あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

41 二・二六事件 北・西田裁判記錄 (四・完) 『 第七回公判 』

2016年06月22日 05時42分35秒 | 暗黑裁判・二・二六事件裁判の研究、記錄

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 (一)
松本一郎
一  はじめに
二  二 ・二六事件と北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過の一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審訊問調書   ( 以上三八号 )
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獨協法学第39号 ( 1994 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
松本一郎

五  西田の起訴前の供述
 1  はじめに
 2  警察官聴取書
 3  予審訊問調書
 4  西田の手記( 以上39号 )
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獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )

六  公判状況
 はじめに 
 第一回公判  ( 昭和11年10月1日 )
 第二回公判  ( 昭和11年10月2日 )
 第三回公判  ( 昭和11年10月3日 )
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獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )

 第四回公判  ( 昭和11年10月5日 )
 第五回公判  ( 昭和11年10月6日 )
 第六回公判  ( 昭和11年10月7日 )
 第七回公判  ( 昭和11年10月8日 )
 第八回公判  ( 昭和11年10月9日 )
 第九回公判  ( 昭和11年10月15日 )
 第一〇回公判  ( 昭和11年10月19日 )
 第一一回公判  ( 昭和11年10月20日 )
 第一二回公判  ( 昭和11年10月22日 )
 第一三回公判  ( 昭和12年8月13日 )
 第一四回公判  ( 昭和12年8月14日 )
七  判決
八  むすび  ( 以上本号 )
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7  第七回公判 ( 昭和11年10月8日 )

第七回公判では、主として二月二五日から二七日夕刻までの亀川の行動について訊問が行われた。
以下、要点を抄録するが、若干訊問の順序と前後した個所がある。
(一)  事件を予知した経緯
〇  二月二五日は、朝野うちに鵜澤を訪問し、
  同人が翌二六日午前六時五〇分品川発の汽車で興津の西園寺邸に行くことについて、打ち合わせした。
〇  午後四時頃西田から会いたい旨の電話があり、六時来宅したが、その少し前に村中が突然現れた。
  三人で相澤公判の話などをした上、夕食を共にした。
食事後村中は先に帰った。残った西田に 「 若イ者ハ何ウデスカ 」 と尋ねたところ、
西田から、
「 明二十六日早朝、歩兵第一聯隊、同第三聯隊ガ蹶起シテ重臣ヲ襲撃スルラシイ 」
ということを打ち明けられて、初めて事件が起こることを知った。
そのとき西田から、
「 ヤツタ後ノ工作ヲ宜シク御願ヒシマス 」 と頼まれた。
〇  事後工作の話は、西田から出た。
  西田から、
「 貴方は眞崎大将、山本大将に、自分は小笠原その他海軍方面、
 山口は本庄その他陸軍上層部方面に向かって、それぞれ努力しよう 」
といわれ、これを承諾した。
また、青年将校たちが眞崎 ・柳川を尊敬しているので、事態を彼らのために有利に導き、その精神を生かすために、
眞崎 ・柳川を持ち出そうということになった。

問  彼等ガ蹶起シタ際爾後ノ工作ヲスル爲ニハ、西園寺ヲ殘シテ置ク方ガヨイト云フ事ニ附テ話シタ事ガアルカ
答  左様ナ話ヲ致シタ事ハアリマセヌ。
問  西田ハ其ノ事ニ附、被告人ヨリ話ガアツタト言ツテ居ルデハナイカ
答  「 私ハ二月十日頃 『 非常時ヲ乘切ルニハ西園寺ヲ出サネバナラヌ 』 ト云フ話ヲ西田ニシタ事ガアリマスノデ、
  西田ハ其ノ話ト同月二十六日鵜澤ガ西園寺ノ所ヘ行ツタ事トヲ結附ケテ其ノ様ニ思ツテ居ルノデアリマセウガ、
私ハ今回ノ事件ニ關聯シテ西園寺ノ話ヲシタ事ハアリマセヌ。」
もっとも、憲兵隊ではそのように供述したが、それは質問に対してでたらめに答えたのである。

