リチャード・パワーズ、『舞踏会へ向かう三人の農夫』

 私もまた、この写真に足を止めてしまった一人ではあるのか。
 『舞踏会へ向かう三人の農夫』、リチャード・パワーズを読みました。

 みっちりぎっしり何だか色々詰まっていたなぁ…というのが、素直な読後の一言だった。二十世紀というテーマの元、何処までも押し広がっていく思索についていくのは大変だったけれど、重厚な読み応えであった。

 ぬかるんだ畦道を行く正装姿の男が三人。先を歩く二人は若者と呼んで差支えないようだが、少し遅れて歩く一人は年齢不詳である。前者二人の様子はちょっと気取っているようにも見え、後者はもっさりした感じ。そんな一枚の写真の中に、可逆性を持たない時間が一瞬掬いあげられ、その結果、レンズの向う側で足を止めた彼らの目に見えていたもの全てが失われた今でさえ、その眼差しだけが永遠に刺し止められている…。
 偶然目にした一枚の写真の、そこに捉えられた何かが気になって仕方がない。まるでとり憑かれたように。そんな不可解な感覚に、何故かふと身に覚えがあるような気がした。…とは言え、三つの物語が並行して語られていくこの作品は、読みやすくはなかった。物語の繋がりが易々とは見えてこなかった所為かも知れない。

 三つの物語の共通点は、1914年にドイツの写真家によって撮られた写真の存在を据えていること。件の写真にとり憑かれた“私”の、外堀を埋めていくようで実はどんどん拡がっていく探求と思索。真相に近付く為の鍵を握っていた、思いがけない人物との交流。戦場と言う名の“舞踏会”へと向かわされていく三人の男たちの軌跡と末裔。そして、1984年のボストンで業界誌記者の仕事に携わるピーター・メイズが、パレードで見かけた謎の赤毛の女を追い求めることから思いがけない方向へと話が転がっていく物語。

 一枚の写真が幾重にも重なり、一枚ではなくなっていく過程に息を呑んだ。そしてその流れが様々な事柄を押し包みながらの濁流となり、二十世紀の俯瞰へと繋がっていく。

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