あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

牧野伸顕襲撃 2 「 俺に代って誰か邸内に突っ込め 」

2019年02月06日 20時13分32秒 | 牧野伸顕襲撃 河野隊


河野壽大尉
一足先にやりますよ
航空兵大尉河野壽は、その前年の昭和十年十月に、満洲から所沢飛行学校の操縦科学生として内地に帰ってきた。
所沢の学校にほど近い下宿屋玉屋旅館の女将北条ふく さんは、河野が二年前の機関科学生時代からのお馴染みで、
河野を、わが子のように面倒を見てくれた。
河野もまた、この北条の小母さんを心から頼りにして、安心してなにごとも打ち明けていたようであった。
この玉屋旅館の下宿生活が再びはじまった。
二月の初めの土曜日だった。
「 小母さん、明日は日曜だから東京にでてきます。もしかすると、月曜日も帰らないかも知れませんが、心配しないで下さい 」
と 言い残して出ていった。
しかしその河野が日曜の夜遅く、悄然として帰ってきた。
寝入りばなの小母さんが羽織をおりながら出迎えると、腰の拳銃をはずして、机の上にドサリとほおり出した。
「 小母さん、人一人を殺して短くて十年。出てくれば僕も四十です。考えればつまらないことのようにも思えますね 」
と、黙然として考え込んでしまった。
かねてから河野の交友関係と思想関係を承知している小母さんである。
「 河野さん、本当につまらない考えを起してはいけませんよ。またなにかあったんじゃありませんか 」
と いぶかりながらも、なにかさしせまった空気を直感しないではいられなかった。
前年の機関科学生時代にも、急進青年将校を中心として蹶起の企図があり、同志将校がそれぞれ配置についたが、
未遂に終ったことがあった。
この時も河野は参加していた。
帰ってきた河野は悲憤して、同志の優柔不断を慨し、大言壮語、恃むに足らず、俺はもう事を共にしないと、
一時きっぱりと関係を断ったことがあった。
小母さんはこの絶縁を喜んでくれた。
しかし、河野が満洲の航空隊に転任し、再び操縦学生として帰ってきた一年後には、河野はまた、旧の交友関係に復していた。
さらにいちだんの尖鋭さを加えていることを知った。
この日も河野は、単身牧野伸顕伯爵を探索すべく、機会あらば襲撃を覚悟して湯河原におもむいたのであった。
所沢から上京した河野は千駄ヶ谷の磯部浅一宅を訪ねた。
もう夜の八時を過ぎていた。
軍刀と拳銃を持った河野を見て磯部はハッと思った。
最近の数次にわたる会合において、同志将校の足並みはなかなか揃わず、最後の決行への踏切りがつかない際である。
磯部とともに最急進論者の河野は、逡巡する同志へ見切りをつけるような口吻を洩らしていたからだった。
はたして、
「 磯部さん、私は一足先にやるかも知れませんよ 」
と ポツンといった。
困ったといった深刻な顔つきで磯部は、
「 どうしても我慢できないか 」
という。
「 いや、牧野の偵察をしに湯河原にゆくだけですよ 」
河野はこういって笑った。
磯部はせっかく、各部隊との関係、連絡がここまで進捗し、もう一歩というところにきている重大な時機だから、
軽挙はやめてほしいことを切言して、自重をうながした。
しかし河野は、また笑いながら、
「 磯部さん、牧野という奴は、悪の本尊ですよ。
それにもかかわらず運の良い奴だから、やる時にやって置かないと、またいつやれるかわかりませんよ。
やられたらやってもいいでしょう 」
磯部はいよいよ困った顔をして考え込んだ。磯部、河野の交友はもっとも密接で、お互いにその性格を知っている。
とめて引退るような河野ではない。
「 よかろう、やって下さい。東京の方は私がただちに連絡して、急な弾圧には備えることにしましょう。
もしひどく弾圧するようなら、弾圧勢力の中心点に向って突入することくらいはできるだろうから・・・・」
磯部は観念の肚を決めた。
それにはつぎのような理由があった。
これより先、磯部は決行計画について、二人で話合ったことがあった。
その時の河野の話を、磯部は忘れることができなかった。
「磯部さん、私は小学校の時、天皇陛下の行幸に際し、父からこんな事を教えられました。
今日陛下の行幸をお迎えにお前たちは行くのだが、
もし、陛下の「ろぼ」 を乱す悪漢が お前たちのそばから飛び出したらどうするか、と。
私も兄も父の問に答えなかったら、
父は厳然として 「 飛びついて殺せ 」 といいました。
私は理屈は知りません。
しかし 私の理屈をいえば、父が子供の時教えてくれた、賊に飛びついて殺せという、たった一つがあるだけです。
牧野だけは私にやらせてください。
牧野を殺すことは、私は父の命令のようなものですよ 」
こうした透徹した信念には、磯部もいまの河野を翻意させることのむだなのを知っていたのだろう。
こんないきさつで、確固たる決心をもって湯河原に乗込んだ河野だったが、翌日の夜に入って、ガッカリした。
といって再び磯部の家に帰ってきた。
牧野は光風荘にいるという情報だったので、光風荘を探したが、そんなところはないとのこと。
牧野は天野野にときどきやってくるということを旅館の者に聞いたので、それとなく天野野を探って見たが、
牧野はきていないことは確実だった。
無駄足に地団駄をふんだ河野は、あらためて牧野の居所をさぐることを磯部に頼んで、夜遅く所沢に帰って来たのだった。

