皆川博子さん、『ゆめこ縮緬』

 再々読。
 …なのであるが、陶酔の感覚はあまりにも甘美であった。 嫋々として尽きない余韻が胸の中にこごって、どきどきと疼く(疼くよう…)。

 昔、一目で惚れてしまった装丁。 奥付きを確かめると、1998年の発行とある。 それからずーっと時を経て、皆川さんご自身思い入れのある表紙であったことを知り、ますますおとっときの一冊となった。
『ゆめこ縮緬』、皆川博子を読みました。
「BOOK」データベースより
〔 蛇屋に里子に出された少女の幼い頃の記憶は、すべて幻だったのか、物語と夢の記憶のはざまにたゆたう表題作「ゆめこ縮緬」。 挿絵画家と軍人の若い妻の戯れを濃密なイメージで描き出す「青火童女」。 惚れた男を慕って女の黒髪がまとわりつく、生者と死者の怪しの恋を綴る「文月の使者」他、大正から昭和初期を舞台に、官能と禁忌の中に咲く、美しくて怖い物語八編。 〕

 時々出てくる“廂間(ひあわい)”という言葉が、それぞれの物語が属する常ならぬ場所を象徴しているようで、とても印象的だった。 もしかしたらこの此岸と彼岸の間にも、廂間のような場所があるのかも知れない。 明るい陽などの射すこと要らぬ、心の隅々まで健やかな人々には足を踏み入れることはおろか、その眸に映ることさえ決してない、そんな、あやかしと死の気配に満ちた小昏い場所。 此岸でもなく彼岸でもない、そのあわい。 そう例えば、ここに出てくる中洲のような。 
 だから中洲に呼び寄せられる人たちは、うつつに身を置いていても何処か影が薄い。 中洲に捕りこまれて出られなくなる男も、一度は中洲を離れてまた戻っていく女も。 男橋を渡って、女橋を渡って、うつつへは二度と帰れなくなる彼ら。

 特筆したくなるのはやはり、一話目に収められている「文月の使者」であろうか。 この作品、冒頭の一句からぞくぞくと震えが走り、そのまま震えっぱなしとなるほど私は好きである。 まず、文章に痺れる。 ねぶねぶとしゃぶりたくなる文章だ。 選び抜かれた言葉たちが紡がれていく、その独特なリズムにも痺れてしまう。 ざわざわと不穏な気配を孕んだ地の文と、小気味よい会話の部分との絶妙なバランスは秀逸であるし、短い作品であるのに出てくる人物たちもことごとく味がある――魅力的だ。 そして何と言っても、死とあやかしと狂気と情念とが、この物語の中では何とも軽妙で粋な描き方をされているのが素晴らしい。 じめじめとした湿気たっぷりな場面から始まるのに、ラストは意外にもカラリンと乾いているのだ。
 さまようように中洲を歩いていた男が、豪雨が去った後の川面から、たゆたゆと揺れていたある物を拾う。 たっぷりと水を吸い込んだそれには、何やら水ににじんだ墨の文字が…。 

 他に今回特に好きだったのは、「影つづれ」と「青火童女」と「ゆめこ縮緬」。 
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