滝田ゆう(昭和6年~平成2年)は、昭和43年から『ガロ』に『寺島町奇譚』を連載し人気を博します。綿密な作画で作者の内面を表現し、私小説ならぬ私漫画ともいわれる一方、坊主刈りに着流しの下駄履き姿が親しまれました。
44歳の時に国立市に転居、終の棲家に。そこで先日、「国立のまち歴史物語」取材にかこつけ、滝田ゆう宅の朝子夫人を訪問。くったくのない夫人の談はまことに痛快というものでした。「滝田はこのちゃぶ台に丸くなって筆を走らせていたんですよ」という、まさにその仏壇の前のちゃぶ台を囲んでのインタビューでした。例えばこんなエピソードに耳を大きくしたものです。
「滝田が普通の漫画と違って作風というか今の書き方に変えたのは、売れなかったからですよ。つげ義春さんの影響はうけましたね」。
「(滝田の)風貌は、目鼻を一つ一つ見るといい仕上がりではないですが(笑)、でも全体はほんのりとした優しいお父さん」。
「葬儀屋さんのテレビCMにもでていましたがお墓は苦手でしたね。水木しげるさんの家などにお邪魔したときなど、あの妖怪の話は怖い、怖いと言っていました」。
山口瞳や嵐山光三郎らとの交流も長く、地元でしばしば一緒に絵画展も催す。「滝田ゆうを除いては国立はない。そう思います」。こう笑顔で言い切っていた朝子夫人の言葉には、亡き夫と国立の町への愛着が滲んでました。