渡満前にクーデター計画
この頃から河野の上京は、毎日のようにつづいた。

下宿に帰らない夜も多くなったが、学校をやすむことはなかった。
相沢中佐の公判が開始されて以来、毎回必ず前列に位置して、熱心にメモを取る村中、磯部の両大尉の姿は、
法廷内外の注目を集めたが、公判が漸次核心に入りはじめた二月のはじめ頃から、
この両人の姿が見られなくなったのは前述のとおり。
それと時を同じうして、彼らと上京青年将校との往来が頻繁を加えていった。
東京渋谷の駒場にある栗原安秀チュウイ、同じ代々木の磯部元大尉宅、あるいは麻布の竜土軒等と、
香田清貞、河野、栗原、村中、磯部等の会合が重ねられ、第一師団渡満前にクーデター決行の秘策が練られていった。
しかしこうした動きの中にも、青年将校の間には時期尚早派や兵力使用に対する危惧等のために、
決行派から脱落していった人々もあった。
この間にあって、河野は磯部、栗原等とともに、終始強行派の先鋒に立ち、
歴史廻転の一こまをズルズルと決行へひきずっていった。
「 皆がやらなければ俺一人でもやる 」

二月二十三日だった。
午前中に航法の訓練を終って下宿に帰った。
小母さんの部屋で昼食を食べながら、満洲で耐寒飛行の苦しさをおもしろおかしく語り終って自室に戻った。
平生は部屋の掃除、整頓はほとんど小母さんの役目で、呑気な河野は、まったくの無頓着だったが、
この日は、午後の半日を持物の整理に過した。
たくさんの紙屑や書類の反古を山積みにして、残雪の白い前庭で焼却した。
「 綺麗になったでしょう。これでサッパリしましたよ 」
と、でてきた小母さんに笑いながら、燃えてゆく紙片を感慨深げに見守っていた。
二十五日、この日は十一時までに代々木の磯部の宅にゆく約束になっていた。
第一時間目の講義をすませて、すぐ上京するつもりで登校すると、航法訓練のため金丸原への飛行の命令である。
困ったことになったと当惑しながらも、中止するわけにもゆかず、
「 よし第一番に片づけよう 」 し肚をきめて、第一番に飛びだして第一番に帰ってきた。
十一時に近かった。ただちに下宿に帰った河野は、あの日以来小母さんに預けて置いた拳銃を出してもらい、
勧める昼食を断って、時間を急ぐからとあわただしく玄関に降り立った。
「 明日までは帰ってこないかもしれません。
もし学校から誰かきましたら、腹痛で寝ていましたが、とでもいっておいてください 」
と 言い残し、第一装の軍服凛々しい裡うちにも、こころなしか哀愁の面影を残して、
一、二度ふり返りながら、雪解けの街角に消えた。
最近の河野の動静を知る小母さんは 「 なにかある 」 との予感にオチオチと落着かない一夜を明かした。

