イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

カラオケリスでレミオロメロス

2008-05-02 23:20:08 | テレビ番組

昨日(512440~)の『爆笑オンエアバトル』は前半だけ出会いがしら視聴。1497kb我が家3437kbイワイガワとチャンピオン大会経験組のオンエア確認したところであとは録画にゆだねました。我が家はここ数オンエアでいちばん身体が動いていたし、やっぱりローテー漫才よりコントのほうがすんなり笑えるかな。デブ担当杉山「大仁田じゃないんで」ですかさずバストアップに切り替えたカメラさんグッジョブ。オチ前隊長坪倉「あれ、こっちも火が」杉山「そっち関係ないから。…あーもうオレの部屋…」のスルー具合が、客席の反応さほどではなかったけどいちばん笑いの仕掛け度濃かったと思う。

ある年齢まで“渡米(とべい)”を“(飛行機で)飛べー!”だと思っていた、という人はリアルに結構月河の周囲にもいるので、そんなシロウトレベルのベタさで最後までもたせたイワイガワもある意味貫禄。

ラヴドライブ5385kbは前回のオンエアよりは素人コンパ芸臭が減って良くなったと思う。でも依然、掴みから本題までネタの軸に据えるほどハーフっぽさが目立つルックスとは思えないし、紋付袴とルパシカ風衣装で出てくる意味もわからない。着物の前をはだけてヘンな漢字Tシャツ見せって、高校生のお楽しみ会レベルだろうに。そこからもうふた捻りぐらいしないと400台をコンスタントに出すのはむずかしいでしょう。

初見の2469kbGAG少年楽団4413kbチョコレートプラネットはなかなかおもしろかったんだけど、“おもしろい”と“笑える”とはちょっと、やっぱり違うんだなあと再確認。

チョコプラは“ギリシャ古典劇のパロディ”を外枠として想定したのでしょうが、元ネタの古典劇自体を、こっちがあまり知らないもんで。イメージとしては滝田栄さんとか、平幹二朗さん、松本幸四郎さんなんかが演ってる感じかな。最近は唐沢寿明さんとか。

ジャンケンを「ジャリケスタリス」、“グー”“パー”を「グリオン」「パーテノン」“あいこ”を「アイコリオン」など“それらしい響きに言い換える”可笑しさと、「負けた負けた負けたー」「オマエは昔からそういう奴だったな」、大またで身体をひるがえしてからセリフを言う所作など、“大芝居くささ”の可笑しさの両建てになっていて結構奥のある作りでしたが、客席はおもに前者のほうに食い付きがよかったですね。

GAG楽は、0001年頃のプラスドライバーをなんとなく思い出させるネタでした。もちろんぶっとびキモ教師は角田、スカし坂本のポジションは不良メイクの大田、でっかいガタイで女生徒演技はかなり持ってきそう。教卓の陰でツッコむ役は気弱小市民キャラの和知。ならば引きずり出されてからの流れを、恐怖のラブレターでなく脱力オチにするほうがいいかな。

とりあえず両組、今回とは違うテイストのネタをもうひとつ見たいと思わせてくれただけでじゅうぶん成功のオンエアデビューでしょう。

次回はギャロップカオポイント東京03チーモンチョーチュウが参加するのでとりあえず録画待機。こうしてメンバー次第で視聴するしない決めるのは、どうも焼き畑式で明日につながらない気もしますが。

『花衣夢衣』25話。なんとなく、これは“シンデレラ”物語の一郭なのかなという気もする。

シンデレラ、真夜中12時の鐘が鳴る前に「貴婦人の格好をして豪勢な馬車で来ましたけど、これは魔法をかけられての時間限定であって、本当の私は貧しい格好で虐待されている継娘なのです」と王子さまに打ち明けてしまえば、何てことはない。王子さまは豪勢な貴婦人のなりに惚れたわけではなく、シンデレラに女性として惚れているわけだから、「貴女はそのままでいいのです、虐待される家には帰らなくて結構、ドレスや馬車は今度は私がさしあげましょう」でめでたしめでたし、鐘と同時に裸足で逃げ出すくだりもなし。

ただ女心として、王子さまと一緒にいるときだけは“魔法がなければみすぼらしく汚い私”を知られたくない、見られたくないし、魔法という言わば“ズル”を使って美しく装い舞踏会場にエントリーしたことも恥ずかしいと思うから、逃げてガラスの靴で捜索されなきゃならなくなる。

シンデレラにしてみれば初対面の王子さま、いくら優しくチヤホヤしてくれても「貧しく汚い格好の私では好意を持ってくれるはずがない」といまいち全幅の信頼もおけなかったに違いない。

我らが真帆(尾崎亜衣さん)も、将士(眞島秀和さん)に求婚されたときに、「あなたと結婚したいけれども、私は卑劣な犯罪に巻き込まれて子宮を摘出した身体だから、嫁として後継ぎを産んであげることができません」とすっぱり自力で呪縛を解ければそこで終了。将士が真帆に愛されるに足る男なら、「ボクは貴女と結婚したいのであって、貴女の子宮としたいわけじゃない」と答えるでしょうし、「そうですか、やっぱり子宮のある女性のほうがいいから、求婚は取り下げます(手つけなくてよかった)」となれば、逆に真帆も「王子さまに見えたけど薄汚くて小ずるいクソ野郎だったわ」と実体がわかってきれいに忘れられるでしょう。「男って優しいふりして結局子宮が目当てなのね、私はやっぱり友禅ひと筋でいくわ」と修業の闘志も燃えるかもしれない。

要するに魔法をカムアウトするか、子宮をカムアウトするかの問題。昭和28年という時代背景と、真帆のトラウマの深さを斟酌すれば、行きずりの他人ではなく本気で愛している男性だからこそ言えないという気持ちはあるでしょう。“嫁入り前の娘の‘人に言えない事情’”=“ふしだら”“不祥事”と直結連想を呼ぶ時代でもあった。

一応生娘だったシンデレラの“身分と風体の問題”と違って、目には見えない、心と身体にまたがる瑕疵だけに「そんなキズモノの女とわかったら好きじゃなくなった」となるほうが、真帆にとっては“魔法が解ける”以上の恐怖だったかもしれません。

より解せないのは将士という男。真帆の不器用ゆえ表向きすげない拒絶に、不審を抱くまではいいけど、何も恨むことまではないだろうにね。恨みのベクトルをバネに何が何でも思い切ろうというのか。で、実際思い切れてないわけだし。王子さまどころか、えらくいじけた器の小さい男だ。

このドラマでもうひとつ気になるのは、見ていてさっぱり“空間の距離感”がないことです。東京の澪(尾崎由衣さん)と金沢の真帆、鉄道ぐらいしか移動手段のない当時に、行ったり来たりするのはいまと比べものにならないエネルギーと時間を要したはず。都心と伊豆とか、下町と房総とか、移動の過程をすっ飛ばして簡単に場面転換するのがつねの昼ドラとは言え、今作は双子の“心の距離”と“空間・境遇の距離”の対比が重要な物語のはず。関東から北陸に至る車窓風景を延々実写で入れろとは言いませんが、雪景色をはさむ、川の流れや四季の山稜をはさむ、ちょっとした演出で“これだけ離れているのにお互いのことが自分のことの様に感じられる真帆と澪”の神秘な絆がより強調されると思うのですがね。

コメント
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