富岡多恵子さん、『水上庭園』

 『水上庭園』、富岡多恵子を読みました。

 “ところが、わたしには、理詰めもないかわりにロマンティシズムもありません。ドイツで幾日かEと過しているのは、現世での偶然の出来事にすぎないと思っており、この偶然に、わたしは深く感動しているのです。そういう偶然をのがさず味わいたいとドイツにやってきたのです。夫と暮しているのも偶然です。夫といる日々には、たまたまEが不在なだけです。わたしは、イキモノのなかでことに人間は生れないのがもっともいいと思っていますので、生れてしまった人間はカワイソーな存在だと思っています。こういうことを、Eにどのように説明したらいいのかわかりません。” 205頁

 富岡さんの作品はまだあまり読めていないけれど、恬淡とした文体や絶妙な枯れ具合、すこぶる渋い作風が好きです。 

 恋…とも決め付けられない20年越しの思いを、何故か繋ぎ続け合ってしまった男女が再会を果たしてからの、表面上はあくまでもあわあわとした交流。熱くなることもなく、さりとて執着がないこともない。言葉では上手く説明の付かない、つたない英語を介した二人だけの静かな関係。ゆるりゆるりとした時間に沈み込むような具合になりながら、確かにお互いの魂をゆきかう深い共感に、言葉少なに身を浸す二人。たとえ一歩踏み込もうとしても、どうしても言葉の壁にぶつかることを先に知っている二人の不思議な絆には、何と名づけることも出来やしないのです。 
 そんな二人の物語に挿入されているのが、Eがかつて彼女に送り続けた書簡の文面でした。20年前の初々しさとひた向きな言葉が詰まった、性急な思いがるる綴られた手紙の数々。決して埋めることの出来ない20年という時間の流れを越えて、22歳のドイツ青年Eの声を運んでくる…。

 ほんのりと優しくてさびしいラストが、好きでした。二人の間にあったものは、結局何だったのだろう…?と、しばしもの思いに耽ってしまいます。飾り立てない描き方だからこそ、後ろ髪をひかれる。
 (2007.5.8)

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