牧野伸顕伯の動静を探る
上京した河野は、高田馬場駅から円タクを飛ばして代々木新町の磯部宅に現れた。
ガラッと開けた玄関には、いま出かけようとする磯部が立っていた。
この日は十一時に河野がやってくる約束になっていた。
それは前日来、牧野の動静を確めるために湯河原におもむいていた民間同志、渋川善助からの情報を聞くためであった。
その渋川からの情報は、すでに絹子夫人が、渋川からの手紙を持って帰京し、
牧野が伊東屋旅館の別館に滞在していることを確認してきていた。
容易につかめなかった牧野の動静を握りえた喜びは、明日にひかえた決行を直前にして、
河野へのなによりの贈物であった。
きっと、恋人を探し当てたような嬉しさに快哉を叫ぶであろう河野の笑顔を想像しながら、
磯部は胸を躍らせて河野を待っていた。
その河野は、十二時を過ぎ一時を廻っても姿を見せない。
あの男に間違いがあるとは考えられないが、いまとなっては時間がゆるさない。
牧野は俺が引受けよう、栗原と相談して計画の変更もまたやむをえないと、
磯部は急いで湯河原への出発準備をすましたところだった。
「 イヤすまん、すまん。遅れて申訳ない、心矢猛にはやれども、という奴でね・・・・。とにかく上りますよ 」
河野はドシドシ座敷に上がっていった。
「 時間がないから、洋服に着換えながら話しをしましょう 」
と 軍服を脱いで、用意の背広に着替えにかかった。
「 今朝学校にいったら、急に金丸原への航法訓練だというのです。しまったと思いましたね。
しかし断る理由もないので、仕方なく飛行機を出しましたよ 」
本当に困ったという顔で、見上げる磯部と顔を見合せて笑った。
「 十一時の約束に遅れては大変だと思い、ままよと墜落したら俺には運がないんだと覚悟をきめて、
無茶苦茶に速力を出して、一番乗りをやって来ました。
神様が助けてくれたんですね。着陸したときは本当にありがたいと思いましたよ 」
磯部は聞きながら、この男のやりそうなことだと、その大胆不敵さに感心しながらも、
これなら大丈夫、牧野をやれると感じた。
磯部から牧野の情報を聞かされて、さすがに緊張した笑いを浮かべながら、
「 有難う、これからすぐ湯河原へ行きましょう 」
と、すわりもせずに、そのまま東京駅に向かった。  ・・・リンク→ 渋川善助 ・ 湯河原偵察 「 別館の方には、誰か偉い人が泊っているそうだな 」 
湯河原には同志渋川善助夫妻が、河野の到着をいまや遅しと待ち焦がれていた。
渋川夫妻は前日来、湯河原に滞在し、同地伊東屋別館に滞在する牧野伸顕伯の動静を監視していたのだった。
すでに夕闇に包まれた伊東屋別館の前の坂道を、往きつ戻りつつする丹前姿の二人の偉丈夫があったが、
人通りのほとんどない山道のこととて、人目につくすこともなく、やがて坂下に去った。
河野、渋川の両人はこうして、別館の地理、地勢の探査を確実におえた。
渋川からバトンを完全に受継いだ河野は、一足先に帰京する渋川を送り出した後、
ホッとした思いで一人ゆっくりと温泉にひたった。
陶然と浴槽に身を沈め、静かに眼を閉じた河野の脳裡に映るのは、数時間後に再び訪れるこの地のことだった。
たちこめる湯気を通して、窓外には、雪もよいの寒夜が刻々に更けていった。

午前二時、営門を通過す
河野が湯河原から帰京したのは、二十五日の終列車であった。
東京駅から円タクを走らせて、代々木の磯部宅に入った。
ここで再び背広を軍服に着換え、磯部が現役時代のマントを借用し、しきりに時間を気にしながら、
夫人の差出すお茶を一呑みにして辞去した。
外には円タクが待たせてあった。
武装をマントに包んで、円タクに飛び乗った河野は、折柄の小雪降る深夜疾駆し、愴惶として麻布第一聯隊の営門をくぐった。
すでに十二時を廻り、やがて一時に近かった。
隊内の栗原中尉の室には、河野の到着を一刻千秋の思いで待ちわびていた多数の同志の面上には、一瞬、サッと安堵の色が流れた。
これらの人々は栗原中尉の指導、訓育を受けた民間の人々であり、かねて深く相許した同志の人々であった。
単身で所沢の飛行学校からこんどの蹶起に参加する河野には、行を共にする手兵がなかった。
栗原はそのために、少数ではあるが信頼するに足りるこれらの民間の精鋭同志を招致したのだった。
したがって河野とは初対面の人々のみであった。
栗原中尉と別室で最後の打合せをすませ、河野が栗原から紹介され引継がれた隊員は七名、
武器は軽機二梃に弾薬若干、小銃は四挺であった。
隊員のうちに民間六名のほかに、現役から粒よりの宇治野時参軍曹が加えられていた。
出発の準備はできたようである。
「 資金がなくてすみませんが、なんとかこれで頼みます 」
と、百円を手渡しながら、いかにもすまなさそうに詫びる栗原に、河野は無言でうなずきながら、莞爾として固い握手を交わした。
万事諒解。
回天の天機必成を、堅く胸中に秘めつつ、青年将校急先鋒の両人は、いよいよ決行への第一歩を営庭へと踏み出した。
民間人とはいえ在郷軍人である同志の面々は、それぞれ借用の軍装に身を固め、営庭に待機した二台の乗用車に乗込んだ。
時に二月二十六日午前二時。
営門を 「 航空部隊との協同演習 」 と称して通過した一隊は、平和に眠る大東京の闇夜をフルスピードで京浜国道へと消えた。
宵からふりだした雪は、すでに街上を埋めて二本の轍の跡が判然と残されてつづいた。
この日から四日間、全日本を震撼させた 『 二・二六事件 』 は、遂に茲にその口火を切ったのであった。
湯河原襲撃隊一行の隊員は左の八名であった。
指揮官  航空兵大尉  河野壽
隊員  軍曹  宇治野時参
隊員  民間  水上源一
隊員  ( 予備上等兵 )  黒田昶
隊員  ( 予備曹長 )  宮田晃
隊員  ( 予備曹長 )  中島清治
隊員  ( 予備一等兵 )  黒沢鶴一
隊員  民間  綿引正三

隊員に決起趣意書を読み上ぐ
東京出発後の自動車のスピードは、予定以上に快調であった。
厳寒の深夜に火の気のない車中では寒気がヒシヒシと身にしみた。
足の爪先は凍るようにさえ感じられた。
馬入川を渡って間もなく、頃合の松林の傍で停車し、焚火を囲んで暖を取りながら時間を待つことにした。
河野は一人、地図を見入っていた。
一同は黙って枯枝をくべながら暖を取った。
折柄、国道を東京に向って通りかかったトラックが、焚火を見て停車し、運転手と助手らしい二人が下りてきた。
「 軍人さんですか。すみませんがちょっと焚火にあたらせてください。寒いのにご苦労さんですね 」
「 さあ、どうぞ 」
と、二人は一緒に焚火を囲んだ。
急にほぐれた空気で、ひとしきり雑談がはずんだ。
時計を見ながら、「 さあ、出発しよう 」 河野の命令に一同腰を上げた。
焚火を始末しようとする隊員に、「 火は私達がいただいて始末しますから 」
「 では間違いないように頼むよ 」
「 大丈夫です。ご苦労様です 」
二人の声に送られて、再び自動車は国道を西に走った。
十二、三分くらい走った頃、河野は再び停車を命じた。
真白につもった雪を踏んで、少し離れた木陰に隊員を集めた。
ここで、はじめて一同に決起趣意書を読上げて、襲撃目標と、状況を説明した。
懐中電灯で照明された牧野邸の見取図を囲んで鳩首きゅうしゅする隊員に、これからの行動方針を指示し、
改めて全員の決意を促した。
緊張にふるえる一同の面ざしには、いささかの不安もみられなかった。
しかしいま、この重大行動に生死を共にせんとする人々ではあるが、河野にとってはみな初対面の人ばかりである。
栗原中尉から託された信頼すべき同志であることは疑わなかったが、河野としてはどうしても、
改めて自己の信念を披瀝して隊員の不退転の決意を確認したかったのだった。
最後に、襲撃目標は牧野ただ一人であり、他には絶対に危害を及ぼさないように命令した。
隊員への指示を終えてから、河野は後方に待たせて置いた二人の運転手を呼んだ。
「 実は君らには演習といって連れてきたが、これからわれわれは湯河原おもむいて牧野伯を襲撃するのだ。
しかし、君らには決して迷惑はかけない。
いやだと言われても、気の毒だけれど目的が終るまで、適当の処置を取らせてもらわなければならない。
国家のためにぜひわれわれに協力してもらいたい 」
二人の運転手は、緊張の面持で聞いていたが、やがて顔を輝かして、応諾の意志を述べた。
この二人は、栗原中尉がかねて懇意にしていた自動車屋の運転手であって、
今日の行動も、うすうす事情を知っていたらしいフシがあった。
運転手の承諾に、
「 そうか、ではこれから出発する 」
河野は勇躍して、先に立って自動車に乗った。
湯河原まで もう二十分くらいの距離であった。
刻々に盛り上がる緊張を乗せて、一隊が湯河原の町に入ったのは、予定時刻の五時少し前であった。

