磯部手記
( 閣下の大臣御就任直後 入手せるものなるも、御眼にかける程のものならずと判断し、
今日迄手元に止め置けり ) 以上 森の筆か
磯部浅一
一、十一月廿日事件前後 橋本次官の態度
イ、十一月廿日事件直接の責任者は、永田前局長が各方面に対して、「 永田に非ずして 橋本次官なる 」 ことを公言せり。
ロ、十一月廿日朝、橋本次官、田代司令官、永田局長の三人帯同し、
林陸相に対し青年将校を弾圧す可き、要之に十一月廿日事件なる架空事件を惹起し、
軍司法権の歪曲、不当の結果 ( 之は証拠なし、不起訴のものを証拠不充分不起訴となし、
三将校停職、五候補生退校 ) を 招来し、
今日の軍不統制の原因を作りしは永田局長と罪責同断ならざるべからず。
二、真崎総監更迭前後 橋本次官の態度
イ、統制強化の美名の下に青年将校の弾圧 ( 免官問題 )、
ロ、真崎総監更迭により表面化されたる正義派将軍の排撃 ( 騎兵閥将軍の中央進出を策せる事実)、
ハ、機関説排撃運動抑圧 ( 砲工学校学生の機関説問題に対する同期生声問題 )、
維新機運阻止により支配階級に阿ゆ追随せること、
要するに、右は橋本、永田の合作を以て林陸相をロボット的に操縦して行はれたるものにして、
青年将校一般に永田局長に対する以上に 橋本次官に増悪の念を有しあり。
三、相澤事件に関連せる次官の態度
イ、巷説盲信の宣伝をなせるは次官なることの立証あり。
ロ、其後悪らつなる新聞操縦は次官に関係深き二、三幕僚の妄動なること、
ハ、事件後次官の官邸を憲兵の外に警視庁巡査により護衛せしめたること。