6月の声を聞けば梅雨を心配するところです。しかし6月1日から3日間、その雨模様の不安定な中を藩都山口から始まり、防府(三田尻)、光(室積)、柳井、岩国、広島という長州藩の歴史跡を巡ってきました。とくに瀬戸内沿岸は長州藩の幕末の開作地が広がり、窮乏する藩財政を何とか持ちこたえさせた交易港や塩田地であっただけに、興味の尽きない旅となりました。
それはともあれ、とくに山口で感動した二つのことをここでは触れておきたいものです。一つは藩の検地の際に作られた土地台帳の現物に遭遇したことです。もう一つはこの古都で群舞するホタルに包まれたことです。
一つ目の感動の土地台帳は、長州藩の宝暦の改革で作成された、他藩に類をみない小村帳、小村地図という精緻な書類で、長州藩に4万石の増収をもたらしたといわれるものです。往時としては格段に高い行政水準を示すもので、長州藩の家老村田清風を研究していて、どうしても実物をみたいと考えていたシロモノでした。それだけに山口県庁の展示館での予期せぬ遭遇に大いに感動し、またその感動ぶりに自分も研究者の端くれになったものと少々感慨にふけることができたのです。
二つ目の感動のホタルは、市の中央を流れる一の坂川での夜の出来事でした。この一の坂川は、かつて大内広世が室町の初期に山口を西の京とすることを目して、賀茂川に似せて作ったものです。そのほとりには整然と桜が植えられ、清流が走る構造を活用して、戦後市民が源氏ホタルの育成を図り始めたのです。はたして今日、この川はわずか10日の命しかないホタルの優美な舞を思い切り味わう舞台として、まちを挙げて演出されているのです。しかし、蛍をみることなく過ごしたここ20年近い月日が憎まれるほど、その舞いの幻想性には息をのみました。
犬も歩けば棒にあたる。場違いながら、こんな言葉をふと口にしたくなるような、そんな興奮を覚えながら、小村帳と源氏ホタルに見入って過ごした山口の旅であったのです。
それにしても、現場を見る、現地を見るとの作業というものが、どんなに想像力を高め、他方で思考の曖昧さを収束させてくれるものかと、思い至らない訳にはいきません。空想していただけの北前船のにぎわいを室積で、塩田の活気を三田尻で、毛利家の威光を防府のまちで、それぞれくっきりと整理させられたというものです。
旅は、万の書籍にも勝るといってよいかも知れません。