山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆山形の張成沢(チャン・ソンテク)物語◆

2013-12-22 15:57:58 | Weblog

◆北朝鮮のNo.2、張成沢氏の処刑のニュースは日本国民の多くにも心胆寒からしめた。かなりダジャレになってしまい、張氏には申し訳ないが、山形市南部にあった成沢城も江戸初期には廃城となっている。[写真は国道13号から眺められる成沢城跡]

◆この城は山形城の支城の一つであり、航空写真でみると明白だが、蔵王山系のゆるやかな丘陵地帯から「張」り出した端山(葉山)に築かれている。だが、この城をめぐる賑々しい攻防戦の記録や物語は伝わっていない。

◆東北の関ヶ原、慶長出羽合戦の際も上杉軍(直江兼続が総大将)は上山市の南方で食い止められている。[写真 成沢城跡の旧天守台から西方を望む。上杉軍(直江軍)の陣営が敷かれた菅沢丘陵や合戦が展開された長谷堂城方面が望まれる。[但し長谷堂城は手前の谷柏台地に遮られて見えない] 直江兼続が率いる2万の上杉軍は前方の山岳を越えて山形盆地に雪崩込んだ。また、上杉軍の別動隊は上山盆地にも侵入しようとしたが、失敗。透明度が高い天候の時には朝日連峰の白い稜線が青空に泳いで見える。]

◆最後の城主は山形城主最上家の歴代の家老家の氏家氏であり、夫人は最上義光の娘の竹姫だが、まさしく彼も山形城のNo.2であった。だが、元和8年(1622)に57万石の大大名の最上家の改易に伴い、成沢城も廃城となった。[写真 山形市の中心市街地が眺望できる。ノッポビルの右手前方辺りが山形城二の丸跡。もっと好天ならば、万年雪の月山の雄姿も見られる。左端のビルは山大医学部病院か。]

麓の寺院前から望む成沢城跡の丘陵

成沢城跡の周囲には豪奢な土蔵造りの屋敷が目につく。かつてはここにも小城下町が栄えていたようだ。

・・・これらの写真は3年前の夏に撮影。
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◆おんなの戦い◆

2013-12-20 15:52:30 | Weblog
左右に東西の女戦士の姿。「左」の甲冑姿はかの有名なジャンヌダルク。「右」は会津戦争で官軍の薩摩兵に銃を向ける山本八重(→新島八重)を演じる綾瀬はるかさん。フランスの彼女は火刑という悲劇的最後に見舞われたが、会津のジャンヌダルクは昭和まで生き抜き、女子教育の振興に貢献するとともに日清・日露戦争の傷病兵の看護にあたり日本のナイチンゲールとも呼ばれている。
◆さて、真ん中の写真は明治11年の竣工後まもなく英国人旅行家イザベラ・バードが渡った上山市川口地区の堅磐橋である。蔵王の雄姿が望めるこの絶景の地は同時に素朴にして豊かな里山環境に包まれた「癒し」の空間でもある。
◆ところが、ここに超巨大施設の建設が計画されており、一方でこの素晴らしい豊かな環境を守ろうと立ち上がっただけでなく、山形県全体を環境保全のモデル地区にするビジョンを掲げて活動する女性たちが存在する。その果敢な姿はさながら山形のジャンヌダルクを見るようである。
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