嶋津隆文オフィシャルブログ

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ミッキー安川、芸者の喜春姐さん、荻野目慶子

2010年01月25日 | Weblog

写真:「女優・荻野目慶子さん」

ミッキー安川さんが亡くなりました。あの濃いキャラも、居なくなると何とも寂しいものです。ただ彼に関連して、こんな出来事を思い出しています。

もう何年前になるでしょうか、「ミッキー安川の朝までドン!」というラジオ番組にゲストとして出演したことがあります。徹夜番組で、何のテーマか殆ど覚えていませんが、司会をする彼の、アシスタントたちへの厳しい指導が印象に残っています。

放送中の深夜2時頃に一本の電話が入りました。「さあ今日も、江戸っ子芸者喜春さんのニューヨーク便りのコーナーです」。思わず目が覚めました。喜春さん? ニューヨークの?「うわ、すごい偶然。ミッキーさん、僕に代わって下さい」。それからはリスナーなど無視し、10年ぶりの二人の懐かしい会話世界に入ってしまったものでした。

江戸っ子芸者と当地でも呼ばれていた中村喜春さんは、日本髪を結い、5番街を日傘をさして闊歩する人でした。その姿に多くのニューヨーカーは振り返ったものです。新橋の芸者で、インド大使をしていた外交官と結婚するものの離婚。米国に逃げるように渡るのですが、英語が達者なこともあって、ニューヨークオペラの蝶々夫人などの着付け等に関与し、当地の人気者となっていました。

そんな彼女と親しくなったのは、1990年に東京都駐在代表していたある日、NY市役所の私のオフィスに突然に来られてからのことです。波長が合い、それから頻繁に食事もするようになりました。ある時誘われてレストランに行くと、もう一人若い女性が連れ立っていました。ジーパンをはき、顔色が悪く、食事中も殆ど話に入ることはありませんでした。「どなた?」。「この子はね、私の所に暫く居るの。仲よくしてね」。「はい、任せて下さいな」。

後で荻野目慶子さんと知りました。喜春さんの半生を描いた「江戸っ子芸者一代記」の新橋演舞場での主演者でした。が、愛人の映画監督が彼女の自宅で自殺した直後でした。日本のマスコミから逃避し、喜春さんのアパートに転がり込んでいたのです。

ああ、ニューヨークという街はアジール(避難場所)なんだ。大都会のこの街は、日本人にとっても、たぶん世界の人々にとっても、人間の喜怒哀楽を包み込むアジ―ル何だと、そんなことに感心したことを覚えています。

しかしその後、荻野目さんと会うことはありませんでした。喜春さんも数年前、ニューヨークのアパートでひっそりと亡くなりました。荻野目さんも、愛人との関係を自伝「女優の夜」として発表するほど落ち着いたと知りました。時がたつというのは寂しいものです。しかし時にはそれが良いこともあるようです。

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