ミロラド・パヴィチ、『風の裏側 ― ヘーローとレアンドロスの物語』

 はあ…。 と、思わず溜め息がこぼれる。 
 とりあえず読み終えて本を閉じて、でもまたすぐに何度でも開いてしまう(ひっくり返しながら)。 あの場面この場面を反芻してぐるぐると思い巡らせてみたりして、またまた溜め息がこぼれるのであった。 周到なからくりと驚きとをその懐に秘めた、とても不思議な小説だった。  

 砂時計に閉じ込められた乾いた砂がさらさらさら…と、未来から過去へとこぼれ落ちていく要の場所。 あの、砂時計の真ん中の、未来と過去とを厳然と分かつくびれた部分に名前はないのかな…? その、くびれの部分にもあたる水色のページをぼんやり見つめつつ、余韻に浸りつつ、そんなことをふと考えたりもした。
 恋人たちを隔てる、綺麗な水色。

 東欧の想像力シリーズで知ったセルビアの作家。
『風の裏側 ― ヘーローとレアンドロスの物語』、ミロラド・パヴィチを読みました。
 

 この本に、裏表紙はない。  
 片側の物語を読み終えたならば(どちらから読んでも良いのです)、そのまま逆さまにくるりと本をひっくり返す。 この作品を読み通すためには、そんな動作が必要になる。 …ということから、砂時計や水時計に例えられることもあるようです(作者自身“水時計小説”と呼んでいたそうです)。
 古代ギリシャの悲恋物語をもとに、ドナウ川とサヴァ川が合流する古都ベオグラードを舞台に繰り広げられる、現代に生きる女子大生のヘーローと、17世紀に生きた石工レアンドロスの物語とが、時空を超えて呼応する。 まるでそう、互いが互いのいる“風の裏側”を探し求めずにはいられないかのように…。 けれども本人たちは、それと知らぬままに。    

 こちら側にヘーローがいるならレアンドロスはあちら側、あちら側にヘーローがいるならレアンドロスはこちら側。 どこまでも背中合わせな二つの物語は、いつかは本当に、巡り合うことが出来るのだろうか――と、その切なさに胸がしめつけられる。 そんな、とてもロマンティックなはずの設定なのに、どこまでもカラリと乾いた風だけが吹き抜けていく。 悲恋物語が下敷きになっているとは言え、何故か読み心地は何となしに爽やかですらある。 そうまさに、だから“風の裏側”の物語。  

 「一回半読むのが好ましい」とは、この作品についての作者からのアドバイスであるそうだが、一読して最初の物語に舞い戻らずにいられるような読み手が果たしているのだろうか…? 二つの物語が呼応し合うシグナルは、ただ一読しただけではそうそう読み取りきれるはずもなく、もう一度最初の物語に目を通した時にあらためて、「こんな場所で呼び交わし合っていたのか…」と、哀しくも愛おしい気持ちにさせられるのだから。 

 思わず笑みがこぼれてしまう、独特な魅力を持つ言い回しが楽しかった。 そしてまた、其処彼処に散りばめられた作者自身の思いが滲み出ているような素敵な言葉たちが、暗い海を渡る恋人たちの先行きを仄かに照らす道標のようにキラキラと光って見えてくるのだ。  
 〈死〉だけが取り持つ二人の邂逅は、一瞬のすれ違いなのかも知れないし、いつかは永遠に結ばれ合うのかも知れない。 それをどうとらえるかということも、私自身の心持ちにゆだねられているような気がした。



 個人的に気になったことを一つ挙げるとしたら、繰り返し出てくる“4”と言う数字へのこだわり(そこに何かが足りない状態を示す場合の“3”もよく出てくる)。 4番目の椅子、四色に塗り分けられた左手の爪、四重奏、四人組の商人、宇宙は四つの町…? 四つの印章の話も興味深い。 
 ヘーローの兄マナシアが言うには、偶数は死者の数字ということにもなる。 ヘーローとレアンドロスに、マナシアとデスピーナが加わると四人になる。 マナシアはレアンドロスの、そしてデスピーナはヘーローの、反対側の世界へ投影された不完全な姿(まるで鏡の影みたく)、のようにも感じた。

風には表と裏があってな、雨の中を吹きぬけても風には乾いたままの部分がある。 それを風の裏側という。 「レアンドロス」 P.14

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