蹶起趣意書
「 謹ンデ推ルニ我神洲タル所以ハ、
万世一神タル天皇陛下御統帥ノ下ニ、挙国一体生成化ヲを遂ゲ、
終ニ 八紘一宇ヲ完フスルノ国体ニ存ス
此ノ国体ノ尊厳秀絶ハ
天祖肇国神武建国ヨリ明治維新ヲ経テ益々体制を整へ、
今ヤ 方ニ万万ニ向ツテ開顕進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
然ルニ 頃来遂ニ不逞兇悪の徒簇出シテ、
私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶対ノ尊厳を藐視シ僭上之レ働キ、
万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、
従ツテ 外侮外患日ヲ遂フテ激化ス
所謂 元老重臣軍閥官僚政党等ハ 此ノ国体破壊ノ元兇ナリ、
倫敦海軍条約 並ニ 教育総監更迭ニ於ケル 統帥権干犯、
至尊兵馬大権ノ僣窃ヲ図リタル 三月事件 或ハ 学匪共匪大逆教団等
利害相結デ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ、
ソノ滔天ノ罪悪ハ流血憤怒真ニ譬ヘ難キ所ナリ
中岡、佐郷屋、血盟団ノ先駆捨者、
五・一五事件ノ噴騰、相沢中佐ノ閃発トナル 寔ニ故ナキニ非ズ
而モ 幾度カ頸血ヲ濺ギ来ツテ 今尚些カモ懺悔反省ナク、
然モ 依然トシテ 私権自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ
露支英米トノ間一触即発シテ
祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ 一擲破滅ニ堕ラシムルハ 火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
内外真ニ重大危急、
今ニシテ国体破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ
稜威ヲ遮リ 御維新ヲ阻止シ来レル奸賊ヲ 芟序除スルニ非ズンバ皇謨ヲ一空セン
恰モ 第一師団出動ノ大命渙発セラレ、
年来御維新翼賛ヲ誓ヒ殉国捨身ノ奉公ヲ期シ来リシ
帝都衛戍ノ我等同志ハ、
将ニ万里征途ニ上ラントシテ 而モ願ミテ内ノ世状ニ憂心転々禁ズル能ハズ
君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中枢ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク為スベシ
臣子タリ 股肱タルノ絶対道ヲ 今ニシテ尽サザレバ破滅沈淪ヲ翻ヘスニ由ナシ
茲ニ 同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、
奸賊ヲ誅滅シテ 大義ヲ正シ、国体ノ擁護開顕ニ肝脳ヲ竭シ、
以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
皇祖皇宗ノ神霊 冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉野中四郎
外 同志一同


