「 中佐、妙な話があるんです 。どうもこの病院に奴らの一味が入院しているらしい。二階にね 」
片倉はがらり話題を転じて来た。
「 それは将校か 」
「 そうらしい。ちょくちょく奴らの仲間が見舞にきているようですよ 」
「 貴様が入院していることは?」
「 これのおかげで気づいていません 」
顔面を覆う包帯を指で示した。
「 誰だ入院している奴は 」
「 安田とかいう男・・・・」
「 安田?それは野砲七聯隊の安田少尉だ。天草の出身で俺と同郷だ 」 ・・・リンク→そのとき私は小学校五年生でした
事件のまっただ中で、憎しみ合う反乱、幕僚の将校が同じ病院で治療を受けていたのである。
・・・
「 武藤中佐 」
病室を去ろうとする上司を片倉は鋭く呼び止めた。
「 何だ 」
「 殺しましょう。全員処刑だ 」
片倉は叫んだあと、武藤の耳を寄せるように長いことを語り続けた。
武藤は何度も頷いていたが、やがて病人から身を引き離した。
「 片倉少佐。今の言分を文書にして提出せよ。軍事課員のみんなで、じっくり検討する 」
「 この身体で書くんですか 」
片倉は、片方の眼を情けなさそうにゆがめた。
武藤は取り合わなかった。
「 文書にして提出せよ 」
冷酷に繰り返した。
・・・毎日新聞社一九八九年刊、寺内大吉著 「 化城の昭和史 」 下巻から
前田病院は院長が外遊中で尾形という方が代理院長だったんです。
その方が手術をしてくれましたのですが、その病院に安田少尉が入院したんですよ。
総理官邸へ侵入した男、それがぼくの上、二階におったらしい。
やがてぼくの入院を知って、ぼくを殺すというんです。
今度は奴が・・・・
これはあとから聞いた話ですよ、
そこで尾形氏は、安田を寝台に縛りつけたらしい、動けないように。
それで、まあそういうことは病院ではなかった。
こっちは私の関係者が見舞にくる。
向うは向うの奴らが来るという状態が続いたんです。
さらに二十九日の朝、
いよいよ討伐攻撃が始まるというので、赤坂も危険地域になり、患者たちに避難命令が出た。
片倉は衛戍病院へ移ることになった。
ところが輸送車に安田少尉と二人だけ乗せる、という病院側の処置だ。
ようやく別々の車で運ばれた。
衛戍病院の病室へ移ったら最初の見舞客が反乱将校の栗原安秀中尉だった。
彼は気づかずに 「 これは失敬 」 と すぐに出ていってしまったという ・・・。
・・・片倉衷・回想録 から
安田 優
安田少尉が入院した経緯
二十六日の払暁、斎藤内大臣を襲撃、殺害。そのあとトラックで杉並の渡辺錠太郎教育総監を襲った。
・・・午前六時半か七時頃です。
都心へ帰ってくると 直ちに陸相官邸へ引揚げましたが、歩けません。
憲兵が世話して玄関の側の室に連れてゆき、看護長か誰かが手当をしてくれました。
これより自動車に乗り 中島が前田外科病院 ( 赤坂伝馬町 ) へ連れて行ってくれ、治療を受け、
昨二十九日午後二時迄入院しておりました。 ・・・憲兵隊訊問調書
・・・リンク→安田優少尉 ・ 行動録 ( 1月18日~2月29日 )
階上に、磯部さんに撃たれたと云う片倉少佐が入院して居り、
看護婦に
『 二階に連れて行って呉れ、あいつをぶっ殺す 』
と せがみ、困らせたこと。
不思議と病院中の看護婦は弟には親切で、
片倉少佐の世話をするのは皆いやだと言っていた
・・・昭和11年7月12日 (十六) 安田優少尉