今日は閑話休題です。
半年ほどまえ有楽町で人を待っていると、前をドナルド・キーン名誉教授(コロンビア大学)が通り過ぎていきました。「あっ、先生」と声を掛けたものの、雑踏の中に足早に消えてしまいました。以前から仕事を通じ存じていましたが、何よりも故郷の偉人『渡辺崋山』(新潮社)を最近執筆したことを知らされていただけに、思わず声をかけた次第です。
渥美半島の田原藩家老の家に生まれた渡辺崋山。しかし家計はきわめて貧しく、弟たちを寺男や女中に出す一方、主君を思い日本の未来を案じて開国を唱え、やがて蛮社の獄で命を絶ちました。一方で画家としての有能さを発揮し、とくに国宝となっている「鷹見泉石像」など人物像に多くの逸品を残したことで有名です。
それだけに郷土田原(渥美)では偉人と称せられ、ふるさとの小学校の学芸会では「崋山劇」なるものが毎年6年生によって演じられました。弟を遠くの寺に出す雪の日に、崋山が板橋まで送って分かれる涙の舞台「板橋の別れ」です。一節を載せてみましょう。
ああ懐かしき弟よ 歳まだ幼き身ながらに
親を離れて今日限り 人の情けにはぐれ鳥♪
別れ行く このひと時を板橋や 情け容赦も 粉雪の
風に狂いて ひひ留まり 音に響きて 頬を打つ♪
こう唄い出してから、その後は敢然として意を決して生き、そして死んでいった崋山の生涯を紹介し、最後に次の歌詞で締めくくるというミュージカルなのです。
是にや誓いし 言の葉は あずさの弓の射る的に 違わず 国に身をささげ
人の鑑(かがみ)と後の世に 偉人崋山と唄われぬ 偉人崋山と唄われぬ♪
何と小学生で暗誦し、50年たってもその歌詞が記憶に残っているのですから、崋山は私にとっては細胞の中にしみこんでいる存在と言ってよいのです。そしてこの渡辺崋山を、大作『明治天皇』(角川書店)を執筆後のドナルド・キーン教授が着眼し、先般上梓されたのです。開国を叫んで弾圧された崋山を、米国人が150年たって内外に知らしめようとするのですから胸踊るというものです。
それにしてもそのことが我がことのように喜べる自分に戸惑わないわけにはいきません。思うに人というのは、加齢とともに確実に過去への関心が確実に高まるようです。しかもその過去は、地縁と地縁の二つのえにしを追いながらの探究の対象となるものと思われます。自分の過去を、祖先や日本といった血の筋とともに、ふるさとと言う地の縁で見極めたいという欲求。それは知的な欲望と言うより、血(地)をつなぐと言う意味でむしろ性的な欲望に近いものかも知れません。
ドナルド・キーン教授との有楽町での偶然の触れあいは、おりしも私自身の体内に生じてきた祖先帰りの欲望が沸き始めた時に符合するだけに、不思議な力を与えられたような気になっているのです。還暦とはこういうものかも知れません。祖先や故郷の足跡を追うべき時期に来たとの、劇的な予兆ではないかと思えてくるのです。
そういえばこの一年取り組んできた長州藩の村田清風ら、幕末の経世家たちを扱った書の出版(『歴史に学ぶ地域再生』(吉備人出版))がこの8月と決まりました。こんなことも弾みとなって、幕末からの我が家と我がふるさと田原(渥美)の歴史をたどる作業を改めて決意する、齢60を越えたこのごろなのです。