淡々と燃え上る伊東屋別館
前夜から降りつづいた雪は、春先には珍しい大雪となった。
満目銀一色に装った温泉湯河原の町は、一入平和な静けさに眠っていた。
処女雪に二条の轍を残して、まだ明けやらぬ湯の町に、二台の自動車は、エンジンの音も静かにすべりこんだ。
伊東屋本館の上手で停車し、軽機をはじめ武装物々しい一隊は、道路上に整列して河野の指示を受けた。
二人の運転手を車内に残して、八名は整然として橋を渡って対岸の山裾に消えた。
伊東屋本館から川沿いに上ったところに交番があった。
この交番の前を通る時、交番から顔を出した巡査が 「 ご苦労様です 」 と 声をかけた。
一同は黙って会釈をして通り過ぎた。
時ならぬ物騒な一党であったが、交番さえ怪しまれることなく、坂道を上って伊東屋別館の門前に到着した。
正五時が、東京の各隊とともに、いっせい決行の時刻であった。
定められた地点に密行し、ただちに所定の配置についた八名の隊員は、一切の準備を終えて、雪中に時間を待った。
わずか数分の間だったが、ずいぶん長い時間のように思えた。
山雨将に到らんとして、風楼に満つるの高潮した一瞬であった。
刻々と迫る殺気が門前にはらみ、伊東屋別館の平和の眠りは、文字通り風前の灯であった。
マッチの赤い光が河野の腕時計に映えた。
五時だった。
「 行動開始!」
低いが荘重な河野の声が流れた。
黒い塊りが門内に移動し、玄関を避けて勝手口へ殺到して行った。
「 電報、電報 」
三度、四度、勝手口の引戸を叩く物音に、牧野邸の静寂は破られた。
邸内に迫ったのは河野を先頭に、宮田、宇治野、水上の四名であり、
他の四名は表門及び裏口に配置された軽機に位置して、外部への警戒と、内部からの脱出に備えた。
早暁の電報の声に応じて、邸内の電灯がついた。
勝手口に現れたのは宿直警官の皆川巡査であった。
細目に開けた戸口から、異様な訪問者の姿を見て、スワと引返そうとする暇も与えず、
つづいて踏込んだ河野の手には拳銃が擬せられていた。
なす術もなく、皆川巡査は静かに観念の双手を挙げた。
「 牧野の寝室に案内せよ 」
と銃口を胸許に擬しながら命令する河野の言に、
皆川巡査はしぶしぶながら一隊を先導して、廊下を左手に廻った。
しかしこれはあらかじめ河野が調査しておいた部屋取りとは反対の方向である。
河野の拳銃が、やにわに皆川巡査の背中を突いた。
「 こっちではない。牧野の部屋に案内するんだ 」
と、語気鋭く迫った。
黙々として引返した皆川巡査の直後、ピタリとしたがった河野たちは、右ての廊下の突当りを左に折れた。
その突当りを右に廻れば確かに牧野伯の寝室のはずである。
廊下は幅三尺に過ぎない。
大の男が軍装で通るのに一杯であり、電燈は消えていて前方の見通しもきかない。
軍靴のままの不気味な足音が、暗い廊下をきしみ、無言の一列が一歩一歩を刻んだ。
最後の突当りを、皆川巡査が曲ったかと見た瞬間、振返りざま轟然、拳銃が皆川の直後につづいた河野の胸許に火を吐いた。
距離二尺とも離れていない。
連続してさらに一発、二発、河野の後につづく宮田、宇治野の方へも・・・・。
いつの間にか皆川巡査の手に拳銃が隠されていたのだった。
しかし撃たれた瞬間、アッと叫んだ河野の手の拳銃も、反射的に皆川巡査の腹部に唸りこんでいた。
両人が倒れたのはほとんど同時であり、宮田の 「 ヤラレタ 」 と 叫ぶ声もまた同時であった。
この間、一分にも満たない瞬間的の激突であったが、皆川巡査はそのままついに起たなかった。
これに反し、河野はただちに起き上がって後に退った。
暗い前方の廊下から、なお一、二発の音がつづいたようだった。
皆川巡査の最後の抗争であったろう。
邸内の銃声と、宮田の声に外部から駆つけた綿引に抱えられて、宮田は屋外に去り、
河野もまた、胸部を抑えながら宇治野と共に次の反撃に備えるため、いったん屋外に退いた。
邸内にはまだ三名くらいの護衛警官がいるはずであることが、調査されていたからである。

