写真:「軍艦島の全貌」 本人撮影
長崎半島の西の海に浮かぶ端島(はしま)は、周囲1200mという小さな島です。明治20年代から経営権を持った三菱が、海底炭鉱の本格的な操業を行いはじめ、最盛期には5600人もの人々が暮らす炭鉱のまちとなりました。
日本初の鉄筋コンクリートの10階近いアパートが建ち、塀が島全体を囲い、またその外観が軍艦「土佐」に似ていることから、「軍艦島」と呼ばれるようになったと伝えられます。
しかしエネルギー需要が石炭から石油に代わったことで、昭和40年代に閉山となり、その後久しく無人島になっていたのです。しかし昨今、この島は大きな注目を浴びるようになりました。近代産業遺産としての観光資源として、一気に人々を寄せ付けるようになったからです。
九州で学会の開かれたことを機に、学生の頃から一度は訪れたいと思っていたこの島を、幸いにも訪問する機会を得ました。焼けただれるような灼熱のコンクリートの上で、想像した通りわが国の100年の凝縮された産業史を見せつけられ、圧倒された感がありました。
しかしそれ以上に心をよぎったのは、この島を離れた数千の人たちのその後の生活です。全国に散らばっていったという島民たちの苦渋を、この島の殺伐とした風景は示して余りありました。
そして思ったのです。この歴史の中に潰えて行ったこの島の姿は、もう一つの戦争の廃墟そのものではなかったろうかと。思わず合掌する気持ちになったのは不思議なものです。