この2つの写真は既に消滅した山形市立六小の旧校舎である。
この校舎は昭8年に建造され、全体的には簡素な曲線を加えたアールデコ様式ではあるが、正面玄関の部分は正門前を通る老女が深々と頭を垂れて礼をするほど重厚な風格の構えであった。(アールデコ建築については10/23の市立七小、5/28の伝染病棟の記事を参照のこと。まさに同年代の建造である。)
昭和20年9月に山形に進駐した米軍主体の連合軍の兵舎として使用されたこともある。内部にはゆったりしたスロープが巡らされ、そこを米兵が車両でかけのぼったという話も伝えられている。
こんな歴史を有するこの校舎も建て替えられて十年ほどになるが、救いは新校舎の正面が何となく旧校舎のイメージを伝える瀟洒なデザインの外観となっていることである。
この校舎は昭8年に建造され、全体的には簡素な曲線を加えたアールデコ様式ではあるが、正面玄関の部分は正門前を通る老女が深々と頭を垂れて礼をするほど重厚な風格の構えであった。(アールデコ建築については10/23の市立七小、5/28の伝染病棟の記事を参照のこと。まさに同年代の建造である。)
昭和20年9月に山形に進駐した米軍主体の連合軍の兵舎として使用されたこともある。内部にはゆったりしたスロープが巡らされ、そこを米兵が車両でかけのぼったという話も伝えられている。
こんな歴史を有するこの校舎も建て替えられて十年ほどになるが、救いは新校舎の正面が何となく旧校舎のイメージを伝える瀟洒なデザインの外観となっていることである。