〇  問  西田ハ被告人ニ對シ、二月二十日頃ヨリ同月二十五日頃迄ノ間ニ襲撃目標其ノ他ノ大體ノ輪郭ヲ知ラシタト言ツテ居ルガ如何
 答  二月二十二日及同月二十五日西田ト話シタ次第ハ、前ニ申上ゲタ通リデアリマス。
  西田ヨリ聞イタ事ハ夫レダケデアリマス。
尤モ其ノ前ニ、山口、西田ナドヨリ、青年將校ノ間ニ不穏ノ空氣ガアル様ニ事ヲ聞イタ事ハアリマス。
問  被告人ハ眞崎ノ意見ヲ聽キニ行ク位ダカラ、其ノ以前ニ情勢ヲ知ツテ居タノデハナイカ
答  私ハ彼等ノ空氣ガ怪シイト思ツタノデ、眞崎大將ハ青年將校ノ信頼ヲ受ケテ居ルカラ脈絡ガアリ、
  實際ノ狀況ヲヨク知ツテ居ルダラウト思ツタカラ行キマシタ。
問  眞崎大將ガ猾わるがしこイト感ジタ譯ハ
  私ガ 『 若イ者ヲ見殺シニシナイ様ニシテ下サイ 』
ト言ヒマシタ処、
眞崎ハ之ニ對スル返事ヲせず、別ニ
『 年寄ヲ誤ラセナイ様、若イ者ニ話シテクレ 』
ト申シタノデアリマスカラ、
心配スルナトカ、ヨシ引受ケタトカ、大キク出テ來ルモノト期待シテ居リマシタシ、
又夫レガ普通デアリマス。
若シ又サウデナケレバ、何カアルノカトカ、斯々ノ事ヲ耳ニシテ居ルトカ言ハルベキ筈ダノニ、
眞崎大将ハ私ノ言葉ニハ全然觸レズ、顧ミテ他ヲ言フト云フ風デアリマシタカラ、
私ハ眞崎大將ハ猾イ人ダト感ジマシタガ、
又、或ハ眞崎ハ實際何モ知ラナイノダラウカト云フ様ナ氣モ致シマシタ。」

〇  問  被告人ハ、今日ノ場合アルヲ豫想シテ、上部工作ノ爲眞崎ノ所ニ行ツタノデハナイカ
 答  其ノ様ナ事ハアリマセヌ。
  眞崎ヲ引掛ケテ見ヤウト思ツテ參リマシタ。

(ニ)  久原への情報提供について
〇  二月二二日頃久原に対して、「 前の大雪のときが危なかった 」 と話したことはない。
  二三日に久原から五百円を貰ったが、
そのとき久原から
「 『 相澤中佐ノ裁判ハ濟ムダカ 』 ト尋ネラレ、
『 未ダ濟マヌガ終リニ近ヅイタラシイノデ、公訴取下ノ爲二、三日中ニ鵜澤ヲ西園寺ノ所ニ遣リタイト思ツテ居ル 』
ト申シマシタ処、『 成功スルカ 』 ト言ヒマスカラ、
『 青年將校ノ空氣ガ不穏デスカラ、公訴取下ノ方ハ成功スルト思フ 』
ト答ヘマシタ。
スルト久原ハ、『 青年將校ハ年中不穏デハナイカ 』 ト言ヒマスカラ、私ハ、
『 今度コソハ笑ヒ事デハアリマセヌ 』 ト申シマシタ。
問  久原ハ被告人ノ其ノ話ニ依ツテ、今回ノ事件ヲ豫知シタカ
答  私ガ左様ニ申シマシテモ、久原ハ依然笑ツテ居リマシタカラ、何ノ程度ニ感ジタノカ、私ニハ判リマセヌ。
  私トシテモ笑ヒ事デハナイト言ヒ、宛モ本當ダト云ハヌ計リノ言葉ヲ使ヒマシタモノノ、
今回ノ様ナ事件ガ必ズ起キルト云フ様ニ考ヘテ左様申シタ譯デモアリマセヌ。」

