めの足袋をもって来ようと言い出した。
二、三人で戦用倉庫へ忍んで行って、動哨の目をくらませて、舟艇をこぐ時に使う足袋をぬすんだ。
九時。
所沢航空隊の河野大尉が来た。
湯河原の伊東屋旅館本館に泊っている渋川が、
別館に牧野伯がいるかどうかをたしかめるのを待っていたのだ。
わたしは、はじめ、首相官邸襲撃に加わるはずだったが、
河野大尉が来る直前、栗原から、
「 黒沢は、湯河原へ行ってくれないか 」
と いわれた。
「 細かい指示は、河野に従ってくれ。時間は四時半の予定だ 」
栗原が出してくれた信玄袋、軽機関銃の弾を千二百発位つめた。
だいたい湯河原隊の使った武器というのは、
煙幕十本、毒ガス( 緑灯 ) 十本、二六式ピストルの弾二百五十発、軽機関銃二梃、三八銃二梃、
二六式ピストル( 弾付 ) 五、六挺、それに 日本刀が二振りであった。
湯河原出発は、零時ピッタリだった。
この出発を山口大尉が週番として知っていた。
われわれが出て行くときは、
営兵が 「 頭右 ! 」 を して 送ってくれた。
おもてには赤坂のハイヤー ( シボレー ) が 二台回してあった。
寒い夜中だ。
みんなトラックの上でこごえそうであった。
時間調整をしながら、
三時過ぎに小田原を通過した。
根府川付近へ来たとき、道端のお宮で若い衆が たき火をしているのに出会ったので、
そこで休憩し、たき火にあたった。
若い衆は何も知らず、大歓迎をしてくれて、
「 兵隊さん、大変ごくろうです 」
などと 言っていた。
われわれも 「 実弾演習だ 」 と とぼけていた。
午前四時過ぎ、湯河原入口に着いた。
一旦 車をとめ、懐中電灯をとりだして、図面を見せ、
一同に、だいたい牧野の宿泊の家屋の位置を知らせ、
警察との距離などについてもたしかめておいた。
そこで、誰が中へ入るかを決定した。
ピストルをもったものが中に入り、日本刀を持ったものが見張りということにきめた。
ピストルを持っていた私は中へ入ることになっていたが、少尉の肩章をつけた男が、
「 おい、兵隊。ピストルを俺によこせ 」
と わたしに命じた。
奴さんは 少尉の肩章をつけていたので、ピストルをしぶしぶ渡してしまった。
あとで聞くと、宮田という軍曹であった。
兵隊たちは警護にあたらせることになった。
「 巡査は射つな。窓ガラスを全部射ちやぶるのだ 」
と 河野大尉が言った。
玄関には宇治野と中島が立った。
わたしは、軽機二梃と、三八銃を二梃持って、弾を充填した。
そして、台所の裏手の高いところに軽機を据えつけた。
配置が終わった。

河野壽大尉が、
「 デンポウ! デンポウ! 」
と 叫びながら台所の扉をたたく。
だれも出てこないので、蹴破って中に侵入した。
郡靴でドカドカと歩きまわるのがきこえる。
すると、パ、パーン、と 銃声がきこえた。
わたしの足もとに、銃弾がうなりを生じて飛んで来た。
皆川巡査の射ったものだった。
頭の毛が、ゾーと立ちあがってしまって、わたしは完全に足の力を失った。
そんな状態が五分ぐらい続いた。
さらに、ピストルの音が激しくなったころ、
「 やられた! 」
という声が聞こえる。
ふと足もとをみると、河野大尉が軍刀をつえにしながら、台所から出て来る。
軍服の二ツ目のボタンと、三ツ目のボタンの間を射たれて血が流れている。
その弾が、筋骨をすべって横腹に頭を出している。
だから、二カ所から血が噴き出ていた。
私は、それをみて、がっかりした。
総指揮者がやられた、というショックは大きかった。
河野大尉は、大きな意志に腰をかけ、軍刀をついている。

ここまでのいきさつを、その直後 友人にきいたとおり 述べてみよう。

河野大尉らが 家の中にとびこむと、皆川巡査がとび出して来た。
すぐとりおさえて、牧野のいる所へ案内させる。
しかし、巡査は当然のことながら、牧野のいないところばかり案内した。
「 いないじゃないか 」
と、怒ると、
皆川は部屋の隅に置いてあった自分のベッドに、スルスルと近寄り、
ピストルをとって、いきなり射った。
それで、河野大尉が倒れた。
宮田軍曹が、先刻わたしから取り上げたピストルを発射すると、自分も首を射ち抜かれた。
巡査は膝を射たれて倒れたが、皆川は横たわったまま応戦した。
その時、水上源一が高台のわたしへ、
「 威嚇しろ! 」
と 叫んだ。
わたしは、軽機を腰にあて、別館の屋根にむかって、盲射ちに乱射した。
すると瓦が一メートル程うえにすっ飛ぶ。
すさまじい音だ。
これで湯河原中が目を覚ましたかと思われた。
その時 河野大尉が出てきた。
「 火をつけろ! 」
と 命令した。
火鉢から火をとり、ヘイ板を破って薪代りにすると、お勝手口にかけて、燃やしはじめた。
五分もしないうちに、火は燃え拡がった。
おばあさんが、家からあわてて首を出す。
「 出ると射つぞ 」
と おどかす。
牧野伯の奥さんであると思われた。
いいかげん火がまわったころ、一発のピストルの音がきこえた。
河野大尉はその音を聞いて、牧野伸顕が自決したのだ、と 思い込んだようだ。
「 引きあげだ!」
中島が飛んで来て私に伝えた。
すでに、火はごうごうと燃えはじめ、側にいると火傷をするほど熱かった。
その時、子男の綿引が、火の中を、倒れた宮田軍曹をかついで出て来た。
われわれは、河のほとりまで退いた。
そこで、ふりかえって見ると、
「 兵隊さーん! 助けて 」
と、石垣に、女の人 ( 麻生和子夫人 ) と、おばあさんが中腰になって叫んでいる。
よく見ると、その足もとに、うずくまった男がいる。
私はハッとして、
「 牧野だ! 」
と、三八式銃をとりあげ、その男に狙いをつけた。
五米ぐらいかと思われるほど近くに見えた。
すると 河野大尉が
「 やめい! 」
と 私を制した。
牧野は死んだのだ、
と 言う。
その頃には、消防ポンプが数台来ていた。
その消防夫へ、
「 おまえたち! この言えは燃やすのだ! 水をかけるなら、隣の家にかけろ! 」
と 水上が言った。
黒田も河野大尉に、
「 女 子供は かわいそうだから、助けます! 」
と 言って、
崖の上から、女 子供をだきおろした。
おばあさんを下し終わると、あとに看護婦と、もう一人の男が残った。
黒田は、ピストルを抜くと、
「 天誅! 」
と 叫んで、その男へ射った。
牧野だったのだ。
しかし、射った弾が看護婦の手首にあたって、ものすごい悲鳴を看護婦はあげた。
びっくりした黒田は、あわてて看護婦も牧野伯も抱きおろしてしまった。
どうにも、つじつまの合わない話だが、
その場の状況というものは、そうせざるを得ないようなものだったとしか考えようがない。

歩兵第一聯隊一等兵  黒沢元晴
現・資源通信社社長
人物往来/S・40・2
目撃者が語る昭和史  第4巻  2・26事件