イスマイル・カダレ、『死者の軍隊の将軍』

 とりわけ読み始めてしばらくは、手元の頁を繰っても繰っても、沈鬱かつ変化の乏しい色合い(ほぼ茶色か…)の情景が、ただただどこまでも続くばかりなのである。 土と泥と雨と、土と泥と雨と、霧に包まれた地平線と、報われることの少ない単純作業の暗さと言ったらもう…。
 それなのに、にも関わらず。 いつのまにやらとても強い吸引力を受けて、圧倒されていた作品である。 設定もテーマも途轍もなく重い…と思うのだが、それでいて読み手側に負荷をかけて来ない不思議な渇き具合をそなえた作風には、大変惹かれた。   

 いつも楽しみにしている「東欧の想像力」シリーズの5冊目。
『死者の軍隊の将軍』、イスマイル・カダレを読みました。    

 物語の舞台となっているのは、イタリア(らしい、明記はされていない)の戦没兵が数多く葬られているアルバニアの山野である。 第二次世界大戦から20年を経て、かの地で斃れた兵士たちの遺体を回収しその遺族の元へと届けんが為、遺骨の発掘作業という特殊な任務に就いた将軍、そして司祭が、かの地で見たものとは――。 
 ひたすら任務を遂行する将軍の視点を中心に据えた主筋に対し、ときおり唐突に差し挟まれるのが、戦没者がつけていた日記からの抜粋であったり、誰とも知れない死者の記憶によって語られるエピソードの断片や、アルバニア側の遺族の恨みの声による独白…であったりする。 そしてそのことによって更にじわりじわりと、作品全体の深みと凄味とがいや増してくるのだ。 …いささか、ぞくりとするほど。   

 じめじめと天候不順な風土の異郷にて、来る日も来る日も続く発掘作業、掘り返されていく地面の湿った土くれ、泥土、そしてまた土、土、土…。 そんなもどかしい日々の成果と言えばただ一つ、土中での静かな眠りから引っ張り出された、無言のままに青いナイロン製の袋に収められていく、遺骨、そしてまた遺骨なのだ。 偉大な文明国を代表するつもりで、神聖な任務に心酔していた将軍の志と誇りとが、遂には足元からくずおれていったからと言って、誰に責められよう? そもそもの始まりにあったものが、所詮は欺瞞にしか過ぎなかったのだとしても…。  
 タイトルの意味合いが徐々にわかってくるにつれ、将軍にとってのこの戦い――目に見えない死者が己の背後に連なっていくような――の過酷さと孤独が際立ってくる。  

 一読したところでは、「東欧の想像力」シリーズの作品の中では最も幻想性が少ないようにも思えたのだが、ちょっと離れて話全体を眺めてみようとすると、まるで悪夢のように輪郭自体がぐんにゃりと歪んでいるかのようにも感じられてくる。 少しずつ少しずつ物語だけが浮き上がって、史実からは乖離しながら普遍的な広がりを見せてくれる展開が見事だった。
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