時間を与えてはいけない。
しかし河野は胸部の盲貫銃創で、すでに行動の自由を失っていた。
「 俺に代って誰か邸内に突っ込め 」
軍刀を杖に、辛うじて身を支える河野の声が暁闇に響いた。
しかし、この命令にこたえて、再び邸内に躍り込む人はいなかった。
失望の色が河野の面上に深く、身もだえして切歯した。
「 万事休す!」
一刻の猶予も許さない場合である。
最後の手段は、不本意だった。やりたくなかった。しかしいまとなってはそれよりほかに方法がなかった。
河野は牧野伯の寝室に向って、屋外から機銃の掃射を命じるとともに、
放火もまたやむをえないと決意しなければならなかった。
偶然にも、炭の空俵が勝手口に立てかけてあった。
塵紙に点火してこれに火を移したのは水上であった。
炭俵に移った火は、またたく間に屋内に燃え移っていった。
それと同時に、玄関の側から寝室に向って発射する機関銃の響きが、
暁の静寂をつんざいて、山腹に木魂して継続した。
銃声の合図を通して、屋内をとまどう人々の騒音が伝わってくる。
「 女、子供に怪我をさせてはいけない 」
苦しい呼吸の下から叫ぶ河野の命令がつづいた。
喰入るように状況に見入る河野の、傷ついた悲壮な姿が燃え上がった火勢に映しだされ、
その面上にはアリアリと焦慮の色が浮んでいた。
火の手は全館に拡がり、火焔は銃声を交えて積雪に映え、いっそう凄惨さを加えた。
これより先、邸内に近い撞球場の二階から三名の男が現れてきた。
これは当夜非番の、牧野伯の護衛警官たちであった。
いちはやく発見した宇治野軍曹に拳銃をつきつけられ、威嚇と説得にあって意気地なく拱手して引退ってしまった。
恐怖におびえ、火焔に追われて、屋内から前庭に逃れた婦女子の一団が燃えさかる火の手に明るく照らし出されてきた。
すでに屋内には人がとどまることはできないはずである。
にもかかわらず、たずねる牧野伯らしい姿は見えない。前庭の前面は石垣、西側と裏手は崖、
わずかに出口は表門側の一方だけである。
配置された警戒線を脱出することは、およそ不可能のことであった。
これらの状況から、牧野伯はテッキリ機銃によって死んだものと考えることも、あながち無理な判断ではなかった。

女装の牧野伯、脱出に成功
この時である、広くもない前庭に集った婦女子の一群が、火焔を避けて、西側山つづきの、
崖下の方へ移動するのが認められた。
その中に女物の羽織をかぶって、うずくまってゆく人影があった。
目ざとく見咎めた黒田は、疑わしいと見るや、
「 待て!」 と 大声で制した。
そして間髪を容れず、手にした小銃の引金が引かれていた。
「 キャッ!」
と 叫ぶ女の悲鳴があがった。この悲鳴にはねかえるように、
「 女、子供に怪我をさせてはいかん 」 と、河野の命令が鋭く押えた。
この時に森看護婦が、腕に受傷したのだった。
銃声は再び響かず、やがてこの一群の塊りは相擁しつつ崖下にたどりついた。
この頃、すでに騒ぎを知って裏山から崖上の山中に集っていた警防団の人々によって、
これらの婦女子群は吸湿され、山添いに逃れさっていった。
牧野伯、奇跡の脱出は、こうして演ぜられる結果となった。