〇  二五日西田が帰ってから、午後八時頃久原邸に行った。
  久原に西田の話を伝え、
「 本当デセウカ 」 と聞くと、久原は
「 随分大キイ話デハナイカ。其ノ様ナ事ハアルマイ 」 とのことであった。
〇  久原宅に行ったのは、情報提供のためではない。
  「 西田ノ話ガ事實カ何ウカヲ確メ様ト思ヒ、
  久原ノ所ニハ他カラ情報ガ入ツテ居ルカ何ウカヲ尋ネ様ト思ツテ參リマシタ。」
問  久原ヨリ情報ヲ聞イテ何ウスルノカ
答  彼等ガ蹶起スルトノ情報ガ久原ノ所ニデモ入ツテ居レバ、私ハ金ヲ出シテ居ル位デアリマスカラ、
  何トカ防止策ヲ講ジ様ト思ヒマシタ。
問  然シ 被告人ハ既ニ彼等ノ行動資金ヲ提供シテ居ルデナイカ
答  然シ 彼等ニシテモ行動資金ガ手ニ入ツタカラトテ、直グ蹶起スルモノトハ限リマセヌ。
問  若シ事實蹶起スルト云フ事ナラ、如何ニシテ之ヲ防止スル考デアツタカ
答  久原ヨリ聞イテ確実ダト判レバ、直グ眞崎邸ニ飛ムデ行キマス。
問  被告人ノ陳述ガ眞ナリトスレバ、久原ニ確メル迄モナク西田、村中ノ言動ニ依リ危險ト感ジタノダカラ、
  直ニ眞崎邸ニ行クベキデハナカツタカ。
答  村中ハ、『 今晩カラヤル 』 ト言ツタノデアリマスガ、
  私ハ之ヲ資金調達ノ爲ト解シタノデ金ヲ遣リ、日本銀行、三井銀行ノ襲撃ハ喰止メタノデアルガ、
蹶起スルカヲ確メル爲ニ久原方ニ行ツタノデ、
眞崎邸ニ行クヨリモ先ヅ順路トシテ久原ヲ訪問シタノデアリマスガ、
久原ガソムナ事ハナイト言ハレタノデ安心シタノデアリマス。
( 中略 )
問  眞實防止スル考ガアツタナラバ、執ルベキ処置ハ尚アル筈ダト思ハルルガ何ウカ
答  其ノ防止ニ附テノ処置ガ惡カツタト云ハルレバ、夫れ迄デアリマス。
  私トシテハ、行動ト意思ハ一致シテ居リ、又其ノ行動ハ終始一貫シテ居ルト確信シテ居リマス。
其ノ間ニ矛盾ガアリ、又ハ不一致ノ所ガアルト解シ得ラレルカモ知レマセヌガ、
夫レハ致方アリマセヌ。

(三)  相澤の弁護方針について
問  被告人ハ、控訴取下ノ事ヲ眞面目ニ考ヘテ居タト言ヒ、一方證人申請ニ附協議スルナドトハ、
  矛盾シタ行爲デハナイカ。
答  私ガ證人申請ニ頭ヲ突込ムダノハ、事件ニ附眞面目ニヤツテ居ルト云フ事ヲ青年将校ニ示ス目的デアリ、
  一方公訴取下ヲ進メテ行ツタ譯デ、矛盾ハアリマセヌ。
問  公訴取下ヲ進メルナラ、證人申請ハ要ラヌ事デハナイカ
答  私ノ考デハ、二月二十五日ハ證人ヲ申請セズ、翌二十六日公判ヲ休ムデ貰ヒ、
  鵜澤ヲ西園寺ノ所ニ遣ツテ公訴取下ノ事ヲ頼ムデ貰ヒ、二十七日開廷シテ證人ヲ申請シテ置キ、
其ノ後公訴ノ取下アルマデ公判ヲ休ムデ貰ウ心意デアリマシタ。
又、證人ヲ申請スルト、若イ者カラハ私ガ公判ニ力ヲ入レテ居ルト云フ氣持ヲ抱カセ、
上層部ノ人ニハ之ハ大變ダト思ハシメル結果ニナルノデ、
公訴取下ノ方ヲ速ニ進メテクレルデアラウト云フ氣持モアツテ、證人申請ニ附協議シタノデアリマス。
問  其ノ様ナ考ナラバ、尚更満井ト公訴取下ノ事ヲ話シテ置ク必要ガアルデハナイカ
答  私ハ 満井ヤ西田ノ人物ヲ餘リ知ラナカツタ爲ニ、ソムナ事ニナツタト思ヒマス。
  私トシテハ、誠意ヲ以テヤツテ居タノデアリマスガ、未ダ誠意ガ足リナイノカ、失敗ガ多クテ困リマス。
問  被告人ノ云フ通リトシテモ、結局證人申請ハ無意味デハナイカ
答  左様デハアリマセウガ、私トシテハサウスルヨリ外、方法ガナカツタノデアリマス。
問  左様デハナク、深謀遠慮ガアツタノデハナイカ
答  サウデハアリマセヌ。
問  被告人ノヤリ方ハ、一方ニ於テ火災ヲ起ス事ニ奔走シ、
  他方ニ於テ其ノ消火ニ奔走シタ様ナ形ニナツテ居ルト思フガ何ウカ
答  證人申請ハ火事デモナシ、青年將校ノ気持ヲ和ギ抑ヘルニ役立ツモノデアリマス。
 ( 後略 )

