イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

そして誰もが主人公

2008-05-01 16:45:50 | テレビ番組

劇場版本日公開『相棒』TV宣伝広報活動が盛んなのはわかりますが、“歌手・水谷豊リターンズ”みたいな流れにまでなっているのは、どう解釈したらいいんでしょう。何がどう懐かしまれて、そんなに需要があるのか。

昨夜(430日)夜2300過ぎに、HDD編集作業にポッとTVをつけたら現在時制の水谷豊さんが生バンドをバックに歌っていて、この時間帯まで、歌わせてまでようやるなぁテレ朝…と思ったらなんとチャンネルはNHK総合でSONGSでした。『相棒』映画化とタイミングを合わせて、水谷さんの事務所サイドが音楽活動にも力を入れ、NHKもそれに乗ったということなのかな。水谷さんとNHKと言えば、鶴田浩二さんとの共演になる名作『男たちの旅路』からもう30年以上になるのか。

歌手としての水谷さんを、月河はリアルタイムでよく知らなかったのですが、マイクスタンドの後ろに立つと、やっぱり片側4560°ぐらい斜になりますね。このへん、役者としてはずいぶん前から名前お顔拝見している大ベテランさんだけど、意外に世代の近接を感じます(水谷さん昭和27年=1952年生まれ)。月河もやっぱり、カラオケでマイクスタンドがあると、誰のモノマネでもなく自然と左斜めに角度がついちゃう。右利きなので、要所でスタンドにかける手が右だから左斜めになるのですが、左利きだったら右斜めになることでしょう。

だから歌順が来て壇上に上ると、無意識オートマチックにマイクスタンドを右斜め後ろに引いてからスタンバる癖がついてしまっている。

ヘタするとカラオケだけでなく、オフィシャルなスピーチやレクチャーの舞台でも、スタンドが可動式と見ればどうしても右手で掴んで後方に引き、左斜めに体がひらいているのに気がつく。何と言うか、真正面向きでは“決まらない”気がしてしまうんでしょうな。

この、“マイクスタンドを前にすると立ちに斜め角度がつく”という癖、十八番ナンバーや歌唱力に関係なく、月河と同年代近辺の、ある年代生まれ限定なような気がするのですが、具体的には昭和何年から何年生まれまでがピンスポなのか、どこらへんにその発祥があるのか、いまだ究明できずにいます。

まぁそんなことはどうでもいいのですが、水谷さんの代表作と言うと、『傷だらけの天使』と前出の『男たちの~』、あとは大映テレビの怪作『赤い激流』辺りをまず思い出す月河はむしろ少数派で、やはり『熱中時代』の教師・北野広大がいちばんポピュラーということになるのかなぁ。

月河は小~中~高を通じてどうにも“学校”と相性が悪く、居心地も悪く、TVの中でまで学校や制服や教師を見たくない」気持ちが強かったため、“学園青春モノ”のドラマを好んで観たことがなく、そういう作品の出演俳優に憧れた経験も一度もありません。制服の生徒たちや教室・教師が多く画面に映っていると、ドラマのタイトルや内容を知る前にチャンネルを変えてしまうのは中年になった現在も同じです。

だから俳優女優としての中心活躍舞台が“そっち方面”だった役者さんというのは、名前は聞き知っていても“味読”“消費”のしかたがよくわからない。つまりどこがどうカッコよく魅力的なのか(orだったのか)がピンとこないのです。

昭和の“そっち方面”の雄だった、たとえば森田健作さんは月河にとっては何より劇場版『砂の器』の丹波哲郎さん部下、『疑惑』で桃井かおり被告に詰め寄られて逆ギレする証人ですし、中村雅俊さんは『悪魔が来りて笛を吹く』で『東京ブギウギ』を披露する歌好き船頭です。

ついでに武田鉄矢さんなら、『見ごろ食べごろ笑いごろ』で西田敏行さんと方言ニュース競演やってた頃がいちばんおもしろかったし、いっぱいいっぱいだけど光っていたと思うがな。いずれにせよ、さわやかな、たくましい、あるいは情熱あふれる教師を10年演ってくれるより、月河には警察・事件ものやホラー・特撮、さもなければ昼メロドラマで犯人・悪役・仇役、もしくは刑事役としてちょこっと出てくれたほうがずっと印象深いのです。

歌手としての水谷さんは『カリフォルニア・コネクション』『やさしさ紙芝居』ぐらいが代表曲でしょうか。『カリコネ』歌うと前の奥さん思い出したりして痛し痒しじゃないのかなご本人。ミッキー・マッケンジーさんとは『熱中時代 刑事篇』がきっかけだったんですよね。わはは、それくらいは月河でも知ってるのだ。

いま、なぜ水谷豊なのか。昨夜の『SONGS』を見る限り確かに50代半ばにしては体形も崩れていないほうだし、もとが比較的小柄なのにも助けられて、まぁ若々しいと言ってもいい。生バンド従えてソロ歌っても絵ヅラとしてはまだいけます。でも、歌手活動最盛期をよく知らない月河が聴いても、“年をへてうまくなった”とは言い難い歌いぶりのように聞こえましたが、どんなもんでしょう。

北野広大としての水谷さんをほとんど知らない月河には想像も及ばぬ、所謂“萌えツボ”が、どこかにあるのかな。

昨年の『紅白歌合戦』でも「『ルビーの指環』だけは観たい」と高齢家族その2が言うので、全篇録画して早送ってサーチして寺尾聰さんの出番だけ再生してやりましたが、大ヒット旬のさなかでも“才気煥発は感じるし雰囲気あるしヘタではないけど、ま、やっぱり所詮は役者さんの歌”という感じだったのが、声は出なくなってる身体もキレなくなってるで、ご本人が自覚しているであろう以上に“往年の自分自身のモノマネ”みたいだった。

かつての“歌う役者さん”の復活リバイバル(同義反復になってるか)、どうも需要があって供給が生まれたというより、とにかく供給して供給していくことで需要を発生せしめようという魂胆が透けて見えるように思います。

ただ、『やさしさ紙芝居』という曲、詞は松本隆さんですが、冒頭は「ビー玉、ベーゴマ、風船ガム…ええとそれから、メンコにおはじき…それから竹トンボ、やったわやった、なつかしいなあ…」というセリフで始まります。リリースは80年、時に水谷さん28歳。

この人はこんなに若いときから、(やんちゃで、持たざる者なるがゆえに自由だった昔を)懐かしむ”という、ある年齢に達したら誰もが経験する心の動きに、芸風や存在感がなじむ、それがもともと持ち味の人だったのかもしれない。

“懐古が似合う人”。ならば今後、『相棒』シリーズが終了しても、刑事役以外にどんな役をどんな作品で演じようと、役者・芸能人として現役である限り、周期的に懐古路線で商売ができるかもしれません。

プライベートは二度めの奥様・伊藤蘭さんと穏やかに終始しているようだし、怖いのはケガと生活習慣病だけか。初老に入って役や出番が減ってくる時期の俳優さんとしては、なかなか恵まれたポジションだな。

………こんなに集中して水谷豊さんについて考えたのは生涯初で最後だと思いますが、何だか肩凝っちゃいました。ダージリンでも飲むか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする