山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

懐かしき山形の建物 (5) 老女が拝礼した校舎 六小

2006-05-31 06:59:08 | 建物
 この2つの写真は既に消滅した山形市立六小の旧校舎である。
 この校舎は昭8年に建造され、全体的には簡素な曲線を加えたアールデコ様式ではあるが、正面玄関の部分は正門前を通る老女が深々と頭を垂れて礼をするほど重厚な風格の構えであった。(アールデコ建築については10/23の市立七小、5/28の伝染病棟の記事を参照のこと。まさに同年代の建造である。)
 昭和20年9月に山形に進駐した米軍主体の連合軍の兵舎として使用されたこともある。内部にはゆったりしたスロープが巡らされ、そこを米兵が車両でかけのぼったという話も伝えられている。
 こんな歴史を有するこの校舎も建て替えられて十年ほどになるが、救いは新校舎の正面が何となく旧校舎のイメージを伝える瀟洒なデザインの外観となっていることである。
 
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懐かしき山形の建物 (4) 北山形駅近くの郵便局

2006-05-30 06:18:41 | 建物
 郵便局の建物も二、三十年前までは「〒」マークを外観のデザインにした一目で誰しも郵便局だとわかる建物が多かったように思える。それに比べ現在の郵便局の外観はまさに千差万別で、入り口前のポストと「郵便局」という表示を見なければ何の建物かわからなくなっている。
 ともかく昭和の郵便局は郵便・貯金・保険の機能だけでなく、親しみやすい外観により地域のささやかなランドマークとしての役割をも担っていた。まさに、この北山形駅近くの郵便局の建物はその典型とも言えるものであろう。

 ※写真は「消えた山形・黄昏の風景」のホームページより
http://mx12.hp.infoseek.co.jp/
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雨上がりの老舗料亭の庭めぐり

2006-05-29 03:46:52 | 風景
 昨日、特別企画の山形市内4軒の「老舗料亭の庭めぐり」に参加した。
 開始直前までひどいどしゃぶり雨だったが、“晴れ男”“晴れ女”が多いせいか、雨があがり、和風庭園の緑はいっそうしっとりとした風情を見せて、大変幸せなツァーとなった。
 いずれも市街地中心部にあることを忘れさせる静寂さであった。

 ↑ 料亭A

 ↑ 料亭B

 ↑ 料亭C

 ↑ 料亭D 丁度ウグイスがしきりに鳴いていた (右の男性は私に非ず!)
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懐かしき山形の建物 (3) 市立病院の旧病棟

2006-05-28 07:32:09 | 建物
 左下の建物は既に何回か登場した国の重要文化財の旧市立病院済生館本館三層楼であり、現在は山形城跡内に移築され郷土館となっているが、かつての市立病院には右側のような病棟もあった。
 これは伝染病棟として昭和9年に建てられ、当時としては超モダンな建造物であった。丁度この頃には「アールデコ調」と呼ばれる装飾性が希薄で直線や曲線の簡素な意匠の外観の建造物の建築が全国的に相次いだ。代表的なものが東京都庭園美術館(旧朝香宮邸、昭和8年建造、5月24日の記事と写真参照)であり、山形市でも前後して第七小学校(10月23日の写真)や同第六小学校(後日写真と記事を投稿予定)なども明らかにアールデコ調で建てられている。
 この伝染病棟内には患者を横たえた台車(名称を忘れた!)の上下への移動のためゆるやかなスロープが3階までめぐらされていたので、公道(栄町通り)から見える窓の並びも階段状になっていた。



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懐かしき山形の建物 (2) 花街の施設

2006-05-27 07:20:22 | 建物
 現代では「子供たち禁制!」「青少年に有害」のゾーンということになる一つの小地域にかつてあった建物の写真であり、この建物の中では「けばい行為」を行う大人たちが多かったと聞いている(筆者はそれを知らない年代に属する)が、それでも建物自体は何とも落ち着きのある風情を呈しているのかと不思議な気分になる。
 タイトルには「懐かしき・・・」とあるが、むろん建物自体に懐かしさを感じるのであって、「行為」を懐かしむ人もほとんどが「後期高齢者」となり非常に少なくなっているはずである。
 それでも「歴史は歴史!」であって、この街にかつてこのような建物が並んでいたことまで黒塗りにする必要はない。
 昨日の「品格」に関する記事の写真と比べれば、この街の風情と景観の方がよほど品格があると言えるのではないか。
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地方の品格は国家の品格

2006-05-26 21:47:23 | 街づくり
 いま『国家の品格』という著書がかなりのベストセラーになっているようだ。その著書自体の内容の評価はともかく、国家の品格なるものは地方が品格ある状態であるかどうかでも認定できそうである。
 現在、地方の街の形体は、どこも中心街が衰退し、郊外に大型店舗や大型公共施設が進出して、きわめてメリハリのない状態と化している。
 郊外の新興商業ゾーン(中小商店が少なく、駐車場ばかりがやたらに前面に広がっているので「商店街」というイメージにはそぐわなくなっている)は一見人とクルマで溢れ活況を呈しているかのように思える。
 だが視覚的には写真のように落ち着きやアメニティ(潤い?)が感じられず、これでは繁盛が持続するとも思えない。
 この写真は山形市内の某郊外の新興商業ゾーンの街路景観だが、まさに全国どこにでも見られるような没個性的で地方色ゼロの景観(「地方の時代」の掛け声とは裏腹)であり、これを「品格ある景観」と評価する人士はおるまい。
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懐かしき山形の建物 (1) 矢吹病院

2006-05-25 09:08:13 | 建物
 「失われし山形の建物」シリーズ及び「何とモッタイナイ」シリーズの続編としてこれから断続的に連載したい。

 同名の病院は同じ所に現存するが、写真の建物はかなり以前に解体されている。
 この写真は21年ほど前に撮影されたものであるが、見るからに瀟洒な建物であり、病院というよりは欧州貴族の城館(シャトー)のような外観である。
 残念なことに、市街地のど真ん中(本町)の狭い敷地に建てられた私立病院ということもあり、周囲の小さな建物群と背後の高層の新館により折角の美しい外観も少々阻害された感じである。
 この建物が建てられた頃(たぶん昭和初期か大正後期)は当然現代よりは医療水準は劣っていたはずだが、「医療の権威」は現在よりも高かったことを格調高い外観が物語っている。
 もし、この建物が現存しているならば国の「登録文化財」である南向かいの第一小学校などとともに「歴史ゾーン」を形成していたことであろう。
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平地暮しの先住山形人、山あり谷ありの東京・横浜を歩く

2006-05-24 07:11:37 | Weblog
 山形市街は山が近いが割合に平坦で道路も直線が多い。全体が東西にわずかばかりの傾斜があるが、「坂道」というほどのきつい傾斜の道は少ないから、道路歩きは楽である。こんな環境に慣れた先住の山形人ブロガーが3日間ほど山あり谷ありの東京と横浜および小田原の市街地を歩き廻って足腰を鍛えてきた。

↑ 「宮様美術館」つまり東京都庭園美術館 昭和8年建造のアールデコ様式の旧朝香宮邸  目黒駅から近いが、周辺には急勾配の坂道と曲がりくねった細道が多い

 ↑ 横浜市鶴見区「三ツ池公園」内の韓国庭園

 ↑ 「三ツ池公園」に至る急坂 これでは山形時代に自転車で足腰を鍛えたスケートの加藤条治選手も自転車で上るのは無理かも・・・

↑ 小田原城天守閣 山形城と同じ「国史跡」だが、観光客の多さは桁違い

 ↑ さすが歴史の街小田原、何の建物かと思ったら小田原城跡隣接の小学校

 ↑ 小田原の大通りは人出が少なく活気に乏しいと思っていたら、クルマ締め出しの商店街は買い物客で溢れていた。山形市の参考になりそう!

↑ 山形帰りの直前立寄った横浜市港北区の和洋折衷の住宅。昭和8年建造。横浜市の補助と建築家らによる「考える会」の支援で補修による保存が進められていた。
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地球温暖化推進施設(1) 山形県立中央病院

2006-05-20 06:22:07 | 街づくり
 桜花、新緑、懐かしい建造物・・・と、しばらく目を楽しませる(?!)ような写真を連載してきたが、たまには“堅苦しい”内容の記事を投稿するのもこのブログの使命でもある。
 “地球温暖化推進施設”・・・いやはや何とも堅苦しい表現の極地とも言うべきタイトルであるが、要するに市街地の郊外に建造された公共的な巨大施設のことである。
 何でこの病院が地球温暖化を推進する施設なのか理解し難いだろうが、病院の建物自体よりは周囲の平面施設、そう、広大な駐車場が温室効果ガスである二酸化炭素の大量輩出に大きく寄与しているのである。つまり、広大な駐車場は膨大なクルマを走らせるからである。
 この病院がかつて中心市街地にある頃は“駐車場不足”のために近くの公道が渋滞の車であふれるのが常であった。これが多分最大の要因となって広大な駐車場確保が容易な郊外移転となったわけだが、以前は徒歩や自転車で通院、見舞いをしていた人もクルマ利用を余儀なくされた。
 このきわめて広大な駐車場敷地の確保のためにどれだけ巨額の県予算が費やされたかは想像に難くない。こうして我が麗しき出羽国の“豊葦原瑞穂の県土”の一角の田園景観の大半が無機的景観の極地たるアスファルトの平原へと変貌することになった。
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雅の山寺で古式の“カーチェイス”

2006-05-19 06:59:18 | イベント
 一昨日、松尾芭蕉が訪れた山寺で神社の祭りが行われた。
 山寺は仏教信仰だけのゾーンではない。山寺の立石寺と住民を護る役目を荷ってきたのは日枝神社(山王権現)である。日枝は比叡山の比叡に通じる。比叡山延暦寺を護ってきたのも日枝大社である。この祭りを山寺山王祭という。
 この祭りの最大の特色は三基の神輿が麓の門前町の街路を雅楽隊の先導で練り歩き、帰路にカーチェイス如き行動をやることである。重い神輿を担いで歩くだけでも大変なのに、担ぎながら走って「追いかけっこ」をするのだから非常に荒々しい。

 ↑ いよいよ「追いかけっこ」が始まるぞ~

 その他の祭りの模様は関連ホームページでご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/yamagata/info/775/2002-5-17/2002-05-17.htm
http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/system/eventreport/event_list.cgi?panel=Detail&E=KdCWm0Bx01

 ↑ 立石寺(山寺)の境内を包む宝珠山もすっかり初夏の装い
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