(四)  村中への資金供与について
〇  夕食を終わり、村中が先に帰ることになった。
  ところが、玄関で、「 オ腹ガ空イテ仕事ガ出來ヌ 」 とか、
「 日本銀行 ・三井銀行ヲ襲撃シテ取ル 」 などという西田と村中の話が耳に入ったので、
驚いて二人を応接間に連れ戻した。
私は軽挙を戒め、村中に現金二、〇〇〇円を差し出した。
村中は固辞したが、西田の取リナシデ、結局一、五〇〇円を受け取って帰って行った。
このとき二人に、「 此金ハ諸所方々カラ苦労シテ集メタ金ダ 」 と言ったが、
真実は借金払いと家の引っ越しに当てるために、久原から貰った金である。
〇  当日、村中が 「 今晩カラ何カヤリマス 」 と言っていたのは、不穏行動の準備工作にかかるのかと思った。
  私は、かねて山口から村中 ・磯部の救済方を林大将に頼んでくれと依頼されていたので、
これはいよいよこの二人が生活に窮したのかと考えた。
しかし、まさか今度のような大きなことを起こすとは、夢にも思わなかった。
事件のことは、村中が帰った後で、西田から初めて聞いたのである。
〇  問  右ノ金ハ、彼等ノ蹶起資金トシテ交附シタノカ
 答  左様デハアリマセヌ。
  アレダケノ大キイ事ヲヤルノニ、最初カラ資金ノ事ヲ考ヘズシテ着手スル様ナ事ハアリ得ナイ事デアリ、
隊カラ給与シテ貰ヘルナドトノ亂暴ナ事ハ考ヘラレヌト思ヒマスノデ、
彼等ハ既ニ資金ノ準備ハ考ヘテ居ルモノト思ヒマシタ。
又、資金ニ附テハ、蹶起スベキ彼等ニ於テ考ヘルベキコトデ、私ノ關係スベキ所デアリマセヌ。
從テ 蹶起資金トシテ渡シタノデハアリマセヌ。
問  スルト何ノ爲ニ渡シタカ
答  日本銀行ヤ三井銀行ヲ襲撃シテ取ルト言ヒマスカラ、之ハ大變ダト思ツテ渡シマシタ。
問  實際ハ左様デハナク、彼等ガ蹶起資金ヲ要スルコトヲ察シ、其ノ資金トシテ渡シタノデハナイカ
答  蹶起資金ト申スト、聊いささカ語弊ガアル様ニ思ハレマス。
  事實ヲ申上ゲマスト、彼等ガ蹶起スルニ附相當ノ資金ヲ要スルコトハ、
五 ・一五事件其ノ他從來ノ色々ノ事件ノ例ニ見テモ明カナ事デアツテ、
私モ夫レハ承知シテ居リマシタノデ、蹶起資金ト云フ迄ノ意味ハナク、
單ニ蹶起ノ前後ニ於テ彼等ガ色々行動スル上ニ必要ナル金ト云フ事ヲ認識シテ、
其ノ金トシテ渡シタノデアリマシテ、謂ハバ行動資金トデモ申スベキモノデアリマス。
〇  村中が帰った後、西田にも一〇〇円渡したが、これは一旦出した五〇〇円が西田の前にあったので、
引き込めるのは気まずいと思って渡したのであって、特別の意味はない。

