「ふるさと渥美に舞うホタル」 撮影:mahiroo
郷土の渥美半島の大先輩、山本雄二郎高千穂大教授が逝って、半年が過ぎようとしています。この週末に帰省した折、先輩の眠る潮音寺のお墓にお参りしました。
このブログでも、数回紹介してきた先輩です。渥美半島の福江町に生まれ、早大法科に入学を機に上京。卒業後は産経新聞の政治部記者として活躍し、弱冠36歳にして交通担当の論説委員になります。
50代で高千穂大学教授となるものの、あの流血の惨事を繰り返した成田空港問題には国からの依頼もあり、一貫して関与を続けました。1994年から14年間、「成田空港地域共生委員会」の代表になり、地元に足しげく通い、反対派農民からももっとも慕われる人となりました。
そうした山本先生の努力が実を結び、国は強制的な空港建設を詫び、反対派の多くが運動から身を引くことになったことは、多くの人が知るところです。誕生日が奇しくも同じ7月13日と言うこともあってか、私には常に温かい言葉をかけていてくれました。
その先輩が逝って、遺骨はふるさとへ帰ってきました。その社会に尽くした姿勢と温厚な人柄を見てきた郷土の菩提寺の住職は、こう戒名を付したのです。
「大空院慈眼雄峰清居士」
大いに納得するというものです。「大空」は成田空港と日本の空にかけた労苦と夢を表わし、「慈眼」は柔らかくて小さい瞳を表現しています。そして「雄峰」は雄二郎の一文字と志の高さを伝えているのです。
先輩の眠るお寺の近くに、きれいな小川が流れています。今そこには写真に載せたようにホタルが優しい光跡を残しながら飛びまわっているのです。そのホタルを雄二郎先輩は、いつもの細い眼で空から優しく眺めているに違いないのです。