傷ついた身を熱海衛戍病院へ
暁の襲撃は終った。
河野は全員を集合させて、まだ燃えさかる寝室の方へ向って、牧野伯への敬礼を命じて黙禱を捧げた。
街の半鐘の音が急に強く高く聞え、騒ぎを知って集ってきた群集が、下の道に群れていた。
襲撃--暗殺--引揚げと、一挙に目的を果すはずの計画が、意外な抵抗の前に不測の事態を引起こし、
その結果として、発砲、放火と、最悪の手段をとらなければならなかったばかりでなく、
肝腎の牧野伯の死さえも確認することができなかった。
この不手際は隊員たちに、隊長の重傷とともに、立去り難い不安の念を与えた。
後髪をひかれる思いだった。
放火は失敗であった。
地形上、燃えさかる建物を越えて、前庭に入ることのできなかったことは、
脱出者を一人一人、首実検する重大な機会を失わしめた不覚を招いてしまったわけだった。
確かに不手際であった。
どうやら失敗したらしい、という予感が、河野の脳裡をかすめた。
しかし鎮火を待って、牧野伯の死を確認する時間の余裕はもちろんない。
すでに引揚げの予定時刻を過ぎること一時間に近い。
たとえ死体は見届けなくとも、万策をつくした河野としては、せめても十中八九まで、その成功を信じたかった。
引揚げの命令に、すでに明けきった雪の朝の坂道を一隊八名は傷ついた河野、宮田を擁して、粛然と降りていった。
河野の胸部の傷は重かった。
部下に支えられて、辛うじて山を降りて自動車に横たわったが、すでに再起はおぼつかないことを観念した。
そしてその死所をいずれにえらぶべきかについて苦慮していた。
しかしその前に、足に負傷した宮田を同行することは、事後の行動に支障あるのを憂えて、
宮田を湯河原の病院に託することにした。
病院は本道を山手に少し上った橋を渡った左側にあった。
かかり合いになるのを迷惑がるような病院に、所持金のほとんどを治療費として残して、宮田を預けた。

襲撃中、待機を命じた自動車の運転手は、出発後において、はじめて行動を知らされた民間人であったが、
かねて栗原中尉と心易い間柄であっただけに、事情を明かされた後は欣然として協力を惜しまなかった。
襲撃によって騒ぎがはじまり、群がりでる町民の注視のなかにも、平然として自動車を守り、
エンジンをかけて一隊の帰りを待っていた。
重傷の河野が抱きかかえられるようにして乗り込んだ後、武器の積込み、隊員の乗車を終った二台の自動車は、
立ち騒ぐ町民の環視の中を、通り魔のように消えていった。
湯河原を発った一行は、事後の行動に関して意見が二つに分れた。
「 東京の本体に万難を排して合流しよう 」 と 主張する者がほとんどであった。
もちろん、決行後は東京に帰還することが最初からの計画でもあった。
これに対して、隊長河野の意見は反対であった。
それは河野自身の重傷と、予期しなかった襲撃の齟齬による時間の空費とのためによって、
状況が一変してしまったからであった。
いま、当初の計画を強行することは、前途に種々の困難を覚悟しなければならない。
すなわち、事件の突発によって、東京に至る沿道の警戒は、すでに必至と予期された。
この関所を押し通るためには、重傷の身をもってしてはとうてい困難であるし、
さらに無益の殺傷は回避しなければならないと、河野は諄々として隊員を説いた。
一行の行方は決った。
この際はいちおう熱海衛戍病院に入って本隊と連絡し、後図を策することとなった。
熱海に向った一隊は、途中、早くも河野が予期したように警官隊の警戒線にひっかかった。
二名ぐらいの警官が、縄を一本張って検問しているにすぎない。
これでは問題にならない。
先頭車にあった宇治野軍曹は、ただちにこれと応答し、通せないという警官を説得、威嚇を交えて押し通り、
熱海へと突っ走った。
雪もよいに、どんよりとくすむ海沿いの国道を、伊豆山を抜け熱海に入った。
湯河原を発って三十分くらいであったろう。
一行の自動車は、熱海駅前を左して、熱海湾を眼下に見下す熱海衛戍病院の石門をくぐった。
瀬戸病院長によって入院措置が取られ、ただちに河野の応急手当がえおこなわれることになった。
一方、三島憲兵隊への連絡により、駆けつけた宮内憲兵隊長のいちおうの訊問を受け、
隊員一同は三島に収容される手筈となったが、その日は病院の温泉に戦塵を落し、
翌二十七日、三島憲兵隊へ移った。
手術の結果は良好であった。
奇跡的にも弾丸は胸部を貫通せず、肋骨に当って胸側の皮下に留っていた。
院長の摘出手術もきわめて順調に終り、生命の不安は去った。
収容された病室は将官病舎であった。
手あつい看護の手が、温かく河野を遇した。
静かに見やる窓外には、浅春の日射しを南一杯に受けて、前庭の梅の花が馥郁と咲いていた。

河野司 著  湯河原襲撃 から