(五)  二月二十六日の亀川の行動
〇  午前三時起床、タクシーを呼び、四時半頃眞崎宅を訪れる。
  早朝に訪問したのは、偉い人に会うには寝込みを襲うに限るからであり、
訪問の主目的は、公訴取下につき眞崎の諒解を得ることにあったが、
あるいは眞崎によって、彼らの蹶起を防止できるかもしれぬという気持ちもあった。
公訴取下の話をした後、
今朝歩一、歩三が重臣を襲撃するとのことであると告げると、眞崎は誰から聞いたかと尋ねた。
西田の名前を出したところ、眞崎は
「 何ダ、浪人者ノ大言壯語カ。軍隊ノ事情ヲ知ラヌカラ担ガレタノダ 」 と言った。
問  眞崎ハ被告人ガ訪問シテ最初泣イテ居タカラ落ツケト言ツタト申シテ居ルガ何ウカ
答  私ハ訪問シテ直グ泣イタノデナク、
  『 此儘で進メバ源平時代ノ様ニナリ困ル 』 ト云フ様ナ事ヲ申シタ時泣イタノデアリマス。
問  青年將校ヲ助ケテ下サイト言ツタ事ハ、青年將校ノ立場ヲ有利ナラシムル目的デ言ツタカ
答  私ハ眞崎ニ、青年將校ヲ助ケテ下サイト申シタ事ハアリマセヌ。

〇  私は、眞崎邸から鵜澤邸に廻り、眞崎との話の模様を報告した。
  帰途高橋蔵相宅前で武装した兵隊を見、また稲荷前通り附近から交通止めになっていたので、
事件の勃発を確信した。
帰宅して興津行きを中止するように鵜澤に電話したが、すでに家を出た後であったので、
品川駅まで出かけて鵜澤を止めようとした。
しかし、鵜澤はこれを振り切って出発した。
私としては、西園寺も当然襲撃されると思ったので、
その生死不明のときにわざわざ行くことはないと考えたのである。
私は鵜澤に、もし西園寺に会ったら、このようなときは、
第一に元老中心内閣、第二に軍部中心内閣でなければならぬと話してほしいと頼んだ。
〇  午前七時頃久原邸に行った。
  久原は、「 全ク無茶ダ、君知ラナカツタノカ 」 と喧嘩腰で言った。
私は、「 夫レナラ昨晩貴方ニ御話シタデハナイカ。其ノ時貴方ハ冷笑サレタデハナイデスカ 」 と答えた。
久原は 「 亂暴ダ。軍ノ首脳部ハ何ヲシテ居ルノダ 」 と言い、ブリブリ怒っていた。
それから眞崎邸に行ったが不在だったので、午前八時半頃帰宅した。
〇  午後二時頃西田から電話があった。
  二時過ぎに久原邸に行き、久原と後継内閣について話した。
私は、「 青年将校は眞崎内閣を希望しているが、それが駄目なら元老内閣もよいだろう、
又、軍事参議官の筆頭である山本英輔海軍大将の軍部内閣もよいではないか 」 と話した。
久原は、それも面白かろうと言っていた。
三時頃海軍省に電話して、山本大将に事態の収拾方をお願いした。
夜、三度久原方に行った。
久原は、
「 軍部で重要な椅子を占め、政友会は三名、例えば島田俊雄、堀切善兵衛、前田米蔵とする。
民政党にも三つの椅子を振り当てるが、空席にして置き、解党を条件としたらどうか。
政友会は自分が解答させた上、一国一党を導き、挙国一致の強力内閣を作るようにしよう 」
と語っていた。
午後一〇時頃海軍省に山本大将を訪問し、大命が降下したらこれを引き受け、組閣をして下さいと懇請した。

(六)  帝国ホテルでの会談について
〇  二月二十七日午前三時頃満井中佐から電話があった。
  帝国ホテルに石原、橋本らといるから、来てほしいというのである。
午前四時頃行ってみると、橋本、満井のほかに、少佐一名、大尉二名と小林長次郎がいた。
石原は私と入れ違いに帰って行った。
満井は私に、
「 後継内閣について話し合った。
 石原は皇族内閣説、橋本は建川説、蹶起将校は眞崎説を主張した。
しかし、幕僚の間から海軍の山本内閣説が出て、結局これに一致し、参謀総長を経て上奏することになった 」
と説明した。これに対して私は、
「 本末を顚倒してはいかぬ。先ず蹶起部隊を撤退させることが先決問題だ 」
と大声で言った。

〇  やがて満井が村中を連れて来たので、私は言葉を尽くして部隊の引上げを説得した。
  村中は、同志にも謀らねばならぬし、西田の意見も聞いてみなければならぬというので、
私は、「 西田の方は私が引き受ける 」 と言った。
最終的には村中が引上げることを承諾したので、私は、
「 一生一代ノ判斷ガ順調ニ運ムダノデ非常ニ嬉シクナツタノデ 」、直ぐに久原に
「 萬事圓満ニ解決シタカラ喜ンデ下サイ 」 と電話した。

〇  帰途眞崎邸に寄ったが不在のため、奥様に円満解決した旨の伝言を頼み、
  海軍省に山本大将を訪ねて状況を報告した。
午前七時頃帰宅したところ、
西田から会いたいという電話があったので、北の家に行った。
「 私ハ、帝國ホテルニ於ケル話ヲ何ウ云フ風ニ話サウカト考ヘタ末、
 世間話ノ様ニ、
『 皇族内閣説ヤ建川内閣説ガアル様デス 』 ト申シマシタ処、西田ハ
『 相變ラズノ連中ガヤツテ居ルノデスネ 』 ト言ヒマスカラ、私ハ
『 幕僚邊リデハ、山本大將ノ内閣説ニ意見ガ進ムデ居ルラシイ 』 ト申シマスト、
『 夫レハ誰ノ意見カ 』 ト聞キマスカラ、
『 石原大佐ヤ橋本大佐ノ意見ダ 』 ト申シマシタ処、
西田ハ奮然トシテ、
『 夫レハ無茶ダ。纏メ様ト云フノデナク、打壊シ策ダ。
 彼等ノ主張シテ居ル眞崎内閣説ヲ曲ゲル事ニモナルシ、
陸軍ノヤツテ居ル事ニ海軍ガ乗出スナドト云フ話ガアルカ 』
ト云ヒマスカラ、私ハ
『 唯サウ云フ話ガ出タト云フダケデ、未ダ決定シタ譯デハナイノダ 』
ト言葉ヲ濁シテ置イテ歸リマシタ。」

問  何故帝國ホテルニ於テ村中ト約束シタ事ヲ、西田ニ話サナカツタカ
答  私ハ其ノ事ヲ西田ニ話サウ、又話サネバナラヌト思ツテ出タノデアリマスガ、
  村中ニ部隊ヲ引上ゲサセル事ニシタト云フ事ヲ話シテモ、
西田ハ承知シテクレヌカモ知レヌト思ヒ、
西田ニ話ス勇氣出ナカツタノデ、遂ニ其ノ話ニ触レズニ歸リマシタ。
夫レト申スノモ、私ハ西田ハ事前ニ彼等ヲ抑ヘタルニ
彼等ハ夫レヲ肯入レズシテ蹶起シタノダカラ勝手ニシロ、俺ハ知ラヌト云フ様ナ氣持ガアリナガラ、
一方ニ於テハ友情トシテ、
彼等ガ蹶起シタ以上其ノ目的ヲ貫徹サセテ遣リタイトノ気持モアリ、
此二ツノ気持ノ板挟ミニナツテ苦悶して居ルモノト想像シテ居リマシタノデ、
部隊ノ引上ト云フ様ナ彼等ニ不利益ナ事ヲ相談シテモ、
西田ガ肯入レテクレヌカモ知レヌト思ツタノデアリマス。

問  西田ハ、事態ガ速ニ収拾サレルコトヲ望ムデ居ツタノデハナイカ
答  左様デハアリマスガ、
  夫レハ彼等ニ有利ニナツテ事態ガ収拾サレル事ヲ望ムデ居タモノト思ヒマス。
彼等ヲ引上ゲサセル事ハ彼等ノ爲ニ有利デナク、不利ニ陥レルモノデアリマスカラ、
西田ノ反對ヲ虞て言出シ得マセヌデシタ。

問  撤退スル方ガ却テ彼等ノ爲ニ不利ダト認メテ、村中ニ撤退ヲ勧告シタノデナイカ
答  引上ゲサセル事ハ勢力ヲ剥グ事ニナリ、不利ニナルノハ當然デアリマス。
  私モ彼等ノ有利ナラシムル爲ニ引上ゲサセ様トシタノデアリマセヌガ、
不利ニナルナドト言ヘバ引上ヲ承諾スル筈ガアリマセヌカラ、
言葉ノ上デハ、引上ガ彼等ノ爲ニ有利である様ニ申